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パー高卒のPTSDで記憶障害持ちがアメリカ🇺🇸の大学を卒業出来た私の勉強術

カフェで簿記三級の勉強していたら、頭痛と腹痛に襲われて、凹んでいます。

私の場合、体調が良く元気いっぱいでやる気マンマンの状態、幸せいっぱいの、ベストコンディションで勉強に励めたことは、まず無い。

腹の激痛だったり、頭痛、鬱、頭がぼーっとする‥身体のどこかか、メンタルがかなり具合が悪く、心身がかなりイカれた状態、病み病みでキツい労働や勉学に耐えなければならなかったし、今もそれは変わらない。

やだなぁ〜〜〜

なんで私だけ、こんな運の悪い心身に生まれちゃったんだろう???

でも、顔面偏差値が高く、リッチで幸せそうな人々は辛いチャレンジなんてしないし、もしやったとしても、簡単に辞めちゃう‥

そういうパッと見幸せそうな人々は、現状で満足しちゃっていられるし、ここが嫌なら、他に行くところあるからね。受け入れてもらえる先があるのは、いいことなのかも。

なにも、こんなしょーも無いところで無関心と嘲笑に晒されながら踏ん張って働く必要も、額から汗水垂らして働くのと変わりないようなキツイ勉強に変人扱いされながら耐える必要もない。

この間さ〜愚痴っちゃうけど
仕事で都心の一等地にある、タワマンで、若いかわい子ちゃんに会ったのよ。女子アナの三田パンを若くした感じ。

でさ〜『英語が出来るようになりたいけど、英単語が覚えられない』って言うんだよ。

そんなん、私も同じだわ‼️

こっちは、親からの性虐待からの、PTSDで記憶障害ありの、解離持ち、フラッシュバックで異常な皮膚感覚、腹の激痛(性被害のトラウマ反応)でさ、日本から逃げるようにして渡米したんだよ。

アメリカの語学学校でも全然勉強出来なくて、現地にいる日本人にまで、『なんで、そんなにバカで英語出来ないのに、わざわざアメリカまで来たのよ』って、呆れられていた。

語学学校に通って1年以上、全く英語が上手くならない私の様子を見た、コミカレから学部編入した、元パー高出身の日本人女性が、半分呆れながらも、『コミカレでクラス取ったほうが早く英語が上手くなるよ』と私に声を掛けてくれて、彼女の車に乗っけてくれて、田舎の日本人がいない、陸の孤島のようなコミカレに連れて行ってくれて、その日のうちに入学、入寮してしまいました。

教科書を購入して、1ページ目から、全部知らない言葉ばかりで、びっくり‼️
あの衝撃は卒業して10年以上たっても忘れられない。

1ページ1時間かけて単語やフレーズを調べるのを毎日数時間、思い出せるだけで、3-4時間位やっていたかな〜
当時もだけど、私の記憶がめちゃくちゃであやふやなんだよ。
私は、よく腹痛や頭痛に襲われて、床にぶっ倒れては起きてやっていた。

暗記するときは、頭に入らないので泣きながら音読していました。泣き疲れて机の上や床に突っ伏して、うとうと数分から30分程度眠り、また起きて音読したり、スペルを紙に書いて、また短時間脱力して眠ることを繰り返していたら、

リラックス(脱力短時間睡眠)すると頭に入る‼️

ということを体験したので、

暗記→リラックス→暗記→思い出す、紙に書いて確認したり、自分に先生が教えるように説明する

を繰り返していたら、最初は少しずつしか覚えられなかったけど、徐々に記憶力の袋の風船が伸びるようにして、頭に入る量が増えていったなぁ〜

年上のクラスメートが、スタディグループを作ってくれたので、毎朝7時から図書館のロビーにある談話コーナー(ラウンジ)に、十人前後集まって、授業で習ったことの復習やお互い暗記クイズをやったり、おしゃべりしたり、お互い励まし合って膨大な専門用語の暗記に励んでいました。

英単語には、PrefixとSuffixといった、日本語の『へんとつくり』のようなものがあり、それも教科書に一覧表があり、クラスメイトにも教わりながら覚えることが出来たので、知らない単語が出てきてもだいたい意味を推察することが出来るようになりました。

スタディグループのお陰で、アメリカ人が文章ごと暗記しているのを、自然と真似ることが出来たせいか、効率的に学べて、英語力がかなり向上しました。

私は高校時代、当時流行っていたDUOという単語集を購入したことがあったのですが、丸暗記が出来ないせいか、中身をちらっとみただけで放ったらかしでした。

アメリカ人と一緒にスタディグループに参加することで『暗記が出来なくて苦しんでいるのは、自分だけじゃない!』って安心感を得られたお陰で、やる気やモチベーションを保つことが出来、とても心の支えになりました。

アメリカの大学は、取った点数がそのまま成績評価になるので、規定の点数を取った学生全員がその成績になります。
例えば、クラス全員90点以上取れば、全員Aの成績になります。

成績上位の学生が、他の学生に勉強を教えて学習の手助けをすると、成績として加点され、教授に認められると労働としてタイムカードを与えられ、給与が支給されます。⬅️これは、画期的ですよね‼️

日本でなぜ私は勉強が出来なかったのか‥?

PTSDによる記憶障害もありますが、やはり相対評価による影響は大きかったですね。今の学校の成績評価基準は分かりませんが。
私の居住地は当時、内申書重視で、先生に気に入られないとまともに進学できない。公立高校の人気がある地域だったのもあり、

誰かの点数が上がると、誰かの点数が下がると言う、激しい競争の悪影響、自分さえ良ければという利己主義(大人の心理の影響)孤独感や人間不信に晒されていたと思います。

自分さえよければ、という気持ちが消えて、誰かと助け合って学ぶように、人生を生きることができるんだ、ということをアメリカ🇺🇸での大学生活でも学びました。

私は機能不全家族で生まれ育ったせいか、

他人は敵!妬んで潰しなさい!
自分さえ良ければイイ!

⤴️こんな狂った考え方を刷り込まれて育てられてきました。今でも、なかなか取れない、しつこいシミになっちゃってる。

でも、誰かを救うために学び続ける人生のほうがやりがいある、幸せな人生だと、五十歳過ぎてから気がついたよ。

誰かと争ったり、競ったりしていても、何とかなるのは、体力気力、見た目も魅力的な若いうちだけ。
体力気力、見た目が損なわれた中年以降では、幼稚なだけなんだと気がつきました。

コンビニの前で、酎ハイを煽りながら、前を通る通行人に、『ちっ!』『ゴホン』とむっとしながら、時々怒鳴ったりする老人をみて、本当にああはなりたくないと思います。

やっぱり、誰か、たくさんの人々と繋がって助け合って生きていった方が楽しいし、金銭的、物質的に厳しい生活をしていても、精神的には豊かに暮らせると思います。

誰かを救うためには、自分が生きなきゃだけどね!自分をまず死なないようにしなくちゃ。

でも、今まで病気や謎の体調不良やフラッシュバックの幻覚に襲われて、なんども死にかけた。下血しているのに入院させてもらえなかったり、一般病院や医師からも謎の症状で見放されてしまうことが多く、呼吸器内科での喘息治療と、精神科でのトラウマ治療メインであまり弄らずにシンプルな治療を受けられたのが良かったかもね。

だから、今、訳の分からない痛みや苦しみに悩まされている人々に伝えたい!

あなたのその苦しみは地球🌏の上にいる誰かの役に必ず役に立っているよ❣️

どんなにつらいことがあっても、何かを学び続けよう!亀のようにのろのろ🐢でも、1ミリでも進めたら進歩だよ😃

後ろに下がるのは簡単だけど、一歩だけにしよう😉

今日、ひとつだけ言葉をゲットしよう。

新しい言葉は、どんな音?どんな光景が見える?どんな匂い?どんな手触り❓その言葉は冷たいか熱いか、どんな暖かさ?どんな手触り❓

無知盲目な自分の感性をひっぱりだしてみて‼️

ヘレンケラーがサリバン先生に、手のひらに水を付けてもらい、濡れた指でWaterって書いてもらって言葉を初めて知ったように。

紙の上だけ、画面の上にだけ映る未知の新しい言葉は、死んだままなんだよ。

どうか、その未知の言葉に、あなたの魂を吹き込んでみて❣️

そうすれば、きっとその言葉はあなたの魂の中に息が吹き込まれたように入ってくるはず。

呼吸とともに、寄せては返す海の波のように、なんども繰り返しているうちに、自然と自分に馴染んで来ます。 

言葉も数字も、慣れ親しむ、なじむって大切なんだろうな。

‥というわけで、今日ももがき苦しんでます😅😅😅

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