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ママちゃんと俺の5年愛戦争(仮)9

2020年。TVでは連日ある船が映し出されていた。
完全封鎖で船は港に停泊するも降りる事も出来ず乗客たちは閉じ込められていた。
理由は何故か?得体の知れないウイルスによる集団感染の疑いが出たからだ。
そう「コロナウイルス」の流行の兆しが出始めたのだ。
その頃は、僕らの周りでは一切そんなウイルスに感染するなんて事もなかったし、TVの中の絵空事でしかなかった。
それが少しづつ僕らの生活を変えていった。
オリンピックが延期され、ワクチンを打て!打つな!と噂ばかりが広がっていって不安ばかりが膨らんでいった。
いつのまにか皆「疑心暗鬼」になり我さきにとマスクを買い求め街にマスクがなくなった。
自分も警備の仕事がどんどんと少なくなり等々2021年の夏頃にはほとんど仕事が無くなった。外出自粛宣言が出され外に出られなくなった。

折角順調にデイケアに通えて回復の兆しが見えてきてた母であったがデイケアがお休みとなり家に閉じこもる生活がおのずと増えていった。
それでも彼女は楽しく生活していたと思う。
ただ家にいれば歩かなくなる。一日座って過ごすことが多くなる。
すると嘘のように足の筋力が落ちる。
家の中で歩かせてもたかが知れてるが無理やり歩かせた。
それでも疲れるからすぐ寝てしまう。
甘えからくる我儘が増えていった。すると言う事を聞かなくなるのは常で自分もいらいらして(仕事も出来ないストレス等で)声を母親に荒げる事も多くなっていく。すると母は目に涙をためて「ごめんなさい」と謝り続ける。
ふと我に返り「やっちまった」と反省して謝り励ます。
すっかり僕らの生活は変わり果ててしまった。
あれだけ回復していた認知症も少しだけ悪くなってしまった。
また繰り返し繰り返し質問を繰り返すようになった。
短期記憶が本当に出来なくなっていく。脳に刻まれた過去の楽しかった思い出は長期記憶になっているので、繰り返し思い出し口にする。
月、曜日、時間、はほぼ把握できなくなっていた。
眼の手術をして右目が見えるようになっていたので(左目は緑内障でほぼ見えなくなっていて右目は三分の一視界が緑内障で見えず、白内障を手術して見えるようになった。)好きな本を読めるようになっていたからコロナ前にはよく読んでいたのに「眼が疲れる」からとほとんど読まなくなってしまった。
そして本当に3歳児のような振る舞いをするようになってしまった。
おもらしもよくしたから、紙おむつに吸水パットを挟んで二重のガードはかかせなかったし、便秘が増え大便をするのが下手くそになっていった。
厄介な「いぼ痔」もこの頃から出るようになった。
精神的にも不安定になりスイッチでつながったり切れたりを繰り返す。
大人モードになったかと思ったら3歳児みたいになる。
それでも、彼女は基本おだやかな性格なのか、暴れる事も、徘徊することもなくその点では楽だったが、夜中仕事で自分が居ないと「どこ行った?」と何度も質問攻めになるから勘弁してくれと兄と父は根を上げ始めた。
そして2021年後半は仕事もなくなり完全に失業状態になり家族会議の結果、俺は兄の扶養に入り完全に介護主夫となった。
そして母親の母親になる決意をした。
何時まで続くかわからない暗闇の中を歩きはじめた。
この時は覚悟をするしかなかった。
せめてもの救いは母親はよく笑ってくれていたという所。

俺にとってもあの人の笑顔がなにより好きだったから辛い生活も救いになっていた。
そしてコロナと共に年は明けるのだった。

続く。

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