152.大学のサークル

本稿は、2020年6月20日に掲載した記事の再録です。

居酒屋の座敷で新歓コンパが始まり、先輩学生があっという間に大量のビール瓶を空にすると、四年生に指名された二年生の男子学生が立ち上がりました。すると空のビール瓶を股間に当てると、ヨカチン音頭なる唄を歌い始めました。周りの学生は両手で手拍子をしながら掛け声をかけ、二年生は股間に当てたビール瓶を振り回して、唄とも呼べないがなり声を上げ、宴もたけなわとなっていきました。

◇ ◇ ◇

1978年4月、大学に入るとすぐにサークルの新入生勧誘がありました。校門から校舎にたどり着くのが容易ではないほど、ものすごい人数の在校生がノボリやら旗やらを掲げ、新入生に声をかけてきました。

テニスやスキー、それにどうみても私には縁のなさそうな格闘技系のサークルの人たちにも勧誘されて困っていた時、一枚の模造紙に目が止まりました。そこには黒マジックで「フランス語研究会」と書かれていました。

私が目を止めたのに気づいたフランス語研究会の男子学生が、「君、どこの高校?」と声をかけてきました。私が高校の名前を言うと、彼は驚いて「じゃ、〇〇先生知ってる?」と珍しい名字の恩師の名前をあげました。

話してみると、その学生は私の高校の先輩で、入れ違いの部活の先輩でもありました。ものすごく大勢の学生の中から同じ学校の卒業生、しかも部活の先輩に出逢うとは驚きましたが、やりとりを聞いていた周りにいた人たちも驚いて、もうフランス語研究会に入会したも同然という状態になりました。

突然のことでしたが、私は子どもの頃からフランスかぶれで、将来は必ずフランスに行こうと思っていたので、大学に入って、第二外国語以外でもこういうサークルに入って、きちんと語学を身につけるのも悪くないと思いました。そこでこれも何かの縁だと思い入会することにしました。

フランス語研究会は、略して「フランケン」というのだそうで、そのユーモラスな響きから楽しい学生生活になるのではないかと思いました。

◇ ◇ ◇

顔合わせの日に待ち合わせの場所に行ってみると、テニスラケットを片手にした二人の女子学生がいました。ひとりはすでに顔馴染みになっていた第二外国語が同じクラスの女の子で、驚いて二人で手を握り合って「わー、よろしくね」と言い合いました。

ところが、新歓コンパへ移動する道すがら彼女から聞いたのは、二人とも附属高校出身で、たまたま高校のテニス部の先輩に出逢ってしまい、その先輩にフランケンに無理矢理勧誘され、フランス語など全く興味などないのに、断っても断っても断りきれず、結局今日来ることになってしまった、一緒にいるもうひとりの子に至っては第二外国語はドイツ語で、フランス語にはまったく興味はないのだけれど、同じテニス部だということで彼女も無理矢理入会させられたという話でした。

三人しかいない女子の新入生はいずれも高校の先輩繋がりで入会したのでした。私も高校の部活の先輩に勧誘されたと話し、それは奇遇だねといいながら、これから仲良くしていこうねと三人で握手をし合いました。

新歓コンパの会場は、学生街のど真ん中の居酒屋でした。当時は靴箱もなく、土間で靴を脱いで、そのまま誰かの靴の上を踏んづけて座敷に上がっていました。

私たち三人はバラバラに座るよう促され、先輩達の中に紛れて座ることになりました。今思い返しても新入生の男子学生のことはさっぱり記憶にありません。いなかったはずはないのですが、思い出すことはできません。

四年生がとても偉そうに見えました。あの年齢で三歳も離れていると、私には近寄り難く感じられました。私を勧誘した高校の先輩は三年生、ようやく下っ端が入ってきて安堵している二年生、総勢で三、四十人いました。しかし、大半は男子学生で、女子学生は私たち三人の他には、煙草を燻らせている四年生が三人いるだけでした。

私たちの入会を歓迎して乾杯ということになりましたが、私はアルコールに弱いからオレンジジュースを頼もうとすると、「乾杯の時にジュースというのは失礼である」といわれ、乾杯の時は飲めないビールを舐めることになりました。ちなみにこのセリフはこの後何十年も言われ続けました。

当時の居酒屋は、食べ物といったら枝豆、漬物の盛り合わせ、冷奴くらいのもので、私はお漬物のきゅうりをパリパリ食べながらオレンジジュースを飲んでいました。私が大学生の頃には烏龍茶はまだなかったのです。

みんなものすごい勢いでビール瓶を空けていきました。私はいつのまにかビールを注ぐ係になっていて、あっちの先輩、こっちの先輩のグラスにビールを注ぐと、注いだそばから先輩たちは、飲むというより喉に流し込むかのようグラスをあけていきました。そして机の上に空き瓶がのりきらなくなった頃、冒頭の唄が始まったのでした。

私は呆気にとられました。この人たちは一体どういう目的で女子学生の前でこのような下ネタの唄を歌うのだろうと思いました。少なくとも、私たちを歓迎するために歌っているとは到底思えませんでした。二年生の度胸試しというか、一種の成年の通過儀礼のようにも思えました。

私はどこに視線をやったらよいかわかりませんでしたが、私たちは頬を赤らめて恥ずかしがることを期待されているのだと思うと、かえって平然と二年生の踊りや周りの先輩の様子を眺めていました。なぜこんなところでお酌をしたり、手拍子を強要されるのだろうと不思議な感覚に包まれていました。

宴会の最後には、両側の男子学生と肩を組んで円陣となり、校歌や応援歌を歌ってお開きになりました。私は色々な意味でショックを受けていましたが、他の二人はこういう雰囲気に慣れているように見えました。お店を出ると、学生街には他の新歓コンパで酔っ払った学生がゴロゴロとその辺りの道端に転がっていたのが印象的でした。

◇ ◇ ◇

次に学校でテニスラケットの友人に会った時、私は「歓迎会はしてもらったけれど、私には合わないようだからもうフランケンはやめようと思う」と伝えました。すると友人は「やめられるものなら私だってやめたい。だけれど附属高校のしがらみでどうしてもやめることはできない。お願いだから一緒に続けて欲しい」と引き止められました。

公立高校からきた私には「附属のしがらみ」というのがどういうものかよくわかりませんでしたが、絶対にやめることのできない掟のようなものがありそうでした。確かにまだ活動らしい活動はしていないので、せっかく入会したのだから、ランボーの詩のひとつでも暗記してからやめるのでも遅くないと自分に言い聞かせ、思い直すことにしました。

ところが案の定、「活動」はいつまでたっても始まらず、毎月定例会といっては飲み会があり、会費は女子学生は500円引きだと恩を着せられての3,500円でした。当時、マクドナルドのアルバイトの時給が380円でしたから、3,500円は私にとってはものすごく大金でした。

アルバイト料をやりくりして、ようやく捻出した3,500円を支払って参加すると「お酒は練習すれば強くなるから、練習あるのみ」とアルコールを強要され、ビールを注いでまわり、例の唄に手拍子も合わせ、仲居さんがわざわざ私の前に置いていった水割りセットで、先輩たちの水割りを作ることになっていました。

ビールをコップ半分ほど飲んで気分が悪くなり、トイレで嘔吐し、遠くに先輩たちの嬌声を聞きながら、なんでこんなことになっているのかと自分の不甲斐なさに涙がでました。

◇ ◇ ◇

テニスラケットの友人には、申し訳ないけれどもうやめたいと伝えると、せめて、せめて6月の合宿には一緒に行って欲しいと懇願されました。合宿に行ったら、きっと水割りを作るのも、お酌をするのも、今三人で手分けしてやっている、いわば「ホステス稼業」を二人でやらなくてはならなくなる。今でさえ大変なのに、二人ではとてもこなせない。なんとか合宿までは我慢してもらえないだろうかと土下座せんばかりの勢いで頼まれ、「附属のしがらみ」の恐ろしさが私にも伝わってくるようでした。

6月の合宿は、大学のセミナーハウスに出かけました。その時初めて先輩の口からフランス語が話されるのを耳にしました。三年生の先輩がパリに旅行に行ってホテルのバーでお酒を飲んでいたら、知り合いに会ったなどという話を聞いて、私は憧れました。その先輩はいつも黒装束に痩身を包み、長髪でドラキュラ男爵のようでした。私はもっとパリの話や彼の掌にあるボードレールの『悪の華』について話を聞いてみたいと思いましたが、私は四年生の部長の隣に座ってお酌をする係だったので、三年生に質問する勇気もありませんでした。

その合宿の時に、私は四年生の部長と映画を観に行くことになりました。気がついたら映画を観に行くことが決まっていたという感じでした。

当時、後楽園の黄色いビルに後楽園シネマという名画座があって、私は四年生の部長と一緒に「約束」という映画を観に行きました。岸恵子と萩原健一が主演でした。酒乱の夫殺しの罪で服役している模範囚と、強盗傷害で警察に追われているチンピラの束の間の恋を描いた作品でした。

冬の日本海を背景に二人が歩いている場面を観ながら、私はなんだってこんな好きでもない人と映画など観ているのだろうと自問自答していました。恋愛というのは違うかもしれないけど、私が話をしたいと思っているのは『悪の華』のドラキュラ男爵であって、部長ではないと思いました。

大学に入ってから、フランケンに入会してから、私は自分の意志を表明できず、とにかく周りに流されてイヤなこともイヤと言えず、わざわざ高いお金を支払って、貴重な時間をホステス稼業に費やし、勉強したいフランス語は未だに基本動詞の活用形も満足に言えないという状態でした。本当に、私はあまりにも愚かで、一体全体何をやっているのだろうと思いました。

映画館を出た時、今このチャンスを逃したら、またいつものようにグズグズになってしまうと思って、部長に「フランケンをやめます」と告げました。私は本当にフランス語が勉強したいので、夏休みからアテネ・フランセに通うことにしますと宣言しました。

テニス部の二人には誠意を持って話しました。二人が窮地に立たされると知りながらやめるというのは心から申し訳ないと思うけれど、でも、もうこれ以上時間とお金を無駄にして、イヤな思いを続けるのは耐えられないと映画館の決意を伝えました。二人はわかってくれました。それどころか逆に、自分たちもずっとそう思っていたのに勇気がでなかった、でもお陰で勇気がでたので、私たちもやめると宣言してくると言い、実際、彼女たちも夏休みに入る前に退会しました。

◇ ◇ ◇

私が学生の頃は、「真の友情は男同士の間にしか生まれない、女は結婚したら友情などなくなってしまう」とよく見聞きしました。本当にそんなものなのだろうかと思っていましたが、フランケンで一緒だった子のひとりは、私がフランスにいた時に、旅行で来たと言って、わざわざパリから列車に揺られて、留学先の地方都市にまで訪ねて来てくれました。

そして、初めて会ってから四十年後にも再会しました。かつての同僚の同僚だったことがわかりました。彼女はフランス語ではなく英語で身を立て、長らくニューヨークの投資銀行で働いていました。再会した時、フランケンの話で盛り上がり、セクハラ、パワハラ、アルハラとなんでもありだったと笑い合いました。

彼女は私がドラキュラ男爵と話をしたいと思っていたことを覚えていました。私の方はすっかり記憶から抜け落ちていましたが、話を聞くうちに『悪の華』の表紙を思い出しました。彼女とは今も時々会って昔話をしたり、これからのことを語り合います。友情は女同士でも続いています。

最近も若い女性が事件に巻き込まれるというニュースに接する度、フランケン当時の自分を思い出します。高校を出たばかりでイヤなこともイヤと言えず、おかしい、何をやっているんだと思いながらも流されていくというのはひとごとではありません。私にとって大学のサークルとは、初めてイヤなことをイヤだと勇気をもって言えた、ある意味貴重な試練でした。


<再録にあたって>
この稿を書いてから映画「約束」のDVDを購入して、ほぼ40年ぶりに見てみました。私が覚えていたのは本当に映画の一部分だけでしたが、「あ、このシーンを見ていた時に、フランケンをやめようと決心したのだ」と思う日本海の場面がありました。

当時は気づきませんでしたが、この映画はまるで古いフランス映画を見ているような美しい映像の連続で、さすがにフランス語研究会の部長が選ぶ映画だと思いました。あの時はフランケンをやめることで頭がいっぱいで、彼のセンスの良さや紳士的に接してくれた優しさを感じることができなかったと思いました。



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