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日々with病~乳がん3年目の振り返り~

「死」は今どれくらいの距離に居る?

「あなたは乳がんです」突然告知されたのが3年前。当時、私のすぐ側に「死」は間違いなく居た。寄り添ってジッと私をみていた。
治療はなかなか辛かったけど、私は生き延びることができた。生存率の分岐点といわれる3年目の定期検診も、特に問題なく乗り越えることができた。まだまだ治療は続くけれど、なんとか一山は超えたってことだ。いま「死」はどれくらいの距離から私をみつめているのだろう。そして私自身は「死」をどれくらい見つめられているのだろう。


孤独が感覚を研ぎ澄ました

つい最近、自分の本棚にしまった「がん関連」の本を再び開く機会があった。告知を受けて漁るように買った本には、マーカーと付箋が溢れていて、当時の不安を物語っていた。
今でも、ふとした時に治療で一番辛かった時期のことを思い出す。髪の毛が抜け始めた時に使っていたシャンプーの匂いをかぐと、言いようのない不安に襲われる。年末の寒い空気の中で、ある特定の角度の光を浴びると、年始の抗がん剤治療開始に向けて、吐き出し方のわからない不安と、でも一方で、どこからか湧き上がってくる「なんとかなる」という自信を思い出す。夜の通勤路は「子供が産めない自分には価値がないんだ、もう誰にも愛されないんだ」と毎晩泣いて帰ったことを思い出す。日常のさまざまな場所にトラウマは潜んでいる。治療の日々は、いま思い返しても、辛い。静かで、ただ副作用が収まるのを待つだけ。社会との接点も少なくなり、自分が存在していない気がしていた。まるで暗い海の底にただ沈んでいるように静かな日々だった。でも一方で、その静かさの中には、それまで感じ得れなかった美しさや、喜び、愛情を知ることもあった。静かで芳醇な孤独の中で、私の感覚は、明らかに今より鋭敏だった。「生きること」、そのために日々過ごすことの素晴らしさ、側にいてくれる人の大切さを感じていた。

病以前の私には戻らない

抗がん剤、そして放射線治療は終わり、いまはホルモン療法を受けている。毎日薬をのみ、月一注射を打ち、ガンに影響を与えている女性ホルモンを抑制している。生理もとまり、子供を生める可能性は低い。更年期のような症状もでて、体重は10kgぐらい増えたし、精神的にも不安定だ。

加えて放射線治療の途中で、顔面神経麻痺にもなった。ある日突然、右顔が動かなくなり、緊急手術と入院。正式にはハント症候群といわれる病気で年間に10万人に5人が発生し、自然治癒率は30%。後遺症も残りやすい病気だ。罹患から1年半経ったいまでも右顔は自由に動かないし、歪んでいる。リハビリも毎日しなければいけない。最近では謎の蕁麻疹や肌荒れにも苦しめられている。病院を1日で数件ハシゴすることも多い。

ガンが完治することはないし、「病以前」の私に戻ることもない。私は常に再発の可能性を抱えながら、病と一緒に生きている。

まぁ、とはいえ生きてるのだな。私はこうして。
3年前は想像もできなかったけど、毎日は充実、そしてとても忙しい。抗がん剤治療の時にやりたいと思ってたこともできてる。

死が遠のいた分、1日が軽くなってないかい?

ただこの1年、とくにここ半年を振り返ると、少し鈍感になっていた気がする。やり過ごすだけの日が多くはなかったか?

2年前、私は「細胞単位で自分を愛する」と宣言した。「自己愛」は変わらず生涯のテーマだ。でもちょっと最近、生き急ぎすぎてないかい?私よ。

バタバタと動き回ることで得たものはもちろん多い。だけど無くしてしまったもの、見過ごしてしまっているものも多いんじゃないか。3年前あれだけ近づいていた「死」を遠くに追いやりすぎているんじゃないだろうか?死への距離が遠くなった分、私の1日は軽くなってしまっている。何のために生き延びたんだ?

今のところ転移もないということで、私はもう少し生きてもいいらしい。来年は時々「死」を見つめてみよう。そして日々感覚を研ぎ澄ます時間を持とう。誰のためでもなく、自分の直感に従ってみよう。

ガンになって3年目の年末。こうして振り返って文章が書ける幸せを感じながら。

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