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「私のトリセツ」を創ってみる

私のところにカウンセリングを受けに来られる方はアダルトチルドレンを自覚、或いは「そうかも知れない」と思われて来る方が多く、その悩みとして「自分のことがよく分からない・自分の事なのに自分で決められない」ということがあります。

これは子供の頃から「自分」よりも他人を優先し、他人に気に入られるように、嫌われないように、という生き方をして来ているからです。

他人の顔色を窺い、他人が自分に何を求めているのかを素早く察知出来ないと見放されてしまうから、求められていそうなことを言われる前にすることで褒められたい、認めてもらいたいという想いが先に立ち、自分の事は後回しどころか、自分の事を考えなくなってしまうことが身に付いているからです。

このような生き方を子供の頃に身に付けてしまうため、オトナになった時に自分が何をしたいのか、どうしたいのかが分からなくなってしまう訳です。

この生き方はそうなりたくてそうなったわけではなく、好きでそうなろうとしたわけでもなく、ただその環境(機能不全家庭)で自分が生き延びるため身に付けざるを得なかった人間関係の構築スキルで、それに気付かないままオトナになってしまうため「なぜ自分はいつも人間関係がうまく行かないのか?」と悩んでしまっていて、決して自分は悪くなく、自分を責める必要もないということは、改めて知って頂きたい事です。

このような「自分の感情が分からない」とか「自分で『自分』のことが決められない」方たちには自分の感情を客観的に知るため、ノートに書き出してみることを勧めています。

例えば何かイラつくことがあった時、まずその時に感じたことを書き出します。

「イラついた」とか「アタマに来た」とか、その時に感じたコトバをそのまま書き出してみます。

それから少し時間を置いて、どこで、誰と居た時に、どんなことをした(された)、或いはされなかった(しなかった)といった、その時の環境や状況を細かく思い出せるだけ思い出してそれらを書き出し、そこで自分がどんな感情を抱いたのかを、違う色でそこに書き足す。

「あの人の○○という言葉に反応した」とか「あの時の△△の態度(しぐさ)が気になった」といったことを書き出して、その時に改めて自分がどんな感情を抱いたのかを見直してみます。

そこには「悔しかった」とか「悲しかった」といったような「感情」があるはずです。

自分の感情が動いた時に、どんなことがあると自分はココロが動くのかを客観的に知って、その時に抱く感情とリンクさせることを続けることで、少しづつ自分が分かるようになってきます。

このような「自分のデータ」を蓄積していくと、そのノートは「自分のトリセツ」となってより「自分」が分かるようになって行けます。

自分が分かるようになってくると、そこから「○○がしたい」とか「○○になりたい」という想いや「こういう時にはこうすれば良い」とか「こうならないためには、こうしておこう」といった「自分を守り、表現する」方法も少しづつ見えてくるようになれます。

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