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楽園はまだ遠く (2)

 改札もない(ように見える)、簡素な駅を通り過ぎてすぐ車は停まった。ひっそりとホテルの名前が出ている、シンプルな車寄せ。なにかを誇るような、よくあるホテルのメインエントランスに比べると、とてもあっさりしていて、でもそれがかえって美しい。「用と結ばれる美の価値」という柳宗悦のことばを思い出す。つまり、用途の美は、装飾に優先するということなのだと思う。

 よい滞在を、と言ってスーツケースを降ろし、ドライバーは手を振って去っていく。

 豪華ではないが座り心地のよいソファに案内されると、フルーツジュースが運ばれてくる。南に来るととにかくフルーツが美味しくていい。グアバジュース。名前を告げ、パスポートを渡し、クレジットカードを出し、フロントの人と何度かやり取りをしていると、デスクのすぐ横に、バワの写真が飾られているのに気付いた。飾り気のないシャツを捲り上げて何やら書き物をしている。シンハラ人とイギリス人の血をひきこの国に生まれイギリスに学び、弁護士になったが自分の理想郷をつくるため建築の道に入った天才。
 彼の建築をはじめて見たのはいつだったか。その写真にとにかく惹かれ、しばらくして引き寄せられるようにこの国に来たのだ。とにかく自分の目で見てみたいと、そう思って。バワの建築はいつもこの土地と共にある。熱帯の気候と自然、生い茂る樹木、自然と人間の文化が共存というよりも深く溶け合って、それは官能的なほどだがどこかで統制がとれていて、うっとりする。

 予定より広いお部屋をご用意できました、とマネージャーを名乗る男性がやってきて、部屋まで案内してくれる。フロントを抜けると青いプール、水面に雨が落ちて美しい。ジュニアスイートだと言われた部屋はとにかく広くおそらく10人ほどが合宿できるほどで、ジェットバスまでついていた。窓の外はまた別のプール、朝はきっとまた美しいだろう。

 もうバワはここにはいないけれど、わたしが建築を好きな理由は、そこに残されたさまざまなものと対話できるからだ。そこに立てば建築家の眼差しをありありと感じることができる、それが好きなのだ。人間の知性と文化というものの豊かさと、かたちある何かを後世に残していくことの偉大さを思う。たとえそれが、何かの犠牲の上に立っているものであっても、それでも、それがまたこうして一人の人間を救っていくのだと思う。

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