絶望を無視し続けるひとたち

約1ヶ月、バイトに足を運ぶ以外はなにもしない日々が続いた。
色々なことが大雑把に霞んで見えるようになってどうしようもなくなって家でたまらなくなって、そして朝が来てという毎日だった。

これから楽しいことってあるのかな、とふと思った。
私よりも幸福な人、不幸な人もいるんだぞと言いはじめたらキリがないけれど私は私の人生を満足に終わることができるのだろうか、などと考える。
恋に落ちるという感覚なんて学生時代から久しく感じていないし、恋人だってほぼいないに等しかった。心の通う友達、というのもなんとなくでしかわからなくて、いやそういうものなのだろうけど、人に対して日々冷淡でしかいられなくてそういう自分が嫌になったりもした。
こういう自分が許せなくて認められなくて生きていてなにが残るのだろうか、と日々絶望し続けているのである。

もちろん嬉しいこと楽しいことはあるしだけどこのままではいけないという感覚だけが先走って、先走りすぎて途方に暮れている。今を楽しく生きている人たちはみな人生は絶望の連続であるということを無視し続けている人なのではないかと思う。
上手くいかないことの方が多いこの日々に無視を決め込み考えることを辞めてただ淡々と息をしている。楽しい楽しくないの基準や価値観の違いはあれどそれはそれでその鈍感力が羨ましいとも思う。

生ぬるい空気と人にのまれながらまた、絶望と出会う。今までは絶望が絶望であることを拒み続けた日々だったけれど、絶望が絶望であることを認めてあげる日々を続けなければならないのかもしれない。

#エッセイ #絶望

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