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実家をカフェとすることにした

産休に入り、賃貸の家では寒波を乗り越えられなさそうで、夕食の準備までは実家にお邪魔することにした。

実家の民はみんな働いてるので、自由に使えるし、やっぱりあったかい家は最高で。勝手に紅茶やハーブティーを飲んで、高級お菓子をバカぐいしてる。

カフェに行かずともカフェ気分で過ごさせてもらってる。

こんな生活最高だなぁ。って実家にくるといつも思う。

母も、自由に使っていいよ〜食べ物もなんでもあるしね。って最高すぎやしないか。母は偉大だ。

もうすぐ私も母になる。娘に同じことをしてあげよう。

そんなことを思っても娘がアラサーの頃私はどうなってるんだろう。まだ現役で働いてるのかな。そして実家を貸してあげて、母は偉大って思われてるかな。

母の偉大さについて残そう。

母は、とてつもなく与える人。他人に与えまくり、それが普通で、でも与えた分もらってもいる気がする。

母の友達も、旦那の母も、母の家族も、みんな母の与え力に驚いてる気がする。え、こんなに?って。

少し安く手に入ったから〜って何人分も買ってる。誰々さんと誰々さんと誰々さんと、、、って大量に買って、安く手に入るとは?といつも思う。

決して裕福な家だとは思ってなかった(母が専業主婦でなく、働いてるから)。それは大きな勘違いで。とてつもなく裕福だったと今気づく。(大富豪ではない)


サボりまくってるのに15年もピアノを習わせてくれ、英会話、スイミング、個別指導塾、資格試験塾、習字、パソコン、絵画、なんでもやった。残念ながら身に付いてはいない。

今、娘に同じことをできるか?と聞かれたら、むり。いくらすると思ってるの。。。というママになってるのが容易に想像つく。

ピアノも買ってくれた。いいやつ。結婚する時に売った。その売上くれた。え


街に出かけると、あれ食べたいな〜これ食べたいな〜っていうとお店に入って買ってくれる。私は結婚して家庭のある主婦です。母ありがとう。


そんな母を見習って、私も与える人になりたい。与えるってモノだけじゃない。愛情。愛を配りまくる。愛、感謝。


不思議体験で、愛を配ろうって決意して、家族に愛情たっぷりで接してたら、給料上がったことがある。臨時収入が来たりする。すごいの。

だから愛って偉大なんだよ。愛でも帰ってくるし、お金になったりする。

自分は人にどんな愛情を与えられるか、人に何を与えてあげられるかをよく考えよう。そして与え続けられる仕事をしよう。

単純に接客中に愛を与えるのでもいいし、コンテンツとして提供してもいいよね。

今はインスタとブログとツィッターをやってるけど、本格的にやる。ブログは夫婦のことについて。インスタはお金のことについて。

まずは続けることだな。

かつてはカウンセラーとして個別セッションしたり、ちょっとしたセミナーもしたりして楽しかった。旦那にも続けなよって何度も言われた。でもね、自分じゃなかったの。

ペルソナに憧れられる人になろうとして、普段着ない服装でSNSしまくってた。カフェとか行ってた。憧れられるために。

私はカフェで仕事したい〜なんて思ってない。家でいい。ピンクや花柄なんて興味ない。シンプルが好き。

でも、やれば少しずつでも身になるってことは勉強になったんだ。だから貴重な経験だったなってすごく思うし、後悔もしてないし、恥ずかしくもない。

この先、生活環境は変わるけど、自分の人生諦めてない。周りと比べないで、着々と成長して最高の60歳になるんだ。

そう思ったら、物欲消えた。自分をアップデートしたい。それだけ。


書いてるうちに前駆陣痛苦しい。ファイト私。




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