見出し画像

教科書にはなぜ肝心なことが書かれていないのか?

はーい^^もこもこです。まん防の影響で、夕方のラッシュ時のぎゅう詰め地獄の埼京線や湘南新宿ラインの車内の乗客の間に隙間が!空いてて良かったーとホッとしたのも束の間、寄り道ついでに寒いし空腹でラーメン食べたいなぁと22時ごろに繁華街にやって来ましたが、ほとんどのお店は閉まってました。営業しているラーメン屋さんには長蛇の列が。あーあ、が〜っかり‥。

冷蔵庫の残り物でなんとかするしかないわねぇ。

と云う訳で、白菜プラス冷蔵庫の残り物ぶっ込み鍋を作りました(巻頭のごった煮の写真です)

満腹になったところで、今日のお題です。

【教科書にはなぜ肝心なことが書かれていないのか?】

【私の感想】

私は学生時代、日本の教科書を読んでもほとんど理解できませんでした。

教科書に書いてある歴史や史実や科学的な知識について、もし今の間違いが訂正され、内容が今より改善されて良くなったとしても、私は教科書を二度と開く事はないだろう。

物事や知識が教科書に乗った途端に時間が停止し古びてしまう。私の経験で恐縮ですが、教科書に書いてある多くの知識は実際の仕事の場面になると古い知識で使えなかったり、現実と全く違っていることが多い。

切り取ったとたんに時間経過が止まってしまう宿命は、逆を言えば連続する時間の流れを止めるかの如く記録する書籍や映像など、一瞬を切り取り表現する手段に共通の特徴なんだろうなぁ。

パソコンやアプリのアップデートが数日おきや毎週行われているのと同じように知識も頻繁にアップデートしないとすぐ使えなくなってしまう。

例えば料理のレシピ通りに作ったはずなのに、全く違う料理が出来上がってしまうことが私の場合はよくある。私のやり方がどこかで逸脱していたり間違っているのだろうけど、どこでそうなったかは自分では分からない。教科書もそういうものなのかも。

教科書には答えが載っていない。約30-40年前の私の小中高時代に教科書ガイドが売れていた。令和の現在ではどうなんだろう〜?

教科書には、肝心なことが書かれていない【敢えて欠落している】と私は今でも思っています。

教科書に肝心なことが書かれていないのは、意図的なのか、自然のことなのか、劣等生だったわたしには知る由もない。

教科書になぜ答えや肝心なことが書かれていない理由として私が思いつくのは、学ぶ人たちに新しいアイディアを探求させ、内側から引き出されるように促したり、答えはどこにあるのか分からないけど、もしかしたら自分の内外のそれぞれ両方の世界のどこかにあるかも知れないと想いを馳せることができますようにとの潜在意識的な願いなのだろうか。

自ら疑問を持ち、探求心を持つことが、学び続ける生き方に必要不可欠なのだという、潜在的なメッセージが教科書の行間に隠れたバグのように存在するんじゃないかなぁと私は思っています。

マイツ君と一緒に空いた電車内で読書を楽しんでいます(^^)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?