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#0 いしころ

みなさんは、幼児期、自分がどんな子だったか、わかりますか?
両親や親戚から、それを聞いて納得することもあれば、
「えー意外。」なんて思うこともあるかもしれません。


#1では、小4でピアノを始めたキッカケを書きましたが、
実は岩本、その前。幼児期に、1度ピアノを習っていた期間があります。
期間は、半年から、1年ほど。
先生が家に来て頂く形で、姉が最初に習っていました。
続くように僕もやりたい、と言って始めたそうです。

憶えているのは、
・変な鳥さんの表紙(バスティン)
・レッスン後に親が出してくるケーキ
・若い女性の先生・・・
・先生のお宅にお邪魔してクリスマス会・・・?
朧げな記憶。・・・まあ幼児期なんて、そんなものですよね。

父が当時大きな病気をしたそうで、家に人を招く余裕がなくなり、姉弟共にピアノを辞めました。先生ともその時を境に、完全に疎遠に。
小学校に通い始め、学校で友達がピアノを弾いているのを見て、
「ピアノを続けたい」と言っていたようですが、母親は習わせてくれず。
もう一度習い始めたのが、#1で書いた、小4の出来事。

幼児期の記憶があまりハッキリしていないので、
なんとなく、ピアノを始めた年齢を聞かれると、
「小4....?」と、今まで答えてきました。

大人になってから、
あの時、お世話になった先生はどうしていらっしゃるのだろう。
どこにいらっしゃるんだろう。
今もピアノを教えているんだろうか?
どんな指導者だったのだろう...
どこか、引っ掛かる思いがずっとありました。
おそらく、そんなに遠い場所にいらっしゃるわけではないけれど、
当時まだネットやSNSなどはなかったせいもあり、
連絡先もわからないまま、年月が経っていきました。

最近その先生らしき方を、SNSで見つけたときの喜びと言ったら。
メッセージを送り、お世話になった先生だと判明して、
私のことも憶えて下さっており、時々演奏活動で名前を見ていた、と。
当時の思い出も、教えて下さいました。

岩本が、原石の石ころだった頃。
自分はどんな生徒だっただろう。
こんな風に音楽家になっていきそう、と思われていたんだろうか。
(いや絶対、それはない。)
それがわかって、少し思い出せて、とてもスッキリしたのです。


幼児期のレッスンの経験が楽しかった、少なくとも嫌じゃなかった。
だから、もう一度ピアノをやってみたいと思ったのでしょう。
自分で「やりたい」と言い始めて、はじめる。
それぞれ入り口はちがうけど、私の大切な入り口。

『ミステリと言う勿れ』というコミックに、こんなセリフがあります。
「子供って乾く前のセメントみたいなんですって。
 落としたものの形が そのまま跡になって 残るんですよ」
良いことも悪いことも、子供の頃に経験したことは、
そのままずっと形が残る。

子供の頃に体験した音楽は、記憶は薄れても、身体や心が覚えています。
これから、岩本が書いていく小学生や中学生、高校生のときの体験もそう。
今はピアノ教師として、子どもたちの音楽体験に携わる立場にもあります。
そのかけがいのない時間、尊い経験を私も大切にしてあげたい。
そんな思いです。

いわもと

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