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ミニマリストへの途中、自宅でハンドドリップのコーヒーを淹れるのをやめた

///この記事は歴史的仮名遣ひで書かれてゐます///

ミニマリストを目指した捨て活は続いてをりまして、このたび自宅で淹れて飲むためのコーヒーセットに白羽の矢が立ちました。Amazonの購入履歴によるとこの習慣を始めたのは2018年のことでもう5年前のことです。おぼろな記憶をたぐって当時の動機を明らかにし、現在の状況とを鑑みまして、コーヒーを自宅で淹れる習慣と必要だった道具類(コーヒーミル、コーヒーポット(やかん)、ドリッパー、フィルター、マグカップ)を捨てることに相成りました。

当時通ってゐた純喫茶で好んで飲んでゐたマンデリンのコーヒーを、自宅でも味はひたいと思ったのが事の発端です。まあ、よくある話ではないでせうか?途中、豆をカルディから求めたり、拘ってさうな近くの焙煎屋から買ったりと試した時期もありましたが、それほど楽しくもなく、結局は通ってゐた喫茶店で量り売りしてゐるマンデリンに落ち着きました。とはいふものの一度だってその喫茶店で飲む味を再現できることはなかったのですが。

豆を掬ってコーヒーミルに入れ、専用の注ぎ口を持つヤカンで水を沸かすあいだ、手でハンドルを回し豆が削られる手応へを感じ、ドリッパーにフィルターと砕いた豆をセットし、ヤカンから適度に冷ましたお湯をゆっくりと注ぐ…。作業プロセスとその成果たるコーヒーの味、また反復による動きの洗練は楽しく心地よいものであり、私自身はあまり興味が湧かないものの「丁寧な暮らし」と言はれるものとハンドドリップはとても相性の良ささうな習慣だと思ひます。

かうした作業自体に不満はありませんでしたが、生活スタイルとの噛み合はなさは常に感じてきたことでした。私は平日にコーヒーを淹れることはほぼなく、週末(日曜)におよそ2杯。100gで7杯は入りますから、ふつう豆屋で買へる単位が200gであることを考へると使ひ切るのに2ヶ月近くかかることになります。件の喫茶店は100gで売りますが、それでも使ひ切るのに1ヶ月。どんなにお高い豆でも焙煎から時間が経つとダメですから許容限界を2週間、とすれば100gで買っても半分程度は常に賞味期限を過ぎてゐる状態です。過ぎたものを捨てるきっぷの良さも持ち合はせてゐなかったので、自らダメにしたものを最後まで消費することに、うっすらと忸怩たる思ひを抱いてゐたのです。

自宅でコーヒーを淹れる習慣を持って5年、いまでは自宅の徒歩圏内2~10分の範囲にコンビニが2店舗もできてゐます。平日自宅で淹れない私は、替はりにコンビニのコーヒーを飲んでゐるので味についての不満は特にありません。人間の舌はふだん触れてゐるものに慣れるものですし、何より一杯110円の手軽さです。さいきん如実に量が減ってるのも寛大に許しませう。もう良いかな、と思ひました。ことのはじめの喫茶店の味を自宅で再現して楽しみたいといふ動機は果たされないまま、作業自体に愛着を持ってしまひ、いたづらに何年も続けてしまひました。もう週末に豆が残ってゐるかゐないかを考へたり、道具を洗ったりする手間はありません。そしてハンドドリップする楽しみも。

み直す機会を作ってくれたミニマリズムには感謝するばかりです。結局人はどちらかを取るしかありません。

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