見出し画像

無能 【創作再開】

高校1年生、特進クラスの窓の外には大きな桜の木が立っていた。ごつごつとしたその幹のせいで視界は遮られていた。それなのに、彼女はいつも窓の外を見ていた。

「何見てんの?」

僕が聞くと、彼女は外を眺めたままこう答えた。

「外…」

「いやそりゃそうだけど、外の何を見てんのって…」

僕が笑うと、

「なんでもいいでしょ別に…」

彼女が笑った。桜の花びらが窓から舞い込んできた。
これが彼女との最初の会話だった。


みんな友達作りに勤しんでいる。インスタやLINEを交換して、中学のときの話や受験の話なんかをしている。そんな中、彼女だけはいつも1人だった。

少し丸顔で、肌が白く、黒髪がきれいな彼女に僕は一目惚れした。まさに清楚系という感じで、どタイプだった。でもいきなり告白なんて不自然だ。まずはとりあえず友達になりたかった。
あの日、僕は彼女に話しかける時、すごく緊張していた。無視されたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、でも仲良くなりたい、そう思っていた。

あの日話しかけて以来、彼女にはとても話しかけやすくなった。いつ話しかけても彼女は受け入れてくれた。でも彼女から話しかけてくることは無かったから、僕から彼女に一方的に話しかけ続けた。友達が「お前あいつのこと好きだろ!」とよく揶揄うから、「まだ片思いだけど?」と笑って答えた。そのやり取りを見た彼女は少し恥ずかしそうだったが、それでも話しかけると楽しそうに喋ってくれた。

「ねぇ、君は何部に入るの?」

「文芸部、とか。」

だから、僕は迷わず文芸部に入部した。僕も本は好きだったし、何より、彼女の書く文章が読みたいと思った。

部活の新入生歓迎会のとき、彼女は僕を見つけても、驚きも喜びもしなかった。
部活動は週に3回ほどだったが、彼女も僕もサボらずに参加した。
3年生が引退した後の9月頃、僕はとうとう彼女に告白した。彼女は「いいよ〜」とだけ答えた。その時はとても嬉しかった。

彼女はデートをしたがらなかった。何も進展が無いまま1年が経とうとしていた。
友達には「そんな彼女、つまらないから早く別れた方がいい」と言われることもあったが、僕は彼女に別れを告げられるまで別れないと決めていた。僕は彼女が遊んでくれなくても、自分と楽しく話をしてくれるだけで充分だった。彼女が別れを切り出して来ることも無かった。

高校2年生になって、歓迎会を行ったが、新1年生は女子3人しか入ってこなかった。2年生は僕と彼女と、あと男子が1人、女子が2人の5人、3年生は男女3人ずつの6人で、計14人。学校の部活の中でもとびきり少なかった。
時間はあっという間に過ぎていった。7月の部活では、先輩が次々に最後の作品を仕上げ、だんだん部活に来なくなった。人数はかなり少ないし、先輩の卒業制作の時にはやることがそんなにないので、夏休みの部活は自由参加になった。
他の部員はみんな遊びに出かけている中、彼女はいつも通り部活に来ていた。もちろん僕も来ていたから、部室で2人きりになった。

「ねぇ、そういえばお互いのまだ読んだことないよね。」
僕が言うと、彼女は躊躇わずに原稿を見せてくれた。僕も自分の原稿を彼女に渡した。
何分、いや何時間経っただろうか、短編2作、長編2作をお互いに読んだ。彼女は何度も僕の作品に目を通していて、少し気まずい沈黙が流れた。
僕はこの気まずさを解消しようと、ストレートに思ったことを伝えた。
「君の作品らしいよ。バッドエンドで…」

「……ダメだ。」

「え?いや、とても君の作品は面白いよ…。終わりがすごく胸に刺さるんだ。僕は君のバッドエンド……」

僕が言い切らないうちに、彼女は席を立った。黙って教室を出て行く彼女を、僕は慌てて追いかけた。

気がつくと、校舎から少し外れた場所にあるプールまで来ていた。
誰もいないプールサイドで彼女は立ちすくんでいた。両手にはには僕の原稿を持っていた。

「ねぇちょっと、それまさか……」

まさかだった。
彼女は原稿を持ったまま、プールに飛び込んだ。
彼女が水から顔を出した。目が合った。

「どうして……」

「あなたの作品、つまらなかった。」

彼女は目を細めて僕に叫んだ。太陽の光が水に反射して眩しくて、僕も彼女の真似をして目を細めた。
そして彼女は続けた。

「あなたも、手に持ってるそれ、私の原稿と一緒に、飛び込んでよ。」

僕は困惑して立ち尽くした。彼女がプールから上がった。水を含んで字が滲み、今にもちぎれそうになっている僕の原稿を手にしたまま、僕に近づいてきた。そして僕の持っている原稿を取ろうとした。僕は慌てて手を上にあげた。僕は元バスケ部で身長は高い。小さな彼女には届かない。彼女はそれでもムキになって取ろうとした。必死でジャンプする彼女の手が、たまに原稿に触れてヒヤヒヤした。

「僕のつまらない作品はどうだっていいけど、君のはダメだよ。さっきも言おうとしたけどさ、僕は君のバッドエンドが好きだ。だから諦めて、ほら……。」

彼女は、僕の足元でうずくまって泣いていた。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

高校生活が始まった。
私は第1志望に落ちた。
努力なんてただのゴミだ。
高校受験で学んだことはそれだけだった。

この私立の高校、制服は悪くないけれど、生徒は正直、バカしかいない。特進クラスでこれか、と呆れてしまった。みんなインスタ交換だのLINE交換だのに必死だ。どうせ今ここで繋がった相手とは今年限りの仲だろう。そもそも仲良くなれるか分からない、素性を知らないやつと、連絡先を交換する意味が分からなかった。こんなクソみたいな学校で3年間…と思うと、少し苦痛に感じた。

窓際の隅の方でよかった、と私は思った。ここならあまり人目につかないし、いつでも外を見ることができる。外には見慣れない大きな木が立っていて、幹の筋を目でなぞるだけでも十分暇つぶしになった。

「何見てんの」

さっきまで大騒ぎしてた、頭の悪そうな高身長男子が話しかけてきた。

「外」

だって仕方ない、私は外を眺めている。
その男子は「いやそりゃそうだけど…」とか何とか言って笑いかけてきた。嫌なやつではなさそう。私も笑って返した。

そいつはその後も何度も私に話しかけてきた。意外と嫌なやつではないし、不快なことを言ってくるわけではないから、私も普通に仲良くするようになった。仲良くすると言っても、話題がないので、いつも話しかけられるのを待つだけだった。そいつのおかげで学校はちょっと楽しくなった。

そいつは私と同じ部活だった。明らかに運動部らしい体格をしているから意外だ。
夏休みが終わり、先輩が引退した後の部活で、みんなが帰っても部室にしばらく残ってくれ、と頼まれた。
私は何の用事か勘づいていた。案の定告白された。「好きです、付き合ってください。」 テンプレ通りの告白だったので思わず笑いそうになったが、彼のことは嫌いじゃないのでOKした。

でもデートとかそういうのは丁寧に断った。性にあわないというか、デートをする必要が無いと思っていた。彼ともいつ別れるか分からないし、思い出を作りたいとも思わなかった。彼はデートなんて行かなくても大丈夫だと言った。

高2の夏、部員はみんなサボっている中、私と彼だけは真面目に来ていた。2人きりの部室で、彼は急に「お互いの作品を読んだことないよね」なんて言い出した。当たり前だ、この作品は部員のために書いているわけじゃない。でも彼になら見せてもいいと思い、交換した。

彼の作品を読んで私は驚いた。
彼の作品は芸術そのものだった。繊細で美しかった。あんなにバカそうで呑気な彼とは正反対のイメージだ。

彼は私に喋っていたが、言葉が何も頭に入ってこなかった。私は彼の才能に、ひたすら嫉妬した。そして後悔した。今まで見下していた。馬鹿にしていた。でも彼は紛れも無い天才だった。

私は教室を出た。

水泳部も休みだ。プールは空いているはず。
いざ水面を目の前にすると、飛び込むのは躊躇われた。濡れたまま帰らなければいけないし、いくら夏でも水はきっと冷たい。

後ろから彼の声が聞こえてきた。

私は思い切って飛び込んだ。学校のプールに飛び込むのは初めてだった。そこは思ったよりも深く、塩素の匂いがきつかった。慣れていないからか、水が鼻に入って痛い。

顔を上げると太陽の光が目に飛び込んできた。眩しくて思わず目を細めた。よく見ると、プールサイドで彼が突っ立っていた。怒っているというより、驚いていた。

「どうして…」

彼はそう呟いた。

「あなたの作品、つまらなかった。」

私は嘘をついた。彼が傷ついても別に構わなかった。彼は自分の才能にまだ気づいていない。そんな彼の作品を他の誰にも見せたくない。自分だけが読めればいい。そう思った。

彼はもう、自分の作品がボロボロになったことを諦めたような顔をしていた。

それにしても少しやりすぎたな、と思った。1年半かけてできた長編も、この一瞬でボロボロにしてしまった。元に戻す事は出来ないが、私の作品をボロボロにすることならできる。どうせ彼の作品に比べればゴミだ。
彼には、私の作品を持って飛び込んでと言ったのに、頑なに動こうとしなかった。

そんなに飛び込みたくないならと、私は自分の原稿を奪って水に沈めてやろうと思った。しかし彼の腕が長すぎて、なかなか届かなかった。私は悔しくて何度もジャンプした。紙に触れることはあっても、なかなか掴めなかった。
すると彼は思わぬことを口にした。

「僕は君のバッドエンドが好きだ。」

私はバッドエンドしか書けなかった。敢えてバッドエンドにして、読む人の気を引くことしかできなかった。技術が無いからだ。私には才能なんて無い。だから人を傷つける話を書くしかなかった。

自分でも分かっていた。だからこれで最後にして、文芸部をやめて、もう二度と書かないようにしよう、そう思っていた。

素晴らしいものを書くやつが隣にいた。今の今まで気づかなかった。馬鹿なのは私の方だ。そんなやつが、この馬鹿が書いた話のことを好きだという。

ふと我に返った。全身の力が抜けて座り込んでしまった。涙が止まらなかった。彼が何をしたというのか?彼は何もしていない、むしろこんな無能を慰めている。時を戻しても私の罪は消えない。


太陽の熱で彼の原稿は乾いて萎れていた。
髪をつたって流れる水滴は血液のように生温かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?