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あとがき

大分御無沙汰してしまい、完結にもお時間をかなり頂戴致しまして、誠に申し訳ございませんでした。

実は、はじめは、お休みの間、拝見させて頂いていたnoteの皆さまの記事から、勇気や元気を頂き、

私なりに、リハビリがてら、noteを離れていた間、
どうしていたかをお話にしてみようかな…

位に思っていました。

が、組み立てたお話しをいざ書いてみたら、

「…あれ?結構いろんな事あったかも?…(;´∀`)?

みたいになり(^.^;

こんなあやしく長い仕上がりのお話しとなりました…(;´Д`)スミマセン…


実は、執筆中に、ご相談がかなり増えまして(;´Д`)

はじめて取り扱うケースなどもあり、
お恥ずかしいのですが負荷がかかり、急遽、

「ちょ、自分何とかしないと!三( ;∀;)

な時期が重なりましたのと、

頑張って書いた記事達がきれいに消えるという、悲しき事故にも見舞われ…(´;ω;`)ウウ…

そして、

書きながらどの辺りまで書いていいのか、

どこを書きたいのか、と、

悩みながらの作業となった為、

お時間がかかりました事、深くお詫び申し上げます。

途中、何度も、どうしよう、と思ったのですが、
書きはじめた以上は、とりあえず、せめて、
伏線回収までは書かないと、と思い、
(伏線回収しない話を読むとモヤモヤする質です(^.^;)



結局、いつもなら、ここまででやめとこう…と
思うラインを超えて書いてしまった為に、

あやしすぎる←いまさら(^.^;

おかしすぎる←同上

どうしよー!←同上

はずかしいよう!←…(^.^;

と、激しく葛藤(悶絶?)しながら、えっちらおっちら書く事となりました…(;´∀`)ウウ…

そんな私の書いた拙い文章を、お忙しい中、あたたかい目で、最期までお見守りくださった皆さまには感謝しかございません。
本当にありがとうございます。

(こちらは、あくまでも「おとぎ話」と捉えて頂き、お目通し頂けますと嬉しく思います。)


タイトルを一陽来復の娘としましたのは、実はいくつかの意味を持たせているのですが、

私は、一陽来復の語は、冬至という自然現象をあらわし、死と再生をも意味し、易経では、陰極まりて陽と変ず というようなあらわし方をされている、自然現象、人の人生、在り方、ひいては、それらをも内包した普遍的な物事の在り方などを現している語と解釈しております。

(noteの皆さまは博識でいらっしゃいますので、ご存知の方も多いかと存じますが)

私達人も自然の一部であり、そのような現れが、人生のどこかで起きたりする訳ですが、

長く多くの方々の人生に触れながら、

不変なものはない、というこの世に生きる私達は、

生きながらにして、日々、死と再生を繰り返し、

ながら存在している、

そして、その深奥には、表面的な生死を越えたものが息づいていて、それに包まれながら存在し、
また、それらと私達は決して分けられるものではないのだ、と、


そういうことを感じていて、その、気づきや想いを、
いつのころからか、何らかの形で、形にしてみたいなぁ、と、どこかで思っていたのだと思います。


書き起こしながら、いろいろな気持ちや情景、
やり取りなどを改めて思い出す事で、

また、私自身の気持ちも変化して行き、

書くという事の面白さ、奥深さを、

体験出来たように思っています。
 

私達は、

形や現れこそ違え、皆、みんな…

例え、どのような事に見舞われても、

都度、よみがえる命を持った…

さまざまな可能性を秘めた、

一陽来復の娘なのだ、と…


…こんなに長く書いておいて、こんなにコンパクトにまとめられた事にショックを受けつつ 泣
まとめの言葉とさせて頂きます(^.^;

今回、フォトギャラリー掲載の画像をタイトル画に使用させて頂きました。

当初は(私なりには精一杯頑張って書いた文章ですが)、あやしいお話しに使用してご迷惑になるのも、と思い、自分で撮った写真で、と思っていたのですが、

noteのクリエイターの皆さまの素敵なお写真を拝見しまして、お話しのイメージ通りの素敵なお写真をいくつか発見してしまい、悩んだ末、公開しておられる皆さまのご厚意に甘えて、この度は使わせて頂く事に致しました。

この場を借りて、深く御礼申し上げます。

noteでなければこんな風に書くことは出来なかったと思います。

この度は、ご縁を頂きましてありがとうございました。


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