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205:科学技術の所産を構成要素とする作品のなかには過去に戻ることを拒む「進化」への力が介在している

2016年から山口情報芸術センター[YCAM]が,三上の主要作品《欲望のコード》(2010)の修復を開始した.またそれに引き続き,18年度には多摩美術大学との共同研究を通じて《Eye-Tracking Informatics》(2011,以下《ETI》)を再制作する.発表から10年も経たない時点で修復/再制作が行われる背景には,作家の死だけでけなく,メディア・アートと呼ばれる作品群に共通した特性がある.芸術作品は「変化」しながら美術史という多層的な時間を編んでいくが,科学技術の所産を構成要素とする作品のなかには過去に戻ることを拒む「進化」への力が介在している.ゆえにそれらの保存・修復は,本来の状態という物質的原点への回帰を目指す伝統的な保存・修復とは異なる時間軸に置かれている.pp. 59-60

「美術手帖 2021年 04月号 アーカイブの創造性」に収められた馬定延「アーカイヴという結節点」からの引用.

「科学技術の所産を構成要素とする作品のなかには過去に戻ることを拒む「進化」への力が介在している」という点は,メディアアートを考えるうえで外せないけれど,結構忘れてしまっている視点だと思う.テクノロジーはそれ自体が「進化」していっていくからこそ,メディアアートは「可変性」を本質とすることになる.アート作品がつくられたときから物質的劣化が始まる.メディアアートも同じだけれど,そこで使われてテクノロジー自体は「進化」をしている.だから,保存・修復をしなければならなくなったときに,物質的劣化を伴う経年変化とテクノロジーの「進化」という異なるふたつの時間の流れを考慮しなければならない.

今,私が考えている「UN-DEAD-LINK」展に展示されてたエキソニモの初期ネットアートにおいても,物質的劣化を伴う経年変化とテクノロジーの「進化」という異なるふたつの時間の流れから,作品を考える必要がある.ネットアートの場合は,インターネットの「進化」に合わせなければ,作品そのものが成立しないので,ソフトウェアの改変は必須である.リアルタイムで処理された映像であれ,記録映像であれ,ディスプレイに映像がなく,古いCRTモニターやキーボード,マウスといった経年変化したモノだけでは,作品の成立は難しいだろう.

ここで一度取り上げたテキストだが,「古色が除去されてしまった作品は,歴史的価値を失い,物質性が前面に押し出されすぎているために美的価値も十分には認められず,作品イメージを失いつつあるものと理解される.p. 39」と,修復家の田口かおりは独自の保存修復倫理を掲げるチェーザレ・ブランディの作品の考え方から「古色」について書いている.メディアアートでは,ソフトウェアを調整することで,作品そのものと古いモノが醸し出す「古色」のような雰囲気との調和を図っているのかもしれない.それはソフトウェアの「進化」によって得られた多くの選択肢に,古いモノの「古色」に合わせた制約を与えることになるだろう.これもできるあれもできるではなく,古いモノが最も活きるようにソフトウェアを調整していくこと.その際に,テクノロジーの「進化」を止めたように見せる選択肢もあるだろう.物質的劣化は止めることができない時間の流れであるが,テクノロジーの「進化」については,その「進化」を活用して,その「進化」を止めたような実装も選択もできる,メディアアートの保存は物資的劣化の流れとテクノロジーの「進化」というふたつの時間が合流したあとで想定される多様な作品状態のなかから,最適な保存ポイントを見つけなければならいので,難しいと考えらえれる.



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