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明治の小説をすすめたい!

去年から明治時代の小説にはまって読んでいる。きっかけは、『日本文壇史』を読んでいるときに、「『金色夜叉』とか『浮雲』とか、ずっとタイトルを知ってるだけで、一生読まないのかなあ」とふと考えて不思議な気持ちになり、ちょっと読んでみようと思ったのだ。読んでみたらこれが面白い。

ちなみにこの記事のリンクは基本的に国立国会図書館デジタルコレクションの該当作品に飛ぶが、青空文庫にある作品は青空文庫のリンクもつけている。

面白い明治の文章表現

なぜ明治の小説が面白いのか。書かれている文化や作品の後ろにある感覚、表現の仕方などが現代と違うので、そこが興味深いのではないかと思う。また今あるような小説の型がまだできていないので、それにとらわれない部分も味わい深い。

読んだことのない名作を読もうと思って最初に手に取ったのが尾崎紅葉の『金色夜叉』だが、これがエンタメに振り切った内容でめちゃくちゃ面白かった。未来を嘱望されていた青年・間貫一が許嫁である宮に裏切られ、復讐のために今までの自分を捨てて高利貸しになるというあらすじで、とにかく次々に事件が起こり飽きさせない。『金色夜叉』は雅俗折衷体(地の文が文語でセリフが口語)で書かれているが、紅葉の文章は派手で華があり、文語文に慣れていなくても意味や文体の面白さがわかった。

元日快晴、二日快晴、三日快晴と誌(しる)されたる日記を瀆(けが)して、此(この)黄昏より凩(こがらし)は戰出(そよぎい)でぬ。

『金色夜叉』尾崎紅葉(明治30年連載開始)

最初のページからこの文章が出てきて、面白いなと思った。また華麗な表現もありつつ、事実の描写は割とわかりやすい印象がある。青空文庫でも読める。

明治の文章でいちばん衝撃を受けたのは山田美妙の作品だった。美妙は一般的に言文一致体の「ですます調」を始めた作家として知られているのだろうか、とにかく文章がユニーク。

形は新らしくは有りませんが、しかし流行は流行、薄唐松の小紋の上着に古代更紗をうつした白勝の下着をあしらッたその澁さ、その高尚さ! それで庭の早咲の梅を折ッて居ます。釣れない枝の剛強!(中略)あヽ美人、それでこそ美人。「なぜ折れぬか」と呟いたらしい有様で些し手荒く枝を動かせばいつか袖は捲れて白玉の双手は腕の邊まで顯になッてーー己れ悩殺!

「花ぐるま」山田美妙(明治21〜22年発表)

このテンションで何作も小説を書いているのがすごい。「美妙節」という感じで、私は斬新で面白いと思った。ただ言文一致についての本などを読んでいると美妙の文学的評価は低くて、悲しい。「いちご姫」など悪女の活躍が書かれていて面白いと思うのだが。文学的評価に関しては、『金色夜叉』も昭和の時点で誰も読まない忘れられた作品扱いされていたりする。紅葉の作品にも美妙の作品にも、その後の文学にあるような深みはないのかもしれないけれど、読んで楽しいから私はそこを評価していきたい。

「日本の小説が文体を模索していた時期」の小説を読むと、作家たちの試行錯誤やこだわりが感じられて、これも明治文学の面白い点だと思う。正宗白鳥の「「書生氣質」以来」に、坪内逍遥が「以前は何か書かうとすると、先づ文體をどうしようかと苦心した。今はそれがちやんと極まつてゐるから、無駄骨折をしなくていゝ」と言っていたと書かれていて、苦労が偲ばれる。

文語文、意外と読める

明治半ばくらいに書かれた小説を読む時、一番ネックになるのは文体ではないだろうか。私は古文や漢文のテストを勘で乗り切っていたし、古典文学も現代語訳でしか読んだことがない。文語文が読めるか不安だったのだが、読んでみると意外と読める。

傳吉奥の方を見返りたる時、奥より出來りしはこの家の娘お濱、年齢は十六七にて、此邊にて女親に羨まるゝ評判娘。容姿推しなべて十人竝に勝れ、両親ともに早く別れて、兄の手に人成りたれば、兄も心を用ひて飾らせ、白粉こそ濃からね、花羞しく粧りたり。

「變目傳」広津柳浪(明治28年)※

・言葉や漢字は知っているものが多いから、わかるところを押さえつつ文章を追えば読める。
・旧字は読んでいるうちに覚えるので大丈夫。わからなくても形や文脈から推測できる。
・明治の小説は読み仮名が多いので(上の文章も「人成」には「ひととな」、「濃」には「あつ」などと振ってある)、見慣れない言葉や用法でも意味がわかる。

広津柳浪は主に明治に活躍した作家で、主要な作品は大体悲惨な設定かつ人が死ぬので面白い。「変目伝」は体に不具のある男性が報われない恋をする話だが、当然人が死ぬ。尾崎紅葉の「心の闇」を読んだら、これも不具の男性が報われない恋をするのに人が死なないので、作家性の違いが出ているなあと思った。

柳浪は言文一致の作品も文語文のものも、どちらも結構読みやすい印象。北田薄氷の文語文も読みやすかった。明治のこの辺りの小説は雅俗折衷体で書かれていて、地の文は文語文でもセリフは口語なので、これも読みやすいポイント。

もちろん知識不足の状態では乗り切れないものもあって、私の場合は樋口一葉が読めない。何が書いてあるのかよくわからなくてぼーっとしてしまう。斎藤緑雨も難しかった。でも読めるものを読んで楽しめば良いと思う。

読みやすい言文一致体の明治文学

明治末になると言文一致体が主流になってきて、現代人でも読みやすい作品が増える。田山花袋によると、『魔風恋風』(小杉天外、明治36年連載開始)と『青春』(小栗風葉、明治38年連載開始)が流行ったことで、小説は言文一致体で書かれるものと認識されるようになったらしい。この2作だと『青春』の方がおすすめ。

言文一致の明治の短編で印象深いのは、以下の作品だろうか。

国木田独歩「武蔵野」(明治31年)青空文庫
言文一致運動の始まりから10年くらいで、こんなに口語体の小説が読みやすくなるのかとびっくりした。

伊藤左千夫「隣の嫁」(明治41年)青空文庫
農村を舞台にした恋の話だが、とにかく農村の風物と農民たちの恋が調和していて素晴らしい。かなり好きな短編。
こちらの記事で詳しく紹介↓

田山花袋「少女病」(明治40年)青空文庫
若い女性が大好きなおじさんの話。日本文壇史によると、花袋が自分の少女趣味と決別しようと書いたらしく、それはわかるんだけどそれにしても…という感じのラストが見もの。
こちらの記事で詳しく紹介↓

とにかく文体や古さなどで敬遠せず、たくさんの人がもっと気軽に明治の小説を読んでくれたらいいなあと思う。なにしろ今は『金色夜叉』すら満足に新刊で買えない。悲しい。でも読者が増えたら明治文学の本がまた出版されるかもしれない。とりあえずまずは図書館がおすすめです。

※柳浪の「変目伝」の引用部は、リンク先から引いてます。ただ「人成りたれば」は岩波文庫だと「成人りたれば」になっているので、誤字の可能性も?一応書いておきます。

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