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時に俺は叫ぶよう感じる Falta de ocasión sexual

 朝のコンベンションセンターはまだ薄暗く、空調もあまり効いていなかった。でも、そんなことはどうでもいい。そこここにイベントの巨大なタペストリや横断幕、立て看板などが設置され、ペリカンからジュラルミン、ダンボールなど大小さまざまなパッケージを満載した台車が展示会場へ吸い込まれていく、その空気感が俺の気持ちを心地よく高めてくれる。
「まだ先なのか?」
「もう少し歩くね」
 うつむき加減に会場図を見つつ、ゆっくりと不安げに歩く出展者たちの後を追いかけ、展示空間の簡易な仕切りをゴテゴテ飾り付ける人々をかいくぐりながら、古ぼけた懐かしい街並みをそぞろ歩くような感情に浸る。
 気がつけば、少し離されていた。あわてて追いかけると、不意に現れた美男美女のふたりに行く手を阻まれる。完璧に訓練された微笑を浮かべ、わざわざ俺に目線を合わせつつやたら丁寧に非礼を詫びる長身の男はねっとり輝くシルクハットとマイクロビキニ、そのかたわらで申し訳なさそう、だが同様の高度に作り込まれた表情を形成する女も紐状のパンツと乳首を覆うメタルキャップ、ティアラと漆黒の羽根扇だけで、他はなにひとつ身につけていない。
 しかも、長い時間と努力の賜物であろう肉体を誇示しつつ、表情と目線も含め作り込まれた顔立ちの美しさは、まばたきすら惜しくなるほど印象的だった。そして去り際、女は投げキッスひとつでとどめを刺す。我に返って前を向くと、出展者たちが笑いながら待っていた。
「いいもんみたな」
「ちょっとね」
「流石に本場のアダルトフェスは違うな」
「あぁ……」
 肯定とも否定ともつかない雑な言葉を返しつつ、割り当てられた出展スペースへ急ぐ。ホールのやや奥まったところ、メイン会場の裏手が目的地だ。お隣こそアダルト動画配信サービスだったが、ほかは胡散臭いコンサルやファンド、法律事務所、セクシャルマイノリティの権利団体などなど。お向かいさんは性労働者の人権擁護を掲げた非営利法人のスペースである。
 レンタルサーバのロゴや案内、いかにもな萌キャラをあしらったポスターなどをベタベタ貼り、チラシやパンフレットをならべて設営は終了。スペースの記録写真を撮っていると、横でチーフがそっとため息をついた。関係者も通らなそうなスペースをあてがわれた挙句、直前になってチラシなど配布できない事が判明したりと、開催前からあれこれご難続きとあれば、ため息のひとつも出ようというものだ。
 ついでだから会場の模様も撮っておこうと、お向かいや両隣のスペースに撮影許可を求める。なにかとうるさいにしご時世にしても世知辛い限りだが、つまらぬ煽り文句を添えて画像を拡散する輩がいる以上、仕方のないことなのだろう。参加案内には「セルフィー禁止」と注意書き、通路にも「許可なき人物撮影は訴訟を引き起こす可能性」などといかめしい警告が掲げられている。視界に法律事務所のポスターがなければ笑うところだが、あえて蛮勇を奮う気にはなれない。
 誰かがチーフに今日の予定を確認している。結局、場所が悪すぎることもあって告知は最低限にとどめ、午前中は他社ブースやイベントの視察となった。嬉しげに会場図やタイムテーブルをチェックし始めた出展者とは裏腹に、めんどくさそうな表情を抑えられているかどうかが不安な俺がいる。
 いちおう、アダルトフェスの意味はわかってる人々だろうが、たとえば撮影を厳しく制限することの背景となると怪しく、いちおう異性愛者が最大多数で異性愛中心のイベントとはいえ、セクシャルマイノリティやセックスワーカに無邪気で素朴な好奇心を投げつけるような非礼まで避けられるかどうかとなると、つい怖い考えになってしまう。
 気にしすぎなんだ。
 それはわかってる。
 フェスの参加者であれば多少のことには慣れているし、美しくかわしてさえくれるだろう。それこそ、さっきのカップルと同じくらいに。
 むしろ訳知り顔で気に病むことのほうがより傲慢だったり、時には冒涜的ですらある。痛みを知らぬ人間の心配面がもたらした苦い出来事は、忘却の霧に包まれ弱くにじんでもなお、ずっと消えることがなかった。朝もやに煙るネオンサインのように、ぼんやり光を放ち続けている。
 とはいえ、正直なところ俺さえその場に居合わせなければよいわけで、お使いか留守番して地味にやり過ごせればそれに越したことはない。
「さすがに誰かいたほうがいいんじゃない?」
 ナイス!
 まだ名前も覚えてない出展者だが、いいこと言ってくれた。
 その場の全員がチーフをみる。俺とは古い付き合いだからアイコンタクトでも伝わるだろうが、ここで指名させるより留守番役を買って出るほうがましだろう。あえて念を押すように「自分、残りますよ」と口に出し、嬉しそうな皆を見送って折りたたみ椅子に腰かける。やがて開場が告知され、いかにもポップなテーマ曲に交じってまばらな拍手が聞こえる。ほかのブースは競うように広告や音楽を流し、ホールの雰囲気は一変した。はるか向こうの入場口からは人波の気配もするが、開始早々こんなところまでやってくるもの好きはいない。
 気がつくと、近所のブースも人影はまばらだった。アダルトフェスというだけあって、メインのプログラムは夕方から。いちおう初日なのでオープニングセレモニーはやってるが、業界向けのカンファレンスやワークショップ、セミナーなども面白そうなのは午後以降だった。
 暇つぶしに動画でも観るかとノート機を開いたら、視界の隅に誰かの気配。
「ニホンカラキマシタカ?」
 顔を上げると丸顔メガネのアニキャラシャツ娘がほほ笑んでいた。
「いぇす、あぃむ、ふろむ、じゃぱぁん」
 とっさにカタコト英語で返したものの、相手の日本語よりはるかにたどたどしい。気まずい沈黙の気配を感じた瞬間、ぼってりとぶ厚い唇に目にも鮮やかなルージュをひいた口元から、聞きなれた言葉が飛び出す。
「ダイジョーブ、ちゃんとわかります」
「あっ! すいません。ありがとうございます」
 意識が思考の形を整えるより早く即売会モードに入った俺は、完全日本式のあいさつを口走ると同時に、立ち上がって頭を下げていた。
「あひゃひゃひゃひゃ、ははははは」
 ひざを抱えるようにしゃがみこんでもなお、笑いはとまらない。みるとはなしに見てしまった胸元の、あきれるほど深くつややかな谷間に吸い込まれた目線を無理やり引きずり出したころでもまだ、アニメっ娘はくすくす肩をふるわせていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 なんとか立ち上がって大げさに頭を下げるアニメっ娘に、つい「いえいえ、どーもどーも、こちらこそ」と応じ、また面白がらせてしまう。丸い顔には不釣り合いな黒いセルのフォックスから、楽しげな涙までこぼれおちる。
「ほんとにいうんですね。どーも」
「初めて聞いたの?」
「うん、アニメではなんどもきいてたけど」
 なるほど、そういうところだろうなと思いつつ、シャツにあしらわれた美少女戦士と薔薇の花嫁であろうキャラ達に、ふたりが掲げるプラカードの文字を読み取ろうと目を凝らす。
 どうやら……。

 Pro-Sex work
 Pro-Human rights
 Pro-Smiles

 などと記されているらしい。
 別にキャラ絵が似てないわけではなく、プラカードの文字も凝ったデザイン書体ではない。ただ、アニメっ娘の大きすぎる胸に引き伸ばされ、いささかゆがんでいるうえに、収まりきらない笑いに合わせ、ゆさゆさ波打っているのだ。その、パンと張った若々しいバストの動揺が収まり、呼吸を整えたところで、なんとなく自己紹介となった。
 アニメっ娘は美大生で、隣の州から来ているらしい。友達が性労働者人権擁護のボランティアだった関係で、アダルトフェスタに参加したということだ。
 高校のころから日本語教室に通い、かれこれ数年ほど勉強しているとのことだが、それにしても発音にもさほど違和感がない。よほど耳がいいのだろう。そして、案の定というかなんというか日本アニメが好きで、言葉に興味を持つきっかけにもなったそうだが、最近はゲームから歴史にも関心を示しているようだ。
 アニメっ娘の長い自己紹介が終わり、今度は俺が話す番だが、さてどこから説明したものやら。そもそも俺はアダルト動画サービスや配信サーバの保守管理ではなく、たまたま海外のイベントやら即売会の参加経験があっただけで、はずみというかついでに混ぜてもらったような数合わせでしかない。とはいえ、この辺の話はややこしいから、もちろんはしょる。まず名乗らないと始まらないが、実名は日本語でも聞き取りにくくて外人には難しすぎるから、仕方なくスクリーンネームで登録している。
 ネックストラップで確認したら、また笑いのつぼを刺激する。
「だいじょうぶ、わかりますよ」
 たぶん、我慢してるのだろう。くすくす笑いながら「それ、あなたの名前じゃないですよね」と重ねてくる。
「うん、わたしのほんとうの名は発音しにくいのです」
「日本のむずかしいですね。わたしも英語の名前です」
 聞くとアニメっ娘の先祖はナワトル語に由来する名だったようだが、移住した父が英語名に変えたという。いちおう、スペイン語化された祖先の名を口に出してもらったが、残念ながらさっぱりわからない。まぁ、アニメっ娘にしてみれば日本人の名前も同じようなものだろうと返したら、やにわに「いえいえむかしのサムライも、ノブナーガとかヤスーケはかんたんですよ」などと言い始めたので、こんどは俺が吹き出してしまった。
 こんなところで弥助かよ。なるほど、確かにゲームが入口か。ただ、にしても美少女戦士や薔薇の花嫁から、いささか離れるような気もしなくはない。そこに興味を覚えてあれこれ聞いていたら、いつの間にかランチタイムが近かった。そろそろ出展者が戻ってくるし、アニメっ娘も引き留めすぎている。とりあえず戻るようにうながし、後でアニメっ娘がいる非営利法人スペースへ顔を出すと言い添えた。
 間もなく出展者たちが戻ったので、入れ替わりにでる。チーフへ留守中なにもなかったと告げたら、夕方まで自由にしてよいとのこと。せっかくだからカメラを持ち出した。イベントではない、街角の人々を撮るのだ。
 真っ赤な雨傘をいくつもあしらった非営利法人のスペースをのぞいたら、アニメっ娘が笑顔で手を振っている。ダメ元でランチに誘ったら、あっさりついてきた。
「だいじょうぶ?」
「はい、わたしのしごとはあしたです」
 わかったようなわからないような答えだが、当人が問題ないならそれでいいだろう。
「写真家ですか?」
 カメラバッグの「SEAL OF APPROVAL」を目ざとく見つけたアニメっ娘は、ちょっと浮ついた調子で訊いてくる。
「そんなたいそうなものじゃないよ」
 つい、いつものように答えたら、さすがにわからなかったようだ。アニメっ娘はきれいに整えられた太く、くっきりした眉をややひそめて困ったような顔をしている。いや、これはつっけんどんに聞こえたか?
 にこやかに「写真は趣味です。プロフェッショナルフォトグラファーではありません」と言い直し、いったんはその場を取り繕ってみる。だが、アニメっ娘の低く座り込んだようなにんにく鼻と、その上にのっかっている黒いセルのフォックスは、どこかおびえたようなうつむき加減のままだった。
「ランチはどこが良いですか?」
「わたしもわかりません。はじめてなのです」
 黙っていてもはじまらないので、むりやり本題へ引き戻してみたが、やはりかみ合わない。さっそくやらかしたか。こらあかんかもなとか、そんな事を思い始めたころ、アニメっ娘がコンベンションセンターの外へ、街へ出ようと誘ってきた。
「わたしもあなたもおなじですよ。さんぽ、たんけん、ぼうけんしましょう」
 うむむ、俺の勘違いか? いじられヲタの後遺症的な自意識過剰?
 教育番組かアニメのセリフめいた言葉にうなずきながら、ゆさゆさ揺れる大きな尻の後を追う。多少は言葉が通じても、思考も心情もさっぱりわからない。
 とはいえ、相手が日本人でも気持なんか読めないし、先回りしようとしては失敗を繰り返してきたのが俺だった。
 コンベンションセンターの外は、青空と板張りの遊歩道だ。あまりにも通俗的なイメージで、つい面白くなってしまう。いかにもだけど、そういうフォトジェニックも嫌いではない。カメラを出して、レンズにフードをかぶせる。アニメっ娘に「ここで写真を撮ります」と告げ、ファインダをのぞいた。
 ピントの位置を考えながら構図を微調整して、水平と垂直をしっかり出す。そしておもむろにシャッタを切るが、その間もアニメっ娘はおとなしく待っていてくれた。
「ごめんなさい、少しお待たせしました」
「いんすぴらしおーん! あなた写真家ですよ」
 好奇心もあからさまに俺のカメラをながめるアニメっ娘へ、さわっていいよと手渡す。重さに少し驚いたようだが、さっと構える姿は堂に入っていた。普段から一眼を使っているのだろう、撮ってよいよと声をかけると、まずカメラの設定を確認してから俺を見る。笑顔でうながすと、楽しげにシャッタを切り始めた。
「わたしもおなじカメラです」
「ほんとに?」
「はい、あります」
 アニメっ娘がバッグから出したカメラは、おなじメーカだけど少し小さな一眼レフだった。なるほど、そういうことか。道理ですぐ使えたわけだ。
 アニメっ娘は大学の先輩にカメラを選んでもらったそうで、購入資金を用意するために相当がんばったらしい。つい値段を聞いてしまったが、そのクラスの中古にしてはちょっと驚くような額だった。それから、なんとなくカメラ談議まで始まったのだが、アニメっ娘はトイカメラやらフィルムカメラにも手を出し、大学のラボで自家現像するほど写真に入れ込んでいた。
 気がつくと、とっくにお昼を過ぎている。俺はさすがに腹が減ってきたし、アニメっ娘に具合を聞いたら「はらへりです」などと真顔で答えてくれる。手っ取り早く食えるところはないかと見回したら、遊歩道の向こうにホットドッグスタンドがあった。スタンドへ目線を送りながら、あそこはどうかとたずねる。
「あぃ、うん、ぉっどぐからいですよ。すごく」
「ホットドッグ、ですか?」
「あぃ……ぺりぃとかりえんて……からい」
 なんだか微妙な反応が気になるけど、辛いのは大丈夫でむしろ好きって伝えたら、じゃそこでということになった。近寄るにしたがってソーセージやベーコンの香りに唐辛子系の刺激が混ざる、いかにも辛うまそうな空気が濃くなっていく。いや、これは積極的に食べたいなと、そんなのんきなことを思いながらキッチンカーの中をのぞき見たら、らせん状にベーコンを巻いたソーセージをじぅじぅあぶっている。
 ひっくり返すと煙もすごい。
 これはかなり濃い食べ物だと軽く身構えたが、せっかくだからベーコン巻きのチーズがけとオレンジジュースのセットに決めた。カウンタ脇のメニューを指さしながらラテンっぽい丸顔のお兄さんへ注文するが、なぜかちっとも通じない。おや、どうしたものかと言葉を考え始めたら、アニメっ娘が横からなにごとかしゃべって、お兄さんはパンを温め始める。
「いまのスペイン語?」
「はい、そうです。われわれ英語うまくない」
 なんだか申し訳ない気分に襲われつつも、鉄板で温めたパンにベーコン巻ソーセージを挟み、いため野菜を乗せるお兄さんの手際に見とれてしまう。と、アニメっ娘が鋭い声を発した。

 ¡の! の、えす!
 ¡の、けそ、えそ!

 チーズをまぶしつけようとしたお兄さんの手が止まり、あわててアボカドのような緑の塊を乗せた。それぞれのホットドッグにケチャップとマスタードをかけ、でかい銀紙にふんわり包むとできあがり。まとめて払おうとしたら、アニメっ娘が「わりかん。わりかんです」と自分の財布を取り出す。
 こういう状況でおごるのはもめごとの種だし、思ったよりもかなり高かったので、正直なところ別会計だと助かる。それぞれ会計を済ませ、キッチンカーの周りにおかれたパラソル席へ腰を下ろす。
 やまもりのいため野菜を受け止めている舟形の銀紙を少しゆるめ、端を朝顔のように広げてかぶりつく。赤緑パプリカと玉ねぎは彩りも鮮やかだが、塩コショウ抑え目というかほとんど味のない野菜いためだった。ただ、油断してると刻みハラペーニョが強烈な辛みを放つ。
 こぼれそうないため野菜をあるていど片付け、ベーコン巻ソーセージをひとくちかじると、こんどはびっくりするほど塩辛い。ベーコンもカリカリを通り越したこげの苦みや食感のとげとげしさが口に残り、おまけに噛み切りにくいったらありゃしない。ソーセージはソーセージで、炭色手前まで焼きしめられた皮はいちおうパリッと張っているものの、中は子供のころに食べた皮なしウインナーのような頼りなさ。しかも、塩気がきつい割に肉汁は薄く、ベーコンの脂身やチーズが加わってようやくなんとか飲み込めるのではないかという感じだった。
 そしてパンがぱさぱさ……。
 あぁそうか、ベーコン巻ソーセージをやや浮かせてひとくちかじり、そのままパンといため野菜をほおばる。口の中で味を調えたら、いきなり食える代物へ変身した!
 気がつくと、アニメっ娘が不安げにこちらを見ている。
「だいじょうぶ、おいしいです」
「ほんとうですか?」
「うん、ほんと」
 銀紙を広げると、焼いたピーマンのような野菜が見えた。つけあわせだろうか、つまんで食べようとしたら「それ、からいです。とても」と警告される。
「そうなんだ。なんですか? これ?」
 アニメっ娘は少し考えてから「日本語わからない。けど、われわれ『ちれ、べるで』いいます」と答えた。やがて『べるで』は緑色の意味と教えてくれたので、おそらく青唐辛子なのだろう。それから、いため野菜に入っているパプリカは英語だとベルペッパーで、スペイン語なら『ぴみえんと』とか、なんとなく教わっている間に、ホットドッグをすっかり平らげていた。
 アニメっ娘が注意した通り、焼いた『ちれ、べるで』はたいへんに辛く、食べた後もしばらくはひりつく感じがのこる。
 食事の後、俺はストリートフォトを撮るので、コンベンションセンターへ戻らずダウンタウンへ向かうと告げたら、アニメっ娘もついてくるという。さすがにスペースへ戻さないとまずいような気もしなくはないが、学生と言っても子供じゃない。結局、当人がそれでよいなら、それ以上は考えないことに決めた。
 歩き始めると、すぐ再開発地区に入った。さえぎる建物もなく、ダウンタウンの金融街にそびえたつタワーまで一望できる。俺もアニメっ娘も無言でカメラを構え、思い思いにシャッタを切りはじめた。
「しほんしゅぎ」
 ふと、アニメっ娘が場違いとも思える言葉を落とす。さらに「資本主義のせかいです」と続けた。俺も「確かに」と応じる。枠囲いもない工事現場のかなたにそびえたつガラス張りの巨塔からは、アニメの世界めいた非現実感と滑稽さを感じていたが、なるほど資本主義を戯画化した雰囲気はある。しかし、面白いことをいう娘だ。

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 ひとしきり撮った後、そのガラスタワーがそびえたつダウンタウンへ歩き出す。直線距離は近そうに思えるのだが、まさか再開発地区を突っ切るわけにもいかず、やたら『賃部屋あり』や『テナント募集』の看板ばかり目につく通りをひたすらに進む。タクシーをつかえばよかったと後悔し始めたころ、ようやく人通りの多いブロックが見えてきた。
 ストリートフォトに気持ちを切り替えようと思うが、どうもうまくいかない。歩き疲れたためか、あるいは街並みや人々のエキゾチシズムに圧倒されたのか。いや、もしかしたら、肩を並べて歩くアニメっ娘を意識している?
 ともあれ、こういうときに無理をしてもろくなことはない。
 風景として建物や看板を構図に収めつつ、通行人がうまく入るかどうかは運次第という心もちで撮ってみたが、あっという間に目が疲れてしまった。時間を確認したらずいぶん遅い。まだ陽が高かったので、つい油断した。
 アニメっ娘にはそろそろ切り上げてコンベンションセンターへ戻ると告げ、タクシーを探す。繁華街だし、すぐ捕まるだろうと思ったが、なぜか流しの車が見当たらない。
「タクシーですか?」
「うん」
「わたし、よびます」
「いやいや、探しますよ」
「それだめですね」
 言いながらスマホをちょいちょいタップして、表示された地図とメニューを選択している。やがて、目の前にセダンが停まると、ステッカーを確認したアニメっ娘がドアを開けた。
「のりまぁす」
 妙な掛け声はなにかのモノマネだろうか?
 とにかく乗るしかなさそうなので、続いて車内へ入る。アニメっ娘がスマホ画面をドライバーの中年女性へ見せ、早口でなにか言うと、車は走り出した。ものの数分でダウンタウンを抜け、速度を上げて再開発地区を通過すると、視界にコンベンションセンターが飛び込んできた。その間ずっと、アニメっ娘はスマホでなにかメッセしていたようだが、裏手の駐車場へたどりつくとアプリを切り替えて運転手へ差し出す。
 髪を高く結いあげたおばちゃんドライバーは、アニメっ娘のスマホをポチポチつつき、嬉しげに返した。そして、うながされるまま車を降り、気がつくとホール裏の出展者ゲートへと歩き始めている。
「あっ! タクシー代」
「だいじょうぶです」
 アニメっ娘は立ち止まろうともせず、半端に上げかけた手のひらをふにゃふにゃとふって歩き続けた。
「払ったの?」
 ホットドッグの件もあり、つい口調が鋭くなる。口をついたのは、日本人同士でも伝わりやすいとは言えないせりふだったが、この状況なら内容は決まっているようなものだった。
「いいですよ」
「よくないよ」
 アニメっ娘はつと立ち止まり、話を打ち切るように「あとで」とだけ言い置くと、また歩き始める。俺は無言でホールへ向かうしかなかった。
 いちおうスペースへ戻ってはみたものの、すでにエキジビションタイムは過ぎており、当然ながら誰もいない。スマホのメッセを確認すると、全員で食事に行くらしい。さすがに店の名と場所も送られていたが、これから合流するのはおっくうだった。振り返ると、アニメっ娘は赤い傘のスペースで仲間たちと話し込んでいる。暗く人気のないエキジビションエリアでスマホの明かりが照らす紅の半球は、無駄に東洋的なエキゾチシズムをふりまいていた。
 ホテルへもどるついでにアニメっ娘へ会釈すると、なぜかこちらへ近寄ってくる。
「すこしまってください」
 言われるがまま立ち止まっていると、ホットパンツにビキニブラのセクシーさんへなにごとか耳打ちし、つと俺に寄り添う。
「いきましょう」
 なんのことだかさっぱりわからないが、素敵などさくさとチャンス到来の予感。おまけにアニメっ娘は俺の手をとり、肩をくっつけるように歩き始める。さすがになにかがおかしいような気にもなってくるが、話を聞くにしてもまずはホールから出たほうがよいだろう。
 コンベンションセンターのエントランスまでたどり着くと、巨大な壁面ガラスを支える列柱の陰に足をとめた。
「どこへ行きますか?」
「わかりません。あなたはどうしますか?」
 ここは正直にいくしかなさそうと腹をくくり、ホテルの自室へ戻るつもりだったこと、街の様子がわからないので夕食もあてがないことを告げる。アニメっ娘は宿の名を聞いて少し驚いたような顔をしたが、すまなさそうに「遊びにいってもよいですか?」とつぶやいた。
 よいですかもなにも大歓迎に決まっているのだが、さすがに同室の出展者へは連絡しておかないとまずい。ただ、部屋割がそうなっているだけで、当人の荷物も気の合う同僚たちのところにあるぐらいだから、実のところ俺のひとり部屋のようなものだった。
 アニメっ娘を少し待たせ、先ほどのメッセを再確認する。もし俺がひとりでホテルへ戻るようなら連絡してほしいとあった。しばらく指先を回した末、先にホテルで休むから、今夜は部屋へ来ないで下さいと返してみる。そしてスマホをかばんへ放り込み、アニメっ娘とホテルへ向かった。
 エントランスからホテルタワー直結のペデストリアンデッキへあがると、アニメっ娘は後から部屋へ行くから、先に俺ひとりで入っててくれという。やっぱりな、うまい話はないよなと腑に落ちるが、それなら変な嘘はついてほしくなかったと、同時にふてくされたような気持も湧き上がる。
 できる限りの笑顔を作りながら部屋番号を教え、フロントで伝言などを確認しフロアへ向かう。そしてエレベータを降りると、アニメっ娘が立っていた。
「あっ!」
「こないとおもいましたね」
「いや……その……」
「だいじょうぶです」
 なにがどう大丈夫なのかはわからないが、頭の中が真っ白のまま、なかば機械的に部屋へ向かう。
「ここにはよく来るの?」
「ここ? ホテルですか? はじめてですよ」
 こんなタイミングでホテルはじめてトークってなんなんだ?
 こみ上げる妙な期待と焦りをかみしめていたら、アニメっ娘はひとりごとのように話を続ける。
「ふたりはきません。ひとりできます。べつべつ」
 たぶん、ちゃんと聞き取れているとは思うが、意味がさっぱりわからない。ともかく部屋のドアを開け、なかへ招き入れる。
「おじゃましまぁす」
 勝手知った調子で荷物を部屋のすみへ置き、ベッドサイドのソファにちょこんと腰かけるアニメっ娘を見ながら、さっきの言葉はなんだったんだろうと考えてしまう。
 いやいや、こんなところで答えの出ない問いと向き合うひまはない。少なくともいまではない。いまは、いまこの瞬間は、これからどうするか、このチャンスをいかに活用するかを組み立てるほうがよほど重要だった。
 まず、俺もアニメっ娘も昼からなにも食べてないのだから、夕食を起点にするのが順当だろう。ダイニングはともかく、ラウンジやアラカルトもあるダイナーなら予算内に収まるしと、ホテルのファシリティインフォを探すのだけど、ベッドサイドにもテーブルにも見当たらない。
 うろたえ始めた俺に、アニメっ娘は「でまえあります」と声をかけてきた。
 あぁ、やらかした。かっこわるいなぁと思いつつ「ケータリング? ピザ?」と返す。アニメっ娘は「ふふふ、ピザ。あんへるしーふーど。でも、きらいじゃありません」などとつぶやきながら、スマホをポチポチつつき始めた。やがて、野菜たっぷりのサンドイッチにコールスロー、ドリンクなどのセットが表示され、それでいいかとたずねてくる。
 もちろん異存はないのだが、さすがに今度は俺が払いたい。
「注文してください。いくらですか?」
「いいですよ」
「よくないよ」
 アニメっ娘の顔がみるみる曇る。気の毒に思う反面、嗜虐心をそそるなにかをかぎ取ってしまい、あわてて頭から振り払った。結局、おおまかな金額に気持ち上乗せしてキリの良い札を押し付けようとしたが、財布から現金を出すしぐさや万札の桁数にアニメっ娘が興奮しはじめ、なんだかわけがわからなくなっていく。
「わぁぉ! にほんのおかね。えすた、ろこ! うの、どす、とり……」
「みたら返してね」
「これがほしいです」
「いいけど、日本のお金ですよ。使えない」
「ですよねぇ。それに、たくさんすぎる」
 わかってんのんかい。
 そうこうしているうちにサンドイッチが届き、食べながらヲタトークの花を咲かせる。本当に申し訳ないことだが、アニメっ娘の話にはついて行くのが精いっぱいで、なかなかうまく返せない。挙句、途中からゲームと実写作品に話題をシフトしてもらい、なんとか最低限の面目を保つことができたものの、これまた昭和期の残酷時代劇からピンク映画、それも牛舎で牛になりきる全裸女と痴呆老人の珍作まで抑えるホンマモンだったから、だんだんSF大会の合宿イベントめいた感覚に吸い込まれていく。
 夜が更けて、飲んでもないのに酔ったような心地よいめまいに襲われ始めたころ、アニメっ娘が家族の話をし始める。正直なところ、残念というよりホッとした自分がいることに、年齢を感じざるを得なかった。
 まず、高祖父はメキシコ革命で将校(ころねーる?)だったものの、事情があって内戦終結後に移住を決断。曾祖父も従軍したようだが、祖母に言わせると『倉庫番をしてただけ』らしい。その祖母はベビーブーマーど真ん中のヒッピー世代で、アニメっ娘にはかなり強い影響を及ぼしたという。ただ、いかにも水瓶座の時代めいたどさくさの中で生まれ、シングルマザーの子として育った父親は、祖母が弁護士と結婚した後もかなり折り合いが悪く、結局は別れていまの土地へ移住したとか、そういう話を聞かせてもらう。
 でまぁ、お返しに自分の話をするのだが、こういうのはどうにも苦手で仕方ない。
 少し考えて、自分はずっと黒い羊だったから、いつでもどこでもそんな位置づけだったから、いまひとつよく分かんないなんて、えぇ格好しいなことを言ってみる。
 すると、アニメっ娘がふっと立ちあがり、俺の手を握り締め「わたしもおなじ」と言いながらかがみこむと、いきなり抱きついてきた。そのまま俺の背中まで腕を回し、ほほに口づける。
 なにが起こったのかさっぱりわからないまま、ただあっけにとられていたら、今度は俺の耳元に「みて」とささやき、半歩下がって体を離すと背中を向けた。
 そして、思い切りよくアニメシャツを脱ぐ……。
 そこにはアニメキャラを従えた聖母の、それは見事な彫り物があった。
「すごい! グアダルーペのマリアだ!」
「そうです。わかりますか?」
 言いながらヒップを突き出すと、ローライズジーンズから腰回りの警句が現れる。
「これは、なんと書いてあるのですか?」
「の、め、あれぴえんと、で、なだ。わたしはくいあらためない、です」
 マリアの足元へ『悔いあらためない』と記すのは、どうにもしっくりこない感じもしなくはない。
「わたしのまりあはくいあらためない」
 聞き間違えたかと思っていたら、肩越しにほほ笑み、アニメっ娘は繰り返す。たぶん、由来があるのだろう。
「はずせますか?」
 アニメっ娘は無言でブラを軽く引っ張る。
 ここで我に返った。いや、冷静になったのではない。手の中のチャンスを思い出したのだ。ここで主導権を取り戻せば、そこから先はいつものように進められる、はずだった。俺も無言で立ちあがり、そっとブラへ手をかけ、ホックをはずす……。
 おや? はずれない。
 あせるなと自分に言い聞かせながらも、つい手に力が入ってしまう。
 いったん呼吸を整えていたら、背中のマリアがほほ笑んでいる。
 さて、もう一度と思いしな、だしぬけにアニメっ娘の指がかぶさり、さっさと外してしまった。
 ブラを胸に抱えたアニメっ娘は、つと背筋を伸ばし、やや肩の力を抜く。
 それにしても、ほれぼれするようなタトゥーだ。
「素晴らしい」
「そうですか? なかまはかくせといいます」
「えぇっ? なぜ?」
 ふぅっとため息をつきながらソファに腰を下ろしたアニメっ娘は、しみじみと、そしていささかめんどくさそうに話し始める。俺がなんとなく把握した感じだと、性労働者人権擁護団体のオブザーバだかなんだか偉い人にうるさいのがいて、その周辺から目をつけられたらしい。もちろん、ほとんどのメンバーは気にもしないのだが、とにかく声が大きいことと、今回の出展が彼らの仕切りと言うことで、かなり居づらくなっているようだ。
「つまり、宗教的だから?」
「です。それとアニメも」
 弱々しく「きょうはなかまといっしょにいたくない」なんてしょげかえるアニメっ娘をみているだけで、こっちまで悲しくなってくる。もちろん、ありがちな話のひとつに過ぎないのだが、当人にしてみればひどく深刻な問題だ。
 ましてマリアが高祖父の軍旗に由来するとあっては、文字通り身を切られるような痛みでもあろう。
 ただ、しみじみと悲しみを共にしつつも、俺のまなざしはあらわになったアニメっ娘の胸に、つまり重たげに張った褐色の乳房と大きな濃紅の乳輪、そして左乳首を飾る矢印ピアスへと吸い寄せられ、そのまま張り付いていた。やがて、俺とアニメっ娘のまなざしが交錯し、沈黙が訪れる。
 いまだ!
 俺は確信を持って立ちあがり、アニメっ娘へ歩み寄ると顔を寄せ、そっと口づけを求めた。
 アニメっ娘は軽くあごを傾けて唇を開き、俺の唇を受け入れつつ首へ腕を回す。いつしかふたりは抱き合い、舌をからませていた。よしよし、ここまで来たらいつものように進めればいいやと、ぷっくりふくれた乳首へ指を伸ばした瞬間、アニメっ娘は唇を離して、聞き間違えようもないほどはっきりと言った。
「おしまいです」
 そしてすっと立ち上がり、あっけにとられる俺に、上から「むりょうおためしはおしまいです」ととどめをさす。
 完全に不意を打たれた俺は、言葉を返すことも、作り笑いを浮かべることさえできず、ただうつむいてしまっていた。
「いまふつうじゃないです。もし、わたしがねだんをいえば、あなたはかうでしょう。でも、それはしょうどうがいです。よくない」
 手早く服を身につけながら俺に語りかけるアニメっ娘の声は、とても穏やかで優しい。しかし、やはり俺は黙ったままで、なにひとつ言葉にできなかった。
 やがて、アニメっ娘はスマホをぽちぽちつつき、荷物をまとめて戸口へ向かう。ふらふらと後を追う俺の気配を察したのか、背中越しに「ここでおわかれです」とくぎを刺す。そして振り返り、軽くハグしながらネームカードを押し付けた。
「あでぃおす」
 ほほ笑むアニメっ娘に、おれは「あでぃおす」と返すのが精いっぱい。

 ドアが閉まった瞬間、その場へへたり込んでしまった……。

 まぁいい。
 美しくかわしてもらったんだ。それに、ネームカードもある。
 気を取り直してカードをチェックすると、スペイン語のテキストにスクリーンネーム、そして見慣れないソーシャルメディアのアカウントが記されていた。なんだかなぁと思いつつアクセスすると、あのタトゥーを誇示するかのような全裸の後ろ姿が表示され、間もなくスペイン語のダイアログがポップアップする。
 有料サイトかよ。
 腰を飾る「¡No me arrepiento de nada!」を見ていたら、なんだか面白くなってしまった。
 入会しようかな。
 気が付くと、財布のクレカを引っ張り出していた。

 了

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