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『タカラヅカ問題』という没落日本の縮図

伝統という名のウラ部則

昨年9月、宝塚歌劇団の所属女性が転落死した事件。
亡くなった女性の妹さんが出された声明文を、今週のネットニュースを読んだ。彼女自身も宝塚歌劇団に現在所属しており、「遺族の一人として、宝塚の中身をずっと知ってきた人間として、きっちり訴えていきたい」とのことだった。
その声明文によると、悪質でひどいパワハラが行われていたと記されていた。おそらく、100年以上続く宝塚という組織の中では、強烈な徒弟制度が存在し、上級生には逆らえない文化が根付いていたのだろう。そして、「昔からの伝統」として、その文化に疑いを持つ人が少なかったことも想像に難くない。
このニュースを読みながら、先週、対談でお話しした横浜創英の工藤勇一校長の言葉を思い出した。

「守っていた伝統はただのウラ部則(部活のルール)に過ぎなかった」

工藤校長は、前任の麹町中学時代に、当たり前を見直して教育改革を断行されたそうだ。宿題や期末テストなどを廃止して、生徒一人ひとりの自主性を育てることに成功され、政府の教育再生実行会議のメンバーとしても現状の日本の教育について意見されているという。
2020年に新しく赴任された横浜創英中学高等学校でも当たり前を見直すことから始めたそうだ。当時、さまざまな部活動で何十年も守られている「伝統」が、パワハラなどの温床になっていることを問題視されたそうだ。
僕が非常に興味深いと思ったのは、先生はそれを「ウラ部則」と呼んだこと。日本で暮らしている僕らにとって「伝統」と言われると、つい条件反射的に、「守らなければいけない」と思ってしまい、思考停止に陥る。それを、「ただのウラ部則にすぎない」と生徒たちに告げ、自分たちでルールを考える機会を与えたそうだ。

日本人はルールを与えられたものだと考える傾向が強いという。自動車の往来がなくても律儀に信号を守ろうとする日本と違い、自分たちで自由を勝ち取ったフランスでは、車がいなければ信号無視をして道を渡る歩行者は多いらしい。
国民性の違いが如実に現れている。

ルールを破るのは問題だけど、与えられたルールや環境を疑わない日本は、どんどんヤバい国になるんじゃないかと僕は心配している。それは、教科書作りに参加して強く感じたことでもある。

「昔から、そういうものだから」

2022年度から高校の社会科では新しい必修科目として「公共」という科目がスタートした。3年前、どういうわけか僕がその教科書制作のメンバーに選ばれた。学生時代は社会科に一切興味を持っていなかったが理系人間の僕ではあるが、今ならこの教科がいかに大切かは、よくわかる。
「公共」という教科では、僕らが快適に暮らすために公共空間をどのようにデザインすればいいのかを考える教科だ。扱う内容は、法律や経済、金融システム、国際問題など多岐に渡る。本来なら、一人ひとりが社会の参加者としてどのように社会と関わるかを考えたり、みんなが快適に暮らすには何を変えていくべきかを考える科目のはずなのだが、残念ながら多くの学校では知識詰め込み型の教育がなされている。
太文字で書かれたキーワードの「年功序列」や「終身雇用」という言葉を覚えるだけで、その問題点なんて考えることもない。ルールも制度も何もかも、与えられて覚えるものであり、その存在を疑うものではないのだ。僕はここに、日本のヤバさがあると思っている。

工藤先生と対談したいと思ったのは、先生の著書「考える。動く。自由になる。」を読んだからだ。
78ページにこんな記述がある。

“2019年の冬、僕はあるデータを目にして大きな衝撃を受けました。
日本財団がアジアや欧米の世界9か国で17〜19歳の各1000人を対象に国や社会に対する意識を調査し、2019年11月に発表した「18歳意識調査」です。日本の若者たちの回答だけが突出して低い数字になっていることにとてもショックを受けたのです。”

工藤勇一「考える。動く。自由になる。」

たとえば「自分は責任がある社会の一員だと思う」という質問に「はい」と答えたのは、44.8%。他の国では軒並み80%を超えていて、日本の数値は突出して低い。
「自分に国や社会を変えられると思う」という質問に至っては、日本はわずか18.3%。2番目に低い韓国は39.6%もあるし、統制の厳しい中国でさえ、65.6%もある。
この本を読む前に、僕もまったく同じ調査を見て、まったく同じ問題意識を持ったのだ。
別に、若者に対してけしからんと言っているわけでない。僕ら大人も同じような結果になると思うし。
「社会なんて変えられないよね」と思ってしまうのは、「伝統」という言葉なのではないだろうか。組織に入れば、「昔からそういうものだから」という理由で、ゴリ押しされることが多い。学校でも会社でもPTAでも業界団体でも。

日本の未来に必要なのは、伝統に挑む小さな勇気

これは、日本経済の低迷にもつながっている深刻な問題だと思うんですよ。
社会に出る前に、学校で「昔からそういうものだから」と言われて、与えられた環境になれることを躾けられると、社会は自分で変えていくものではなく、与えられたものの中でどう賢く生きていくかを考えるのが当たり前になる。
仕事というものは、与えられるものであると考えて、社会に足りないものを自分が提供しようなんて発想は思いつかない。「年功序列」や「終身雇用」という言葉に飼い慣らされて、無理はしないで働こうとする
人の役に立とうと思って新しいことを始めるのは、会社の中で生きていくにもリスクだし、業界団体も許さない。
そう。ライドシェアがなかなか進まないのがいい例だと思う。
日本社会でこれまで大事にされてきたのは、誰かの役に立つことなんかより、仕事を守ること。せっかく、やる気を出しても「昔からそういうものだから」と説得されて、「社会なんて変えられないよね」と諦めるしかない。これが、日本中のいろんなところで起きてきたのだろう。
世界中で、新興企業がそれぞれの国の経済を牽引しているのに、日本にはそんな会社がほとんど現れないのはそのためだと思っている。
日本経済の低迷というとでかい問題だけど、その解決に必要なのは、一人ひとりの意識の変革と小さな行動なのではないだろうか。
新しく入ってきた人たちに、「昔からそういうものだから」と押し付けるのではなく、組織に属する同じメンバーとして、どうすればお互いが快適になるかをゼロから考えられるようになれば、少しずつ未来は明るくなっていくと思うんですよね。


ここからは、活動日誌的なものです。今週感じたことなど。

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