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【書籍紹介/中国SF】中国SFの火付け人、ケン・リュウのエンタメ電脳世界!(ショートバージョン)

こんにちは。
突然ですが「間テクスト性」という言葉があります。全ての作品は相互に影響しあっていて、一つの作品を読むときに別の作品を連想したり、著者同士の影響関係を確認したり、そういった性質のことを指す言葉ですが、読書をより豊かにするためには「間テクスト性」が欠かせないと私は考えています。
この性質を最大限楽しむためには読者の側にリテラシーが必要ですが、これを獲得するための近道は、古典文学や著名な作家の文学作品をたくさん読むこと。なので今まで海外文学を中心に読んできたわけですが、

やっぱり私にはSFが一番肌に合うなあと今回の作品を読んで再確認しました。あーーSF楽しい!


『神々は繋がれてはいない』 ケン・リュウ

中国SF大好き人間として、『三体』全巻を揃えておくのは当然として、
ケン・リュウの短編集も同様に全巻揃えなければ気が済まなくなっています。この人自身の短編もさることながら、他作家のアンソロジーのキュレーションも素晴らしく見識眼があります。
スタイルとしては文学的テーマにSF的な手法で斬り込んでいくもので、カズオ・イシグロなんかと一部共通していると思うのですが、ケン・リュウはもっと中国っぽいというか、中国大陸の匂いを感じる作品が多いイメージです。そしてもう少しエンタメ寄り。

ただし、今作はちょっとだけ失速感がありました。
いつも想像の斜め上をいくような、あっと驚くアイデアで楽しませてくれるのですが、今回はどの作品もアイデアがやや月並みで、ケン・リュウ自身の作品では初めて肩透かしを食らった感じです。
アメコミ的な面白さがあるんだけど、なんだか全体的に陳腐がイメージはぬぐえませんでした。

特に表題作『神々は繋がれてはいない』は電脳空間に放たれた天才頭脳たちが、情報や株価を操作したり、核の情報を暴露したりすることで世界を大混乱に陥れ、第三次世界大戦を招こうとする話で、これはもうSF好きにはたまらない展開だと思います。
でもなんかどっかで聞いたことある設定だな……というのが気になりましたし、父と娘の桎梏をテーマにもしているのですが、娘の方があまりにも”作りもの”っぽくてリアリティに欠けるかな、と思いました。
もちろん、凡庸なSF作家なら電脳戦争に父と娘の絆の物語なんて差し込まず、ひたすらギミックやアルゴリズムの話に終始しても良さそうなところですが、決してそうしなかったケン・リュウの才覚は認めざるを得ません。
ただ、もう少し人間的な人物造形にしてほしかったなというのが正直なところです。

あともう一つ物足りなさを感じた理由は、電脳存在によって引き起こされる惨禍があまりにも普通というか、現実にいま起きている、あるいは起きようとしていることにあまりにも近くて、そこにオリジナリティをあまり見いだせなかった点です。おこがましいにも程があるのですが……。


ただし『ビザンチン・エンパシー』はよかった。
慈善活動はプロによって統御されるべきか、されないべきか……という主題を取り扱う作品です。
それぞれの立場に立つ二人の女性が議論を戦わせるのですが、どちらの言い分も良く分かる設計になっています。
面白いのは、正反対の主張をしている二人なのに、今どっちが喋っているのか分からなくなってきて混乱させられるところ。
人間の内なる良心をコントロール可能な実体として、一塊にして客観視することそのものが両者共通しているからこそ、似てくるのか。
統御できないものをできると錯覚する人間の浅ましさのようなものを感じさせられました。

全体的にちょっと辛口なレビューになってしまいましたが、やっぱりケン・リュウの面白さは頭一つ抜けてます。


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