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著作「スプラウト」の世界

夜の暗いホームに光が差し込み、真っ黒い蒸気機関車が、特有の機関部の重低音と共にホームに入ってくる。
ホームに響く、高い汽笛の音。

そんな風景から始まるこのお話は、その時点でもう私のハートをつかんでしまった。

通常のお話では、主人公はこの電車に乗って、新たな世界に飛び込むことが多い。
しかし、このお話の主人公、あきらは、新たな世界に飛び込んでいく同級生を、すこし離れたところから見ている。

しかし、夢や希望は、何も新しい世界の中だけにあるものではない。

これは、農家を継ぐものとして、地元に残った朗が、「稼げる農家」を目指して奮闘していくお話です。

農家を主人公としたお話は、あまり聞いたことがないし、地味なイメージもありますが、このお話を読むと、とんでもない!
様々なドラマが待ち受けています。

農家といっても、昔ながらの方法を継承していく農業と、新たなことにチャレンジしていく農業があると思う。
そのどちらが良いのか?どちらが大変なのか?
いい悪いもなく、どちらも大変で大切なことだと思います。

ただ、新しい事を始めるって、やっぱり大変なことです。
朗にひらめきと夢を与えた、カイワレ大根も、三ヶ月で挫折する。
しかしストーリーは、そこからが本番です。

その後、驚くほどの決意とともに、再チャレンジした朗だが、そこに彼を支えた妻幸子の存在は大きい。
働き者で、肝が据わっていて、前向きで愛情深い幸子。
彼女がいなかったら、彼女でなかったら、きっと物語は違った結果になっていたであろう。

この物語は、農業のお話であり、夫婦のお話でもあるのです。

軌道に乗ったカイワレ大根の事業を、どん底に陥れる事件がおこる。
ある年齢以上の人は、ある時突然カイワレ大根が市場でほとんど見かけなくなった時のことを覚えているかもしれない。
この事件は、実際にあった、国やメディアの悪意としか思えない事件でした。

その悪意と戦い、ようやく乗り越え、更に新しい事業を立ち上げ、順調に行っていたと思われた矢先、今度はあの東北大震災です。
この地震の津波による原子力発電所の事故は、この農場だけでなく、福島県や東北全体の農業水産業に打撃を与えたことは、記憶に新しいと思います。

この時、朗は、カイワレ事件の際に父親が言った言葉、

「今、やんなきゃなんねえのは、何だ。
おめは、おめがやるべきことをやんねど」

を思い出したかどうかわかりませんが、素晴らしい行動力だった。
そして、それもまた、それまでの努力が功を奏した結果だった。

私は、このお父さんの言葉が、とても心に残った。
何か事が起きたときに、不安になったり心配したり慌ててしまって、目の前のバタバタにおぼれてしまう。
しかしそんなときに、冷静に
「今まずやらなければならないことは何か?」
と考えることが、何よりの解決への近道であり、ことを最小限に済ますために大切なことではないかと思うのです。

その後物語は、福島作品ファンにはたまらない展開に続きます。
見知った登場人物の登場と、別作品「元宮ワイナリー黎明奇譚」につながる展開。
読んでいて思わず、わお!!と叫んでしまいました。

お話を読んだ後、私は、朗が作り、いや朗と幸子さんが作り、大きくした「ふかや農園」の風景が、実際に目の前に広がっているかのような気持ちになりました。
こんなにも、ハラハラドキドキし、感動し、最後には心が穏やかになる農業のお話がかつてあったでしょうか。

私たちは、自分が口に入れている食べ物のこと、それを作っている方々のことに、もっと関心を持っていいと思います。
食べ物自給率は、下がっていますが、今のように、他国で有事となっても、食料自給率をあげていければ、乗り越えられることもたくさんあるとも思うからです。
日本の農業、水産業を守るためにも、
安ければいい、見栄え重視、開発重視の考え方を改め、廃棄食糧削減、地場産のさらなる活性化など、考えていきたいと思います。
そして情報に踊らされることなく、自分で判断するということも大切だと思いました。

このお話、noteでお世話になっている、福島太郎さんの著作です。
12月に発売されたにも関わらず、感想がずいぶん遅くなってしまいました。
(太郎さん、すみません)

このお話は、モデルとなった農家さんがいまして、たくさんの取材をして、調べて、現実に会った事件等についても、丁寧に書かれています。
それらの事件について、私はどこか他人事で、詳細や顛末などを知りませんでしたが、知ってみると、いつどこで、どんな悪意が自分の身に起こるかわからない、という気持ちにもなりました。
ここまで調べられた太郎さんは、ほんとにすごい人だなあと思いました。

太郎さんは、すでに新たな作品に取り組まれています。
今回はkindle出版はしないとおっしゃっています。
それでも、お話にしたい魅力的な方がいるのだそうです。
大成功を収めた人も、人生に大失敗した人も、普通に生きていると思っている人も、そこには誰一人同じ人はいないドラマがあると思います。

これからも、太郎さんの優しい物語を読んで、人間っていいな、と思っていきたいと思いました。

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