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オカルト好きだからこそ、書かずにはいられまいて。

今回のオカルト界隈がざわざわしてる件について、オカルト好きだからこそ触れない訳にはいくまいって事で、改めて四半世紀オカルト好きの自分の考えを記す事にする。

都市ボーイズのはやせさんの所有している例の木札。
「呪いの木札」として公開し、はやせさんの情報ソースから経緯を調べ、はやせさん自身の周りで起こった不可解な事のタイミングと木札を受け取ったタイミングが余りにも符合していた為自身が「木札の所為」と判断し、以後「呪いの木札」として伝えてきたというもの。
しかしながら木札の経緯は、復興支援の一貫で被災した地域の木を使い平和と復興の祈りとして御守りがわりとして好意でお配りしたもの。
それを「呪いの木札」として恐れ怖いものとして伝達しているとは何事だ!作った方々、お持ちになり祈っている方々、被災した人達に失礼じゃないかとお怒りになっているという経緯。

怒ってしまう気持ちや理由は充分に理解出来るし、当然な事だと思う。
しかしながら、その木札の思いを蔑ろにしていたというのは単純に誤解であって、はやせさん自身の「呪物とされているもの」に対する扱いと愛情は最早異常とも言えるほど愛に溢れていて非常に大切にされていて大事にしている。
その木札と呪いの事象を結びつけて考えてしまった事はご本人もおっしゃっている通り「早合点で配慮に欠けている行為だった」と謝罪されているし、本当の真意真実は誰にもわからないし、悪意を持って伝承してきた事ではない事は明白。
その情報ソースの信憑性や信頼性は、それをもたらしたモノ(方)との信頼から生まれるもので、これはオカルト関連でなくとも、どんなものでも結局「個人の判断」に委ねられる。
わからないから調べるが、この情報過多の世界で「何が正しくて真実であるか」を判断する事の難しさは生きている中でそんな場面に出くわす事あればわかる事だと思う。

今昨今異例のオカルトブームもあり、確かに今回の件はもうちょっと突っ込んで経緯を調べて現地取材もするべきだったかも知れない。
でも、それは誰しも特にオカルトや都市伝説その他の「眉唾モノ」を扱う人達全てに当てはまる事で、今回の件でその扱い方と考え方をもっと考えなければならないという事が戒めとなりわかったと思う。

何事も「他人の立場になって考える」「他人の気持ちになって考えてみる」事の大切さが痛感出来たと思う。
今現在の世の中は、この観点が非常に足りていない。
ほぼ全ての人に当てはまる事柄だと思う。
その所為で起こるSNS界隈のトラブルはほぼそれ、それしかない。
世界に蔓延る問題の全てはほぼそれ絡みで、それを遍く全ての人達が出来たなら世界の問題は忽ち解決出来る。
でも今の世の中の世相というか気質は、「個人を大切に」「個性を重視」という完全個人主義が主体の世界。
そういう教育に成り代わりつつあるし、それを正しいと思う人達は多い。
自由というのはただワガママであれば良い訳でなくちゃんと責任と自立し思いやる気持ちがなければ本来成り立たないものだと思う。
そこを勘違いしている人の多さ、自分さえ良ければ良いという無責任さ体質がいつの間にか染み付いてしまってる。
後、何でも「勝ち負け」「上下」「正邪」を無理矢理にでも決めようとする世の中の流れにも非常に問題があると思っている。
確かに「真実は、一つ!」なんだろうけど、無理矢理「正しい事が正義なんだからそれをはっきりさせるのは当たり前」の考えに矢張り問題の何かは隠れている様に思えてならない。

曖昧が悪いとされるのはなんでなんだろう?

かなり脱線してしまった。
が、オカルトはエンタメである!事を意外にも世間は認めてくれず、「真実を語ってない嘘は悪意でしかない!だから断罪するのが妥当なんだ!」とされているのが納得出来ない。
確かにその先の「盲信する」行為によって(騙された)不幸になってしまった事例がある事は事実でとても危険を孕んでいる事は周知している。
オカルトに限らず何事も「バランス感覚」は非常に大切でフラットにいる事の大切さ、第三者の目線をもって物事を判断する行為はどんな事柄も重要。
事オカルトは、非常にその点のバランスを崩しがちで危険性がある。
のめり込む危うさを常に孕んでいる。
けど、大抵の人達はそこを弁えて楽しんでいる人達が多いと思う。
どんな事柄でも目立つ人達は一部ののめり込み過ぎてる人達だ。

オカルトの課題はそこの理解度を如何に世間に求めていくかにあると思う。

カウンターカルチャーの締め出しは、今非常に活発で実際に沢山のコンテンツの封鎖されている。
これを機にオカルト関連の封鎖に拍車がかからないかを危惧している。
決してそういう事があってはならない。
世の中の楽しみと発展は少なからずカウンターカルチャーにあると思う。
特に孤独を埋める事やストレンジャー達には救いを与えバランスを与えてくれる非常に大切で大袈裟にいえば「命を救う為の装置」そのモノでもある。
それがなくなってしまったら、バランスを崩して大変な事になる人達は沢山出るに違いない。
折角「ブーム」となってその火が灯ったものを吹き消して無くしてしまうのは本意ではない。
くだらない事で救われる人達は沢山いる事を興味のない人達にもわかってもらいたい。
心底そう思う。

どんな事柄でも「片方の意見だけで判断する」事の危険性や話し合い解決する事の重要性を今一度確認理解して全ての人達に周知してもらいたい。

今回の件はちゃんと素早い対応でちゃんと謝るという全く逃げに回らず真摯に問題解決に努めているし、ますます信頼性は増した。
他人に非常に厳しい「自分は棚の上で批判する」体質は本当多い事がよくわかった。

人は誰しも間違える事はある。

完璧な人間なんて滅多に居ないし、過ちがあるから人間でだからこそ、いじめも蔑みも恨みも妬みも無くならない。
社会は1人1人個性がぶつかり合い決して上手くいかない成り立たないモノを考えそこで折衷案が生まれ倫理観も生まれた、それがルールとなって指針となった。
だからそれが「正しくて正義で絶対だ!」と言わなければ成り立たなかった。
人間の良いところは、相手を思いやれる事で許す事で臨機応変に対応出来る柔軟性にある。
相手を認め合い敬う事、反省して繰り返さない事、許す許される気持ち、
人間の良いところをもっと大切に。

中々上手く纏まらないけど、早く楽しく笑いあえる世界にしましょうよ。
怒ってばっかじゃ何も進まないじゃん。


続く。

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