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愛と感謝の伝え方

わたしは、自分のことを愛や感謝に乏しい人間だと考えていました。

愛や感謝に乏しいというには、つまり相手の好意や行為に対して、「愛してるよ」や「ありがとう」と素直に言えないということです。

そもそも、それを表現するにあたり、感情が湧いてこないということもあります。

感じていないことを表現できる筈もなく、よって、わたしは感情に乏しい人間だと考えていました。

当然ですが、感謝の気持ちが籠っていない「ありがとう」を言われても、相手は嬉しくないでしょうし、逆に不愛想な印象を持たれてしまうかもしれません。

だから、自分はそれに気づかれなように、敢えて笑顔を作り、声のトーンを柔らかくして、感謝の念を籠めて「ありがとう」と言うようにすることが多く、そんな自分をダメな奴だと決めつけていました。

この、表現し辛いということと、感情が湧いてこないことの、根底には自分には愛や感謝を伝える価値がないという思い込みがあったからだと考えます。


感情が希薄な人間は、過去にトラウマを抱えているケースが多いと聞いた事があります。

例えば、自分が泣くことによって、周りが不快な反応を示したり、または理解をしてもらえなかったり、はたまた十分に受け止めてもらえないままだと、泣くことはいけないことだ、という思い込みが形成されます。

傷を癒せていないことによって、悲しくなって泣くことも、そもそも悲しみが湧いてくることも押さえこんでしまうのです。自分は泣いてはいけない、泣いたら周りを困らせてしまう、不快にさせてしまうと、気持ちを抑え、いつしか感情そのものが湧かなくなってしまうのです。

でも、当然ですが愛への欲求や、自己を自由に表現する欲求がないということでは決してありません。

むしろ、何十年も感情を押し殺してきた分、その渇望と葛藤がぐるぐると渦巻いては言語化されるのを待っているようにさえ感じます。

ありがとーーーー!!
あいしてるよーーーー!!
って、素直に伝えたい。

でも、そんなことはなかなかできず…。

そんな自分がまず取り組んだのが、家族との過ごし方です。

なぜなら、家族は最も身近にいる存在であるからこそ、愛と感謝を伝える機会なんて毎日のようにあるからです。

そんな家族に対し、わたしは言葉ではなく、行動で示しました。

家族と向き合うために、家では携帯をなるべく使わないようにし、
家族の負担を分担するために、料理やお皿洗いをするようになり、
娘との繋がりを深めるために、2人で遊ぶ時間を必ず設けるようにし、
お互いの感謝や不満を理解し合えるように、妻との会話の時間を大事にするようにしました。

些細なことではありますが、家庭はこれだけで愛に満ち溢れることを実感しています。

また、これだけのことでも、家族は自分のことを「トシ(パパ)は十分愛情深いよ」と言ってくれます。

何よりも、自由にのびのび育ち、表情豊かで、友達の多い娘を見ていると、自分は決して酷薄な人間ではなかったんだなと、肯定してくれているようです。

つまり、自分のことを薄情だと思い込んでいたのは自分だけだったのです。

言葉ではなかなか伝えられない気持ちを、自分は行動で表現することが出来ていたことに気が付きました。


愛や感謝を伝える方法は人それぞれあっていいと思います。

場合によっては、空回りしたり、相手に伝わらないこともあるかもしれません。

それでも、わたしは「愛と感謝すら伝えられない自分はダメ」、ではなく

出来る努力を精いっぱいしている今の自分を受け入れたいです。

もちろん、今でも言葉で伝えたいという気持ちは強くあります。

家族だけでなく、これから出会うで方々にも。

ありがとーーーー!!
あいしてるよーーーー!!
って。

そうすることによって、より深く、気持ちよく繋がり合えると思うんです。

そのためにも、今の自分を否定せずに、まずは受け入れること。
そして、その上でこれからも変わる努力をしていければ、と考えています。

最後まで、お読みいただきありがとうございました♪

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