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独りで抱え込まないで-虐待の傷を乗り越えるために

昨晩の報道番組で実の父親から性的虐待を受けて来た若い女性が、父親を告訴するまでを特集していました。
まず彼女が実名で顔を出して取材を受けていたその姿と姿勢に、敬意を表します。

現在彼女は23歳。
中学2年から高校2年という思春期、最も多感な時期に父親から性的虐待を受けていました。
それは決まって母親がいない時、父親から虐待を受けておりその時彼女は感情を殺し、何も考えないようにしていたと告白していました。

私のところにも子供の頃に親から虐待を受けていた方がカウンセリングにいらっしゃいます。
そこでは性的、身体的、心理的なモノに関わらず、そういった方々はやはりこの彼女のように、自分の「感情を殺して」「何も考えないようにして」いたと話されます。

また彼女は何故そのことを誰にも話さなかったのか、との問いに対して「自分が我慢していれば今の家族の形が守れると思ったから」と話していました。
これは自分がそのことを誰かに話すことによって「家族」が壊れることを恐れたから、という意味も含まれていると感じます。

ですが結果的に彼女のココロは限界を迎え、高校2年の時に保健室の先生に事情を訴えます。
彼女は児童相談所に一時保護され、父親は家を出るのですがその引っ越し先は彼女の家の裏のアパートという、何でそんなことになったのかその対応を疑ってしまうようなこともあったようです。

彼女が家に戻っても、そのような行為こそなくなったものの父親は頻繁に家を出入りしており、そんな父親の行動を許していた母親にも、彼女は不信感を覚えます。

彼女が守ろうとした「家族」がこういうことになってしまったわけですから、その失望感は想像を絶します。
彼女は「死にたいと思うより、死ぬ日を一日づつ伸ばして今に至っている」と話していましたが、当時の実感として生々しい言葉でした。

私のところに虐待を受けた方がカウンセリングに来る、と先ほどお伝えしましたが、これが性的虐待となると本当に少数になります。
これについては家庭内の問題であることから、それを表沙汰にするのは…ということで誰にも話せず、独りで抱え込んでしまう傾向は強くあります。

彼女もインタビューの中で「これが全く赤の他人からレイプされたのであれば、その相手を憎み切れるし家族や親族もその相手を憎むであろうけれど、それが実の父親であると自分も死ぬまで憎み切れることは無いだろう」と話しています。

また父親を告訴する旨を母親に伝えた際も反対されたようですし、父方の祖母にそれを伝えに行った際はその様子が放映されたのですが、祖母は彼女を「おかしい」と罵倒していましたし、親類の人間も「お前がやろうとしていることはおかしい、絶対に止めろ」と告げられていました。

本来であれば傷付いた彼女を守るべき立場の人々が彼女を蔑み、罵倒し、打ちのめす。
家庭内の性的虐待でこういうことはままあります。
実際に私のところに来られたお客様も「その行為を許していたお前が悪い」と言われていた方も居ますし、母親から「お前が私の男を奪った」と言われていた方も居ました。
家族や親族からそのような仕打ちを受けたら…と思うと、本当にやり切れません。

父親本人とも対峙する音声が流れたのですが、彼女の問いに対して父親はまともに答えることは無く、またそれでも「父親」だからと結婚の報告をしに行った際も、彼女はさすがに直前でやっぱり無理、となったのですが夫となった人が父親にその報告をしようとした際も結果的に父親は逆ギレのような状態で去りました。

虐待にはこのような実態があるという意味では、本当に赦せない事であるし、それを表沙汰にした彼女の勇気にはある意味で感謝したいとも思いました。

そんな中でも彼女を理解し、受け入れてくれる人も居て、体調や精神が安定しない彼女を支えようと結婚を決めたパートナーとも巡り会えたことは本当に良かったね、と感じました。

中でも性的虐待を受けた方々が集まる自助グループの代表に話をしに行った際、代表が彼女の想いを受け入れると共に「とにかく誰かに話すこと、自分が自分で居て良いと思える人や場所をたくさん作ることが大切」と話されていたのは全く私も同感です。

彼女が何故、実名を出して顔を出して取材を受けたかについては「自分と同じような経験をしている人はたくさんいると思う。そういう人達にとっての希望になりたいし、声を上げるきっかけになってもらえたら、という想い」があったからと話していました。

また「こういう人は身近にいるという認識を持って欲しい」とも話していましたが、それはまさに現在の「虐待」が抱える問題でもあって、その問題提起をされた彼女は本当にすごいと感じました。

現在も彼女はトラウマに苦しみ、日常生活にも支障が出るような状況の中、告訴するために警察の事情聴取にも耐え、告訴状を提出し受理されるところまで来ました。

虐待の傷が癒えるかどうかは、その人の行動次第です。
黙って独りでずっと抱え続けるのか。
それとも誰かに話す勇気を持つか。

彼女のようにしろ、というのではありません。
ただ、独りで抱え込むことだけはしないで欲しいという想いがあります。
虐待を受ける側には何の落ち度もなく、自分自身を責めることも何一つなく、自分が悪いことをしていたからなどと思い込む必要もないんです。

家族の問題だからこそ第三者の手を借りる必要があるし、そうして良いという想いを持って欲しいんです。

もちろん、全ての人が虐待を受けたあなたの想いを受け入れてくれることはありません。
彼女の家族や親族のように罵倒したり非難したり、批判する人も居るでしょう。
けどそれ以上にあなたの想いを受け入れ、あなたを大切にしてくれる人たちは、あなたが思っている以上にたくさん居るし、あなたが思っている以上にそういう話を受け入れてくれる場所もたくさんあります。

友達でも良い、先生や先輩、上司でも近所のおばちゃんでも良い。
もちろんカウンセラーやセラピストでも良いし、行けるようであれば児童相談所や地域の精神保健センター、自助グループ等でも良いんです。
もちろん私のところでも構いません。

とにかく誰かに話すこと、それを話せる窓口を少しでも多く持つこと、そしてそこで自分が安心出来る人や場所を一つでも、一人でも多く作っていくこと。
その積み重ねはやがてあなたのトラウマを癒し、これからの人生を変えてくれることは間違いありません。

願うのはこのような虐待で苦しむ人が一人でも減ること、虐待そのものが減っていくこと、そしてこの彼女の想いが正しく届くこと。

今後裁判となった時、この父親にどのような裁定が下されるのか。
恐らくどんな裁定が下されたとしても、そこで彼女のココロが回復することは無いと思います。
ですがこれからは信頼出来るパートナーと一緒に、少しづつ彼女の人生を創って行ってもらえたら…そう願わずにいられません。


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