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2020/7/15  恥ずかしいけど認めてみる

好きなものより嫌いなものにこそ、その人が宿るのかもしれない。
嫌いという感情は強い。転じて好きになる場合もあるし、好きにならずとも嫌いなまま関心が続き結局ずっと追っている場合もある。

#もぐら会 のSlackで嫌いな漫画という文字列を見たとき、しばらく頭を巡らせてふっと思い浮かんだのは、あだち充の「タッチ」だった。
それをきっかけにいろいろな漫画が頭に浮かぶが、とうとう最高に嫌いな漫画を思い出す。紡木たくの「ホットロード」だ。

どちらの作品も人気作で好きな方も多いだろう。でもわたしはこの2作品のヒロインが好きになれない。
ストレートにいうと、何も言わずにボロボロ泣いているだけですべて受け入れてもらえるとかありえないしムカつくしなんでそれ許されるわけ!?でなんで愛されるわけ!?っていう自分のコンプレックスが見え隠れする書いているだけで恥ずかしい感情を逆なでされるからだ。

嫌いな漫画というワードをSlackにあげた友人は、少年漫画の主人公がだいたい嫌いらしくその理由を説明していた。
わたしの場合は、恋愛マンガの守ってあげたいタイプのヒロインがだいたい嫌いだ。

今よりももっとステレオタイプな性役割が強い時代だった90年代、男子はホットドックプレス、女子はJJやCanCamを熟読してデートコースもモテテクも雑誌から仕入れて実践していたマニュアル世代。
雑誌だけでなく小さい頃から読んできた少女マンガの刷り込みも大きかった。
恋愛マンガも夢物語であるなら、花男やちょっと前のドラマ「恋は続くよどこまでも」ぐらいファンタジーみのあるぶっとんだ作品のほうが面白いと思う。

でも、合コンではサラダを取り分け、レストランで会計のときは全く払う気はなくてもとりあえずお財布だけはだしましょうみたいな感じのモテテクマニュアルが透けてみえるようなリアクションの(偏見です)ヒロインはいけすかなくて嫌いなのだ。(こじらせてます)

心の恥部から怨念がわきあがってくるのはホットロードのかずきみたいな女だ(恥ずかしい)

昔からあのマニュアルみの強い恋愛戦線から抜けたい願望が強く、とにかく彼氏さえいれば恋愛の戦場から一歩退くことができるので、彼氏はいるに限るという感じだった。
少女漫画みたいな恋愛って本当にあるのかという謎はとけぬまま年だけとってしまった。

少女まんがでも小椋冬美作品、岡崎京子作品、吉田秋生のBANANA FISHなど一生忘れない作品もいっぱいある。
動物のお医者さんや PaPa told me など恋愛要素がない漫画を好んで読んだ時期もあった。

でもホットロードに最高にムカついていた想いは消えないと思う。
恥ずかしい。



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