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左手で描いた星一つがどれだけ美しいか知っていて、

めばちこが出来てそのあとまぶたの裏が赤く腫れてしばらくメガネ生活を余儀なくされたためメガネでもダサくならないようにとマスクの色を変えたり髪の毛をくくってみたり、メガネの曇り止めを買いに行ったりと忙しく日々を過ごしていたら今年も一ヶ月が終わろうとしています。


先日、美容院の予約をしていたら担当さんがインフルエンザにかかってしまい予約の変更もしくは担当変更の連絡が入った。どうしても髪の毛を綺麗にしたかったし、今通っている美容院をとても信頼しているので日にちはそのままで担当変更でお願いした。
代わりにお姉さんが担当してくれて、わたしのカルテをおそらく全部丸暗記するレベルで覚えてくれていただろうからトリートメントの種類や毛質、仕事のこと、趣味のことなど全て理解されていた。
すごく居心地が良かったし、お客さん側として関心した。これだ、これこそがプロだと久しぶりにドキドキした。
お姉さんにしてもらったカットもトリートメントも気に入ったし最高でした。やっぱりここの美容院に通ってて良かったな、と。なんだか忘れかけていたことを記憶の中で取り戻したようなそんな日だった。


「毎日毎日どうやって数字取り続けているんですか?」と至って真面目に後輩にインタビューのように質問されて、わたしは答えに詰まった。
毎日獲得することがいつのまにかわたしの使命で義務に似たようなものになっていたし、もちろんわたし自身もスランプの経験はあるけれど、それでもそれを言い訳にできるほど周りは甘くなく、時間が待ってくれるわけでもなく、「How」の部分を聞かれて非常に困惑した。

わたしみたいに毎日獲得したいと少しでもわたしに追いつきたいとそう思ってくれることも、意識してもらえることも恐縮すぎるほどありがたいけれど、毎日獲得しているからわたしが偉いわけでも高い位置にいるわけでも決してなくて。
思い返せば仕事においてはいつも自分自身との戦いで、やるかやらないか、やり切るか諦めるか、その2択を自分自身に課してきた。一人もしくは自分の方が自由に動ける立場でずっと営業をしてきたからか、人の数字を目当てにしたこともなかった。わたしはわたしを信じるしかなかったし、どこまでいってもネタを探す活動をやめてしまうと何も生まれてこないことだけはすごく早い段階で気づいていた。でもそれ以外はきっと、それなりの年月による経験と知識だけで至って平凡なわたしに答えられることはなくて、「焦らなくても今できることしていこうよ」とテンプレートみたいな言葉を返して、そのあと「でも自分がダサいって思うことはわたしはしたことないよ」と付け加えた。

わたしは右利きだから左手で文字を書いたり物を掴んだりすることが難しいけれど、それでも例えばわたしが左手で描いた下手な星一つを誰かが美しいと評価したのなら、きっとそれは違う美しさがそこには存在するんだろう。

初めてのこと、慣れないこと、その出来事が続いた時や重なった時は多分きっと誰かがすごく思えてしまう。左手で描いた星が下手くそなように自分にはなんにもなくて無力なように思えてしまう。ゴールは遠くて、その道のりすら見えなくて暗闇でどこに進めば自分を照らす光に出会えるのか分からくて迷子になることも珍しくない。

you are my celebrity、あなたはわたしの中の有名人。
それでも思い描く場所が、思い描く人が、あるのなら「足るを知る」ことを時には振り払って進んでいくしかないのかも。
誰もが誰かの憧れで、好きの対象なのかもしれない。あなたがわたしの憧れのように。


IUの「celebrity」を久しぶりに聴いて、改めてじっくりと歌詞を見てじんわりじんわり心の根があったまった。右手で慣れた手つきで描いた星よりもぎこちなく左手で下手に描いた星が美しい、そういうこともきっとある。
わたし自身がアウトサイダーな面が多々あってめんどくさいなあと思う。誰もが生きてきて人が決めた基準からはみ出して生きてしまったときにふと気づく疎外感って、言葉にしにくい寂しいものだったりする。みんなと同じものを好きになれず自分の感性を疑ったり、多数派の人々が良いと進めてくるものをどうにも受け入れられなかったり。
でも、きっとそれは本当はその人の煌めきやアイデンティティであって才能であり資質であることを覚えていてほしいな、と。

20代前半の頃、その時初めて会った人に「IUに似てるね」と言われたことがあって、そこからこっそり聴くようになった。申し訳ないくらい実際は全く何も似てないのだけれど多分その時IUがデビューしてすぐくらいで黒髪ロングで髪型だけは似ていたんだろう。
彼女みたいな透明感も艶感も美しさももちろん持ち合わせていないけれど、彼女の細やかな歌詞は国境を越えてたしかにわたしには届いている。彼女の歌詞は言い回しが独特で綺麗でなんというか日本人にはできないなにかがあるな、とただただその歌詞にはいつも感嘆とさせられる。

また韓国にも行けたら、いいな。

日本では激混みするタピオカも韓国では並ばずに買えるからと極寒の中飲んだこと、友達が見つけてくれた焼肉屋に行ったら30分で全身臭くなりすぎて爆笑したこと、化粧品に洋服に靴にバックに全部を買いたくて急ぎ足で駆け抜けた早朝5時過ぎの東大門も、駅一帯が服屋で埋め尽くされていて半日以上過ごした高速ターミナル駅も、チゲ鍋食べるときにラーメンの頼み方が分からなくて隣に座っていたかわいい韓国女子にお願いしたことも大事な大事な思い出。ちょうど3年前の今頃の出来事。

いつもわたしの休みに合わせてくれて、仕事忙しいだろうからとホテルや飛行機を調べてくれた。遠方に住んでいるからいつも現地で待ち合わせをしていた彼女とはトラブルも色々と乗り越えてきて今となっては全てが懐かしい。



あなたが左手で必死に描いた星一つさえも美しさが宿っている。だから、手を伸ばし続けて、と、そしてわたしも諦めずに手を伸ばし続けようと、迷った時は左手で丁寧に星を描いてみて、どうか自分自身のことを投げ出したりしないように。

生まれては消えていくたくさんの感情を否定することなく、全ての気持ちに意味があると信じて進んでいけますように。

大丈夫、あなたのことは誰かがしっかり理解しているからそのまままっすぐに前進するだけ。



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