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探す。

 とある調査によると、「探し物」をしている時間は1カ月では約76分、人生では約50日にもなるらしい。確かに、1日で数分くらい何かを探している気がする。当然だが、整理整頓に疎い人はもっと探している時間は長い。探している時間こそ何だか孤独で虚しい感じがするのは私だけだろうか。だから、あるべきところに当たり前のようにあることがしっくりする。それがいいか悪いかは別として。
 さて、探し物という言い方は妥当ではないが、「自分探し」をすることは教育の流れでよくある。自分は何が好きで、向いている仕事は何だろうか。人生において大事なものは何か。自分がいるべき場所はどこだろうか。生き方は今のままでいいのかなと悩むこともきっとあるに違いない。でも、初めて生きている以上、誰もが色々悩むし、迷うものである。決してあなただけが特別ではない。生き方やあり方を悩むことは全く問題なく、自然なことであるし、それ自体は素晴らしいことだと思う。
 強いて言えば、自分なんてものは意識的に探したからといって見つかるものではない。そもそも、ここにいるのはどんな状況であれ紛れもなく「自分」である。周囲の人に振り回され、理想の自分を仕立てあげるというか、色をつけるかのようなことはしなくてもよいと思う。そもそも、遠くのどこかに居場所を探すかのような苦労を重ねなくても、きちんと「自分」はここにいる。それこそが真実だ。
 さらには、今や「自己肯定感」を高めることを求められる。これは、ありのままの自分に満足し、物事を肯定的に捉え、思考が前向きで、失敗を恐れずに挑戦する特徴がある。一方、「自己否定感」はその逆で、周囲の人と比べて、自分は能力不足だと捉え、自分に自信が持てない傾向がある。では、どちらがよいのだろうか。前者の方がよいイメージだが、どちらが一方的によいとは決していえるものではない。たとえば、パティシエが自分の作品をこれでいいやと楽観的に捉えて商品を常に並べていたらどうだろう。それから、世の中の人がみな自信満々だったらどうだろう。つまり、否定的に捉えることそのものは決して悪くない。石橋を叩いてから渡るくらい慎重なときがあってもいいではないか。
 競泳で女子初の2冠を成し遂げた大橋悠依選手は、決して順風満帆ではなく、極度の貧血に悩まされ、辞めたいと思うほど、すべてをネガティブに捉える性格であったという。「前向きになれず、気持ちを切り替えなきゃと思ってもできず、なんて自分はダメなんだ」と思うことが多々あったようで、あるときスタッフに「自分の頑張りに失礼がないように、頑張りを無駄にしないようなレースをしないと勿体ないよ」と言われ、それがきっかけとなり気持ちの持ち方に変化が訪れた。
 ついに最終回を迎えたドラマ『ナイト・ドクター』で流れる琴音さんの歌『君は生きてますか』を聴くと勇気づけられる。自分と向き合い、自分の弱み、強みを理解し、どちらも受け入れる。弱さは隠したくなるが、人間はそんなに強くはない。真面目に取り組んでいれば、必ず自分の努力を見てくれている人がいて、助けてくれる人が現れる。弱いところやできないことを安易に否定するのではなく、まずそんな自分もすべて受け入れてあげることが大切ではなかろうか。

2021.9.17

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