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やりたいことをやりたいだけじゃダメなのか

仕事のストレスで労働の意欲を完全に削がれていたときに、どうしたら働かないで生きていけるか毎日のように考えていたことがあった。(誰しもが一度は考えたことある悩みだろうけど)そんなとき、すこしでもヒントがほしくて本屋へ行った。

そもそも働くってなんなのか?答えを知りたくて社会問題の本棚にへばりついていたところ、栗原康さんの本に出会った。栗原さんはアナキズム研究者で、政治学者。大学の非常勤講師もしている。彼の痛快で自由な文章はわたしを虜にした。最近は『はたらかないで、たらふく食べたい「生の負債」からの解放宣言』というエッセイにハマっている。

本のなかでは栗原さんが定職につかないことを彼女や彼女の周りがやたらと釘をさしてくるのだが、そのたびにヘラヘラと笑いすごしなんとかその場を切り抜ける。そんなある日彼女の会社の飲み会に顔を出すとその場にいた大人にショッキングな言葉を突きつけられてしまう。

かの女から、同僚と飲んでいるのでいっしょにどうかとさそわれた。いってみると、ひとのよさそうな男女5人ほどで飲んでいた。軽くあいさつをして、大好きなビールを飲みはじめると、ひとりがとうとつにこうきりだした。「三◯歳を超えて夢追い人みたいなことはやめましょうよ。現実をみつめてください。この時点で大学教授になれていないのって、才能がないということなんじゃないですか。はやく足をあらって、身をかためましょう」。きっとかの女にたのまれたのだろう。帰りたい。
ーー(中略)
この年齢で大学教授になっているひとはいないということや、そもそも大学教授になることが目標ではないということをはなした。じゃああなたはなにがしたいんですかときかれたので、わたしは本がよみたい、本をかきたいとこたえた。それじゃあ、子どもとかわりないじゃないですかと冷笑されたのでわたしもヘラヘラと笑ってみせた。かの女はゲロゲロと吐いている。

はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言

栗原さんの本がよみたい、本をかきたい、という切実な想いに目の裏が熱くなるのと同時に頭がくらくらした。わたしも正直いうと仕事はつらくてたまらないのだけど、文章を書くことはやめたくない。ただ本を読んで(いつか)本を書きたいだけなんだよね。しかし、こういう考えは世間さまに言わせると子どもと変わらないらしい。じゃあ大人になるってどういうことなのか教えてくれよ。やりたいことをただやりたい、だけじゃダメなの?

転職サイトや派遣サイトの求人案内を眺めるがどのページを見ても自分にはやれないだろうなとおもってしまう。なんせポンコツだから。だったらある程度貧乏でも必死に文章書いていつか金になるためにがんばるほうがまだ清貧でいいんじゃないかって思ってしまった。
でも実際にはそうもいかないよなというのが本音で、いまだに正解は見つかっていない。だけどわたしは人から笑われてもお金にならなくても自分の力で書いていきたいとおもっている。人が働かなくてよくなる日はくるのかなあなんて空想しながら春の風を浴びる。世界のスゴい人、さっさと人類を労働から解放してくれ。

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