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公共の場で怒り狂う人々

愛知から神奈川に引っ越してきてから電車をよく利用するようになった。最低でも週に3回は乗っている。都内へ取材に行くことも増えたので、1時間くらい乗っていることも多い。

移動時間が長いせいか、変な人を見かけることも圧倒的に増えた。

耳を劈く(つんざく)ような声で叫ぶ中年男性はホームで怒り狂っていた。
「てめえ、俺がどんな思いで今ここで待たされてるのかわかってるのかよ!殺すぞ!殺す殺す殺す!!!!」

肩幅が狭くひょろりとしていてずいぶん小柄なのに、こんなに大きな声が出るなんて......すごい肺活量だとおもった。

またある日、日差しが照り付き酷暑が続いた日のこと。バイト帰りに、ついぼーっとしていたら電車を降り過ごしていた。

気付いたら小田原駅まで行ってしまい、じりじりと太陽に焦がれながらホームに出ると「クソっ!クソっ!」と言いながら頭をかきむしる30代くらいの男性がいた。

(ああ、この人もわたしと一緒で乗り過ごしたのか)と、ホッとしていたら、しばらくして男性が「ウワアーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」と叫びだす。周囲の人の鼓膜を突き破る勢いで。元気玉でも作れそうなほどの声量で、心臓が飛び出そうになった。

そして今日起こったこと。人でごった返している横浜駅のホーム、男性に勢いよくぶつかられた。少々小太りで白髪混じりの、60代くらいだろうか。

彼はわたしを肩で押しのけるようにして強引につき進み、他の人ともぶつかっていた。イラつきが頂点へ達したのか、その場で地団駄を踏み怒り狂っているように見えた。

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こうして文章に書き起こすと「変わった人がいるもんだなあ」と状況を俯瞰できるが、実際に遭遇した瞬間は怖くてたまらない。遠くにいるならまだしも、その距離は半径数メートルにも及ばない。すぐ隣にいることだってある。

もしも、自分がアントニオ猪木のような見た目なら話は別かもしれないが、ほとんどの女性は男性に力では敵わない。だからこそ強い恐怖を感じる。

今日夫にこのことを話したら「そういう光景を見ると、犯罪の予兆に思える」と言った。日常の風景ではなく、一社会の問題として十分に捉えていい。

最近Twitterでこんな記事を見た。

この動画は『ザ・デイリー・ショー』というアメリカの風刺ニュース番組の切り抜きで、司会のトレヴァー・ノアが「男性とセックスの権利」についてこう話している。

人々は男性がこの社会の中で、どれだけ「信愛」の欠如を経験してるかということに気づいてない。

そして彼らにとってこの「信愛」を経験することができる唯一の機会がセックスなんだということ。

私たちは男性にとってお互い「弱みを見せること」を恐る社会を作ってしまった。
共に感受性を持って接すること、お互いを思いやること、愛し合うこと。これらを恐れてしまっている。

男性は友人同士で「愛してる」と言えない。言うとしてもちょっとチョケないといけない。ただシンプルに言うことができない。

ーー中略

男性が「実はセックスが必要なんじゃなくて、ただ抱きしめられたかったんだ」って言える社会になればいいなと。

「セックスじゃない場面で男性が抱きしめられる機会があまりない社会に住んでるから」って。

『ザ・デイリー・ショー』男性とセックスの権利

駅で怒号をあげたり、怒り狂っている人を見るとまさにこの「信愛」が関係しているのではないかと思う。

やはり女性は男性に比べて、自分の弱みを見せることが得意な気がする。主婦会やママ友会では旦那の愚痴や育児の悩みなどが繰り広げられるが、男性ではあまりないと聞く。(そもそも、そういう会すら少ないのでは)

そんなわたしも幾度となく女友達に救われてきた。

悩んだときも悩んでないときも、なんでも女友達に話を聞いてもらう。過去に励ましてもらったり、寄り添ってもらった経験は自分の中で宝物のようになっていて、思い出すだけ胸がじわりと温かくなる。

しかしそれは定期的にコミュニケーションを取っているから起こることでもある。お互いのことを共有するたびに関係性がアップデートされ、同時に昔のことも思い出す。ただ近況を報告するだけではなく、辛かったことや、悩んでいること、ネガティヴな感情を共有して初めて「信愛」が生まれるんだと思う。

女性は友達や母親に相談することがごく当たり前のようになっているけど、男性の場合は少なく、特に母親と仲が良いと周囲からは「マザコン」と言われかねない。

多くの男性は小さい頃から「男なら泣いちゃダメだ」と教育され、弱音を吐いたり、泣いたりすれば「女々しい!」と叱られてしまうことも。

ただただ愚痴を聞いてほしかったり、そばにいてもらいたかったり、抱きしめられたかったり。生きていれば、なにかにすがりたくなる瞬間が誰しも絶対にある。そこに性差はないはず。

駅で叫ぶ男性達もきっとそうなのかもしれない。むしゃくしゃしてるけど、誰にも話せない。話す人がいない。話せなくとも誰かにハグされれば、すこしはイライラが軽減されるんじゃないかな。

30秒ハグをするだけで1日のストレスが3分の1になると言われているくらいだから。効果はバカにできない。

もっとひとりひとりが弱みを見せられる社会になればいい。

ドイツ、ベルリン在住のイラストレーター香山哲さんの漫画『ベルリンうわの空』を読んで感じたことでもある。香山さんはベルリンの街全体が優しさや余裕を感じると表現していた。

とはいえ、ベルリンでも公共の場で攻撃的になっている人は存在するらしい。
しかし、彼が見たのは駅で泥酔した人がヤケになっていたのを、横にいた他人が抱きしめる光景。それから「つらいことがあった?」と聞いていたそうだ。

今まで生きてきてこんな状況は見たことがない。しかし海外では意外とあることのかもしれない?

この話を知ってから、社会全体が目指すべき姿はここなんじゃないかと感じた。

性差関係なくもっと自分の弱みを見せられて、共有できる瞬間が必要だと思う。そしてわたしも安心して電車に乗りたいし、街を歩きたい。ひとりひとりが信愛に触れることができれば、実現できるかもしれない。

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