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「リエゾン こどものこころ診療所」第5話を観て

何だかシリーズ化してしまっている感じですが、やはりどうしても訴えたいことがこのドラマには詰まっているので、書きます。

第5話は「ヤングケアラー」がテーマとなっていました。
今更ですが改めて、ヤングケアラーとは「家庭内に介護・看護を必要とする家族が居て、その介護や看護を行なっている子供」の事を指します。

このドラマのように親が事故や病気によって介護が必要な状態となってしまったり、元々障がいを持った親の元に生まれたり、祖父母の介護や兄弟姉妹が重大な病気や障がいを抱えている等、形は様々ですがそこでの介護や看護を子供が担うということです。
(ちなみに要介護者が兄弟姉妹だった場合、その介護をする子供は『きょうだい』とか『きょうだい児』と呼ばれます)

例えば放課後に友達と遊んだり塾や習い事に行ったり、部活動にいそしむなど「コドモらしい」ことが出来ず、買い物や洗濯に掃除、ご飯を作ったり身体介助や排せつ・入浴介助といった家事や介護を子供が全て担わなければならない状況は、明らかにその子にとっては「異常な状況」なのですが、自分自身も周囲もそこに気付かないという現実があります。

やっと日本でもヤングケアラーというコトバが浸透し始め、国もその支援に動き出そうとしていますが、このドラマではヤングケアラーとその周辺の現実が描かれていました。

脳梗塞で半身マヒとなった母親を支える小6の娘。
父親とは離婚調停中で別居のため、母子二人の生活では母の介護を日常的に娘が担うことになる。

介護のため勉強する時間が減ってしまい、中学受験も失敗し自らの進路も変えようか、と悩んでしまう。

ドラマでは自身もヤングケアラーであったスクールカウンセラーが彼女の状況を気に掛け、カウンセリングを行ないながら様子を観ていたが遂に睡眠不足や疲労の蓄積から倒れてしまう。

まさに子供が「コドモらしく居られない」状況が描かれていましたし、そこで子供は「母の面倒を自分が見るのは当たり前」といった心境になってしまっている様子や、教師や介護ヘルパーがその様子から何となく不安を感じつつも、子供に対して特に何もしないといった所なども描かれていました。

このような状況で子供は「自分がしっかりしなくちゃ、自分が全部やらなきゃ」と思い込むようになり、それがその礼儀正しさやオトナとの受け答えにも表れていて、それがために周囲からは「しっかりした良い子」と評価されてしまい、心配されないという皮肉な状況を生み出してしまっているところなどもこのドラマからは見ることが出来ました。

子供は子供らしく、勉強したり友達と遊んだりすれば良い。

このスクールカウンセラーの言葉はとても重要で、そうした世の中にするためには周囲や地域の連携は欠かせないモノとなるのですが、同時に「福祉は申請主義」というセリフの通り、現状の福祉制度は当事者から申請が無い限り動かない、という側面もあります。

これもドラマの中で訴えていましたが、介護や看護が必要となった時、どんな支援制度があるのかを知っている人の方が圧倒的に少ないのも現実です。

このような課題をどう解決していけば良いのか、子供が子供らしく過ごせるようにするにはどうすれば良いのか、このドラマではその問題を提起していると感じました。



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