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映画 『燈火(ネオン)は消えず』を観る

この映画は去年から観ようと決めていた。
1月の中旬あたりから、ずっと体調不良で外出を控えていたので、ふと気がつくと上映が終盤にさしかかっている。
もう1日1回の上映しかない…それも夕方の、18:50 スタート。
夕方からの外出はまったく気が進まないけれど、この映画は見逃したくなかった。

華やかなネオンサインは、香港の夜景の象徴だった。
こんな夜の街並みを、確かにどこかで、何かで見た記憶がある。
香港とネオンサインは深く結びついていた。
香港を知る人なら、100万ドルの夜景とそれを彩るネオンサインが瞬時に一致するのかもしれない。
この映画を観るまで、私はネオンサインについてほとんど知らなかった。
現在の街並みとかつての街並みが、スクリーンに交互に、何度も映し出される。
これほど違うのかと、その差に驚かされた。
ネオンが姿を消すと、これほど硬質で冷たく感じるものなのか…
職人が作るガラス製のネオンサインは、全工程が手作業だった。
人はそこから無意識のうちに、彼らの体温を感じていたのかもしれない。

私はモノができる過程を見るが好きなので、手作業も、工場ラインも、建築現場も、何かが出来る過程は、ついつい見入ってしまう。
この映画を観るきっかけになったのも、ガラス製のネオンサインがどんな風に作られるのか興味があったからだ。
画数の多い漢字は確かに難を極める。
文字の持つ雰囲気、形状、大きさ、装飾と配色を決めるのは、デザインそのものだった。
香港は旧漢字を使っているのだろうか?
画数が多過ぎる。

そしてもうひとつの魅力は、光源の持つ特性、色かもしれない。
上田正樹の歌に『にじむ街の灯を ふたり見ていた』という歌詞がある。
香港のネオンの灯りは、私にはこの『にじむ街の灯』の言葉がぴったりだった。
水面に映る灯り、もしくは霧雨の向こうに霞む灯り、雨の路上に映る灯り、といった具合に、光の輪郭が柔らかくにじんでいるように見える。
日常的に目にする照明の灯りと、明らかに一線を画する。

『ネオン管はガス放電管の一種で、細長いガラス管に不活性ガスを封入し、電流を流して放電させることで発光させる』 公式サイトより
この解説を読んで深く納得した。
ガラス管のネオンサインはガス燈の一種なのだ。
地下鉄で10分ほどのところに、ガス燈がある。
私はその駅で誰かと会うときは、ガス燈の前を待ち合わせ場所にしている。
温かみのある灯りを眺めていると、気持ちが和むのだ。
他の街灯とは明らかに違う灯り。
今はLEDネオン風サインが世界的に主流らしい。

香港は2010年の建築法等改正で、2020年までにネオンサインの9割が姿を消したという。

私の記憶のネオンサインは、香港ではなかった。
ニューヨークのBARの壁面やウインドーだった。
アルファベットは形状がシンプルなので、漢字より作りやすいと思う。
店名とか、ビールの銘柄とか、筆記風にサラサラと軽く書いてある感じだった。
ポップ調のタイプフェイスも結構あった気がする。
それは街並みというより、インテリアの要素だった。
その近くには、よくジュークボックスが置かれていた。
店内にジュークボックスを見かけると真っ先に駆け寄り、私は曲目リストを見てコインを入れる。
曲が流れ始めると、必ず誰かと目が合った。
いい曲でしょ!と、ちょっと得意な気分でカウンターに行き、飲み物を注文する。
あの頃、ネオンサインとジュークボックは、私の中でひとつだった。
香港のビルの上の大きなネオンサインとは、規模がぜんぜん違う。
でも、そのひとつひとつにも物語が、あったのかもしれない。

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