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初夏の長電話

ついこの間、友人と4時間に渡る長電話をした。
気の合う友人と、部屋にこもって4時間ただただ語り続けるというのは案外楽しい。

その中で特に印象的だったのは「最近、自分が誰なのかわからない」という話。
人によって、自分のキャラクターが変わるから1人になった時の自分は何者かわからなくなるというのは共通の悩みだった。

私はその話の中で「素の自分を見せたときに、相手が私を受け入れてくれる自信がないから、うっかり演じてしまうのかも。あはは」と弱気な分析をした。

そうしたら、友人が「相手に合わせる優しさを持っているとも言えるよね、相手が喜ぶ自分でいられるように気遣えるんだよ」と言い換えてくれた。

友人の言い方は、励ますようでもなく、それこそ気を遣っているようでもなく、ただ思ったことをポンと口にしたような言い方だった。

でもその時に、あぁ有難いなぁとしみじみした。
私は自分のことになると何事もネガティブに捉えがちだけど、周りにはそんな私をさらりと肯定してくれる人がいる。

きっとこの感謝を伝えたら、彼女は「本当にそう思ってるから」「励ますつもりではないよ」と真顔で言うだろう。

励ますために本当に思っていることを隠して肯定してくれると、こちらも歯がゆい気持ちになるけれど、そうではないと分かると本当に嬉しい気持ちになる。

1人で凝り固まっていると、その先には絶望しか見えないけれど、昔から気の合う友人と話してその人の考えを聞くと、自分のルーツが見えるような気がする。

その人と仲良くなった当時の自分が、今の自分に答えを示してくれるような感覚さえある。

彼女は私が悩んでいるとき、いつも似たような言葉をかけてくれる。
自分の意思を尊重しきれない自分に辟易していると、「それは相手のためを思った優しさだ、傷つける人よりよっぽど良い」と幾度も言ってくれる。

先日の電話も、そんな彼女の一貫性のある「過去の言葉」とリンクして心が軽く温かくなった。

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本当に大きな悩みごとや迷いごとは、人に言うのが怖い。だって口にすることで、その悩みをより大きな敵として認識してしまうから。

でも時には、誰かに話すことも必要だと思う。
自分以上に自分のことを知っている家族や友人なら、自分が否定している過去や行動を全て理解した上で、違う角度から言葉を届けてくれる。

それが暗闇の光になって、本当に這い上がるきっかけになることだってある。

先日の友人との電話は、そんなに重苦しいものではなかったけれど、それでも電話をする前よりも明るい気持ちになったのは、彼女の考えが気持ちを明るくしてくれたからだと思う。

彼女の考え方や価値観が、自分の大切なところを壊さない優しさで溢れているから、私は彼女を好きなんだと思う。

私も彼女の素敵なところをずっと素敵だと思い続けたいし、その素敵なところが壊れないような関係でいたい、と改めて思う。

そんな初夏の長電話。素敵な夜でした。

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