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あの子は貴族

勉強!受験!インターン!就活!
部活!筋トレ!
コミュ力!リーダーシップ!

社会が敷いた「正しそう(※正しいかはわからない)」なレールと、わかりやすい「ゴール」に向かって、一生懸命やってれば、人生は安泰。

……のは男だけで、女の子の場合、こういったことへの努力で能力を高めることより何より、ただ存在していることそのものの価値を高めなければいけないのが現実だろう。

要するに、容姿を磨くということだ。
可愛い存在であるということだ。

(性別で区別したいわけではなくて、あくまで相対的にってことです。)

頭の良さは時には隠すこと、リーダーシップを発揮するも最後は出しゃばらないこと。優しく包み込むような気遣いを怠らないこと、喋りすぎず聞き上手を目指すこと。

ところで、地方で育ち、いわゆる「いい大学」へ進学した女子の泥臭さは舐めてはいけないと思う。

どんなに見た目がふわふわしていたって、大学進学がマイノリティの世界の中で生きてきて、それで進学したのだから、頑張るべき時にそれなりに頑張れる人じゃないと進学なんてしていない。

それで、泥臭い努力の末、やっと進学した先に待っているのは、知と美の両立ができている、都心で育った「女の子」である。

女の子になりたい。ならねば、ならなくては。

という思いで、メイクやモテ術を研究しまくり、男を奪い奪われて恋愛に翻弄される高校時代の友人、夜の世界で働く高校時代の友人をみて、そこまで頑張れるのは、やっぱり、負けず嫌いとプライドを兼ね備えた地方の女子だなと思った。

「思った」と客観的であるのは、自分がそういう土俵に立つことなく、妙に冷静なまま社会人を迎えたからだ。

もしかしたら、そういう土俵に立てないことは、女として敗北なのかもしれない。

でも、敗北の先に待っているのは、楽しい学生生活と、楽しい社会人生活だった。

頭の良さは時には隠すこと、リーダーシップを発揮するも最後は出しゃばらないこと。優しく包み込むような気遣いを怠らないこと、喋りすぎず聞き上手を目指すこと。

どちらかといえば、上記と全て逆をいくわたしを好きでいてくれる人に、大学の時ちゃんと出会えた(から良い恋愛ができた)。

社会人になっても、「ももちゃんは頑張り屋さんで、芯があってカッコいい」「はっきり言ってくれて助かった、ももちゃんと働けて嬉しい」なんて言ってくれる、心優しい同期に囲まれて仕事をしている。

さてタイトルについてだけど、「あの子は貴族」を読んだ。

地方育ちの美紀は、都内で生まれて、ずっと実家暮らしで、何でも手にしている箱入り娘の華子を羨ましく思っていて、自分のことを惨めに思ったりしてるんだけど、華子は、自分の人生を自分で決めた経験がなくて、学歴も地位も「全部自分で手にした」地方育ちの美紀を羨ましく思っていて、自分のことを惨めに思っている。

みんな、「あの子は貴族」って思ってる。

わかるなあ。

大学生のとき、やっぱりそういう土俵に立てばよかったのかな、立てるの羨ましいなと思うことがしばしばある。あんなに幸せだったのにそれも忘れて。

でも、もしかしたら、当時そういう土俵に立っていた「あの子」は、わたしのことを羨ましいと思っているのかもしれない。

結局、隣の芝は青く見えるけど、「あの子は」じゃなくて、「わたしは」貴族なんだよね。

自分で自分のことを羨ましいと思わなくちゃ、自分が自分のことを愛おしいと思わないと。

そんなことを思いながら読んでいた。

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