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意思決定とみたらし団子

ここ最近「欲しいけどその時すぐには買わなかった服を、後々買いに行くと売り切れている」という事態が連発している。

まずあったのは、ヴィンテージショップで見つけた白いブラウスだった。首回りにブルー系の繊細な刺繍が施されていて、細かいギャザーが本当に可愛くて品のある服だった。

買おうかどうか本当に迷ったけれども、私にとってはかなり高額な一品だったのと、真っ白でお高めの洋服にこそケチャップなどを散らすのが私だと思い、そのときは買わなかった。

「でもやっぱり」と1週間程迷って、意を決して買いに行ったところ、すでに他のお客さんが購入したあとだったという。店員のお姉さんが「ごめんなさいね」と丁寧に謝ってくださったけど、お姉さんはなにも悪くない。悪いのはわたしだ。安易に白い服にケチャップを撒き散らすような生活をする私が悪いのだ。「ちなみにあのブラウスを買った方って、どんな方でしたか?」と喉まで出かかったが、さすがに聞くのをためらった。

次にあったのは、別のショップで見つけた、白いセーターだった。丈が少し短めでおへそが出そうな緊張感があるところ、肩パッドが入っていてシルエットが独特なところ、厚手でハイネックのニットという少しの野暮ったさが好みだった。

ブラウスの件があった直後だし、もうその場で買ってしまおうかと思ったけれど、見る限り在庫がまだまだ数着はありそうだったので、ひとまずは買わずにお店を出た。

よくよく考えて2日後、あのニットを買うためにお店に行った。しかし、ニットがあった痕跡はきれいさっぱりなくなっていた。足でも生えて逃げたか?

ブラウスの件から立て続けにこういうことが起きたのでさすがに落ち込んだし、「買い物は慎重に」という私にとっての美徳が裏目に出て、完全にひねくれた気持ちになっている。思春期の少年少女らはこうして家出をするのだろう、知らんけど。

そういうわけで、今後の買い物のあり方を改めて考え直している。もっと壮大なことを言うと、「今後の意思決定のあり方」をとても真剣に、寝る間をおしんで考えている。うそ、さっきも昼寝した。ちなみに今は23時前だ、昼寝とは何だ。とりあえず、今後私はどのように意思決定をすればいいのかと、鼻をほじるなどして考えているのが今である。

まず言えそうなのは、お金を理由に本来望む意思決定をしないのは、よろしくないと考えた。ただこれが言えるのは、自身に金銭的な余裕があるかもしくは金銭的な余裕のなさにも耐える強い心があるかだ。

次に、チャンスがたくさんありそうだからと、その場その時の出会いを簡単に逃すのも、非常によろしくないと考えた。「人生は一期一会、ひとつひとつの出会いを真摯に大切にしろ」って、ひいおじいちゃんが言っていた。妄想の中で。

あとは何だろう、スピード感もあるだろうか。後悔しないところまで考えて考えて考え尽くせたら、あとはもう勢いでゴーだ。ひろみといえば郷だ。

これだけやってもダメなら、それはもう多分ご縁がなかったんだろう。
話は脱線するが、島根県にゆかりのある人は、しばしばご縁の話をする印象がある。出雲の縁結びの神々が、人々の思考に根付いているのだろうか?何を隠そう、かくいう私もかつて島根県に住んでいました。やっぱりご縁って大事だし、実際に存在するものだとは思うの。

生きていく中で意思決定の場面はたくさんあるし、毎日は意思決定の連続だとも思う。良い意思決定が、良い毎日やいい人生を作ってくれるんだろうなぁ。

そう思って今、夜食にみたらし団子を食べようと伸ばした手を引っ込めた。可愛い服を買う前に、少しでも可愛い自分でいたいなと思いましてね。

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