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お守りであるってむずかしいー『街の上で』を観てー

今泉力哉監督の最新作である『街の上で』の感想である。控えめにいって最高である。色々言いたいことはあるのだが、今回は、「お守り」をキーワードに述べていきたいと思う。

若葉竜也さんの「お守り」発言

主演の若葉竜也さんが、舞台挨拶において新型コロナウイルスの影響で人々にゆとりがなくなり、文化のあり方を考えていかなければならないと述べつつ、「明日だけ頑張ろうかなと思えるお守りみたいな映画になっている」とコメントした。

この「お守り」であるという表現、とてもいいと思ったし、まさにこの映画のテーマを物語っていると感じた。だけど、お守りであるってむずかしい。それには二つの理由がある。

お守りのむずかしさ

その理由とは、①お守りがお守りであるためには、効力があると信じられなければならない、②お守りは忘れられてしまうである。例えば、”恋愛が成就する”という言葉が胡散臭いなと思い、買うのをやめる。また信じて買ってはみたものの、買ったことに満足して、机の引き出しに入れられ忘れられる。という事態である。こういった事態を私は経験したことがある。では「街の上で」は、この難しさをどのようにかわし、お守りになっているのだろう。

想像力をひろげるという効力

この作品のあらすじをざっと述べる。主人公の荒川青は、恋人の川瀬雪に浮気されたにも関わらず、別れ話をされる。どうにかやり直したいと考えていたある日、映画監督の高橋町子に映画の出演を依頼される。その中で、古本屋の田辺冬子と演技の練習をしたり、映画スタッフの城定イハと出会っていくが…といったものだ。ありがちな恋愛ストーリーではあるが、下北沢を舞台に、文化についても触れられ、文化の時空間を超えた普遍性と持続性についてもテーマになっている。

若葉竜也さんも言っていたが、この作品をみて人生観が変わることはないと思う。だけど、街を、街に生きる人をみる目は変わるはずだ。それは今泉力哉監督の優しいまなざしと人々の描き方、台詞、長回しによって、お店を営んでいる人にも、それぞれの想いがあること、街をすれ違う人にも、その人の物語があること。そういったことが、優しく丁寧に描かれている。そして実際に生きる人に対しても、想いやストーリーが誰かにみられることはないとしても、たしかに存在していることを気づかせてくれる。それは他者への想像力を促す。そういった想像力をひろげる効力を私はこの作品で感じた。

忘れたら、思い出すことができる

次は忘却についてだが、この作品をみたら、忘れてもいいのではないかと思う。なぜならたとえ机の引き出しにしまったままでも、ふとした拍子に引き出しを開けて、「ある」ことを思い出すことができると考えるからだ。「ある」ことが思い出せれば、その時の気持ちや記憶も蘇る。この気持ちや記憶が明日も頑張ろうと思えるきっかけになり得ると思うのである。このことは文化にも言えることだと思う。みたこと、きいたこと、感じたことを忘れてしまうかもしれない。けれど、映画の半券を財布の中から見つけたとき、撮った写真を見返すとき、そんなふとした瞬間に思い出すことができるのではないだろうか。そして忘れてしまっても、自分の心の中には堆積している。堆積していったものは、自分のものの考え方や感性を醸成してくれる。だから忘れていいのだ。このことは、「文化は残り続ける」という映画のテーマにも結び付く。

最後に

お守りであることはやっぱりむずかしい。この困難を作品が解決しているわけではない。しかしこの作品は、お守りとしての効力を持っていると確信している。また持ち続けなくても、忘れてもいいと思わせてくれる。「街の上で」をみた私たちの心の中には、お守りが確かに「ある」のだから。

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