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グレーな自分

幼稚園のころ、とにかく注射が嫌いだった。

なにかのワクチンだったと思うのだが、講堂のような場所に集められての集団接種を受ける機会があった。

そういえば大学時代に注射が大嫌いな友人がいて、それこそ注射を打つことになった際に貧血騒ぎを起こしていたが、今のワタシは全く平気。

いわゆる、注射針が刺されて終わるまでの一部始終をガン見している、イヤな患者タイプ。点滴の時も同じ。

血管が細いので、採血や点滴なんかは4~5回刺されるのが常だが、それもガン見し続ける。


しかし幼稚園のころは、とにかくダメだった。

泣いた。ひたすらに泣いた。

それだけならいいのだが(いや、これだけでも随分迷惑)、おそらく暴れた。

当時のワタシには利かん坊な面があり、、、

とここまで書いてみて、「利かん坊?」と確かめてみたくなり、改めて辞書を引いてみる。

利かん坊/聞かん坊(きかんぼう)
[名・形動]《「きかぬぼう」の音変化》言うことをなかなか聞かない、勝ち気でわんぱくな子。また、そのような性質であるさま。きかんぼ。「—な(の)くせに泣き虫だ」

出典:デジタル大辞泉(小学館)

合っているのか? 類語のこちらのほうかもしれない。

駄駄っ子/駄駄っ児(だだっこ)
だだをこねる子供。ききわけのない子供。

出典:デジタル大辞泉(小学館)

これもなんとなく違うような。

そうだ。

癇癪持ち。これだ! 

癇癪(かんしゃく)
ちょっとしたことにも感情を抑えきれないで激しく怒り出すこと。また、そういう性質や、その怒り。「—を起こす」「—が強い」

出典:デジタル大辞泉(小学館)

「怒り出す」は違う気がするが、叫び出すと止まらなかったのは事実。それはそれはすごかったのである。(不思議なことに、もうひとりの傍観者としての自分が記憶している)

で。幼稚園でのワクチン接種の日。

組ごとに呼ばれて講堂へと移動した。

「次はタンポポ組ですよ~」

自分の組だ。隣の組、いや前の前の組のときから心臓はドキドキ、バクバク。

講堂に入るまではできた。でも、ある園児がワクチンを打たれて泣き出した瞬間、自分のスイッチも入ってしまった。

「ウワー!」 「ヤダー!!」

それはもう大変。

自分の叫びによって釣られるほかの園児も発生。
「ほんと先生ごめん」。さぞかし大変だったことでしょう(遠い目)。

結局どうなったのかというと。

自分だけワクチン接種、できませんでした。てへっ。

暴れたのかな? よく覚えてないんですけど。てへっ。

しかたないので後日、改めて打ったのだった。


しばし経ったある日のこと。役場(?)から、わが家に連絡が入った。

「お子さんに“異常児”の気がありますので、検査に来てください」と。

時代ですな。今だったら、この言葉は絶対に使われないでしょう。

そのとき、電話を取ったのが祖母でして。

「ウチの子は、異常児じゃござんしね!」(※方言)

と言って固定電話をガチャンと切り、検査を無視したのだった。

このときのことは、わが家で「あの時のおばあちゃんはすごかった」と、祖母の武勇伝的エピソードとして語られる。そのたびワタシは漠然と考える。

当時の自分が、ただ単に、ほかの子よりも癇癪が激しいタイプだっただけだとしても。あの時もしも、なにかの検査を受けていたら、たとえば“何々の傾向”といったものだったとて、何らかの診断名は付いていたかもしれない。

なにより検査に行ったこと自体が、体験としてはっきり自分の記憶に残っただろう。検査が悪いということではない。検査やきちんとした対応が必要な場合はもちろんある。ただあくまでも、あくまでも自分の場合は、そのことはおそらく何がしかの影響を与えた。

祖母が「ござんしね!」と電話をガチャンと切ったことは、ワタシにとっては正しかった。そのうえで、もしあのとき検査に行っていたら、違った人生だったかもしれないと、今もたびたび考える。


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