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組織に所属する恩恵を受け続けている


ある一日。

お昼ご飯で爆笑した。「ほんとお昼好き、元気が出る〜涙も出る〜!!」と言いながら、ひたすら笑っていた。

毎回5人程度の同期と社食で過ごすお昼の時間は、何だか中学校の時の給食の時間を思い出す。

上司の悪口を言うわけでもなく、恋愛の話で盛り上がるわけでもなく、昨日のオードリーのラジオは聴いたかとか、最近の爬虫類事情とか、そんなくだらないことを話す時間。

*

その日の夜、同じ部屋で働く違う担当の先輩が、夜ご飯に連れて行ってくれた。

「最近大変そうな3人の息抜きになれば」「いっぱいお食べ〜」と先輩が言っていた。

3人とは、1人は違う担当のわたしの同期、もう1人は同じ担当の2個下の後輩、そしてわたし。

とってもいい時間だったな。綺麗な時間だった。

こちらも、上司の悪口を言うわけでもなく、恋愛の話で盛り上がるわけでもなく、仕事楽しいね、でも忙しいね、でもなんか頑張れるんだよね、みたいなことを話して

帰りはひと駅分歩こうか、と先輩が提案してくださって、川沿いを歩いてから「じゃ、繁忙期乗り切ろ!また明日!」と帰宅した。

それにしても、自分が「大変そう」な枠に入っていることにはびっくりだ。だってノンストレスなので。

でも、側から見たら、確かに大変そうに見えるのかも。担当内におやすみされている方がいる関係で(育休なのでハッピーな理由だけど!)、今、必要な人数に満たない状態でやっているので。

わたしのところ、一般職は新卒4年目のわたしが最年長で、あとは2年目の後輩が1人だけ。それに管理職ポジが2人いて、回している。管理職ポジの方はもちろん実務はやらないので、2人でほとんどを動かしている。

他は一般職が3〜5人いて、一般職にも社会人歴10年目くらいの中堅の方が必ずついている状態なので、よくもまあ、こんな若者2人でやっているよな、と。

わたしたちすごいわ、よく頑張っている。えらいわあと思って、「わたしたち天才じゃない!?」「天才だわ!!」と盛り上がっていた。(笑)

違う担当のもう1人の同期は、最近ナイーブだったので心配していたけれど、なんだかんだ、芯があってとても強い。大丈夫そうだ。

そんなわけで、全然慰めていただくような事案がなかったのにもかかわらず、ご馳走してもらっちゃった。お気遣いありがたかったなあ。

*

ご飯を食べている途中に、先生からLINEが入っていることに気がついた。急な用件だったらどうしようかとそわそわしつつも、翌日の朝開いたら、わざわざ言ってくれなくても良いような言葉だった。

「〇〇でのインテリジェンスなやり取りを拝見しています。素晴らしい。この1年、〇〇が非常にレベルの高いものであったと認識しています。年度末の繁忙期、くれぐれもお身体に気をつけて。また来週よろしくお願いいたします。」

原文まま

色々な場面で活躍されているとても忙しい方だよ、わざわざこうやって連絡くださるの、本当に嬉しくないですか。

*

翌朝、電車の中で思った。

わたしは人との関わりの中で起こる感動に、結構幸せを感じるタイプなのだなあ。チームが好きだなあ。ということ。

今、職場で、自分の名前を誰かの名前に変えたところで、なんの影響もない。誰がやってもできるような仕事をしている。むしろ、異動も見込んで、誰がやっても同じ成果となるように仕事を整えることこそ、大切な仕事。

わたしはそういう働き方が好きなのだろう。自分個人の名前を社会との接点にするのではなく、会社を介して社会と繋がっているという働き方。

調整調整調整ばかりで、自分のやりたいことを実現するために色々な人の許可が必要で、たまに人員配置が不足していたり誤っていたり、自分の力ではどうしようもないことが次々と起こる。

だけどその中で、自分の役割を把握して、自分がやるべきことをやって、実際にそれが社会にどれくらい貢献してるのかなんてダイレクトに見えてこないけれど

でも、せめて自分の目の前に置かれた仕事や、せめて半径2メートルくらいの人間関係を、より良く、あたたかいものにしていくことへのよろこび。他の人も同じ気持ちでいてくれて、より良く、あたあたかいものにしてくれた時の感動。

それが、わたしにとっては重要なのだろう。

先日読んだ本の中に、こう書いてありました。

どんなしごとをしていくかは、どうやって生きていくかと大体同じです。「自分は何を大事にしたいか」「自分にとってしあわせとはなんなのか」を考えるために仕事があるという言い方もできるかもしれません。

ヨシタケシンスケ「おしごとそうだんセンター」




今日もお疲れさまでした♩

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