おいたち


−初めに−
父親は小2でていった
→母 弟 ワイ(縁切って親戚なし)

小学生の頃までは可愛がられた
かわいい服、おもちゃを買ってもらってお出かけも連れてってもらってた。

小6辺りで 突然、「甘えるのきもいよ」と。

ハッとして、子供ながらにヤバイと焦った

中学生に入ったら
何もしてなくても「いい気になるな」「調子に乗るな」と言われるようになった

母は女性が嫌いで同性は皆、敵

今になって分かるのは娘の私にも若さを嫉妬してた。

成長で
容姿が女らしくなるにつれて


「あんたバカだから男に簡単に股開きそうって思われてるよ」
「あんたに集まってくる男はヤリモク」
「見た目だけじゃなんの価値もない。もっと内面磨けば」

と少しでも私が笑ったり楽しそうにしてると言われるようになった。


私は、自分を少しでも良いと思ってはいけない
が努力はしないといけないと思った。
容姿、怒らせない話し方、言葉選び、
座り方、姿勢、不快にさせない努力をした。


母は片付けられない人で、キッチンの調味料はホコリと油でベトベト、
テーブルは使えないくらいに大量のチラシと母の私物、椅子には服が山になってる。


でも今回は私の制服のブレザーを椅子にかけてたのがポイントとなって
叫ぶように名前を呼ばれ、罵倒開始


ごめんなさいは無効で、
気が済むまでだいたい1日1時間〜2時間終わらず
まるで楽しまれてた。
質問があるなら言えと言われ言うと論破され、
何も言わなくなると「黙るな」と。

ごめんなさいしか答えがなくなり、
「何がごめんなさいなのか言ってみろ」
でハズレ連チャンのエンドレス


弟は、ドアから漏れるくらいにTVの音量を上げ、聞こえないようにしてた

弟も環境ストレスでドモるようになった。


まぁ母は弟には優しかった。



仕事から帰ってくる母のヒールの音が聞こえると
正座し、姿勢を伸ばし、服の乱れ、
顔が情けなくないか、髪の乱れを鏡で確認する。

顔から血が引いていく感覚、手が震える。

ストレスでシャンプーで髪が大量にぬけるようになり前髪が無くなった。

母に関する事以外では感情が麻痺してた為

あーぬけてってるう‥って
ただ手に絡まった髪をみてた。


ご飯の時、弟と一緒に席につくが、
弟だけに大切そうに、楽しそうに話し掛けてる母


私は「美味しいね‥」「ご飯ありがとう」といってみるけど
無視。


私は食べる姿すらも醜くく汚く不快にさせると思った

母が作ったご飯なのに私なんかが食べて
ごめんなさい。と思ってご飯を飲み込めなくなる。


でも母が仕事で家にいないときは
お腹がすいて、

情けない盗み食いみたいに冷蔵庫にある
ご飯をバレない程度を見計らって少しだけたべてた。


 一瞬ガリガリになった。

母にはルパン三世みたいで気持ち悪いと言われたのですぐ食べるようになったが、
反動で、お腹いっぱいでも手が止まらず
食べながら泣いてた
限界越えてトイレで吐いた。


外出時、お店の窓ガラスに自分が映り、慌てて帰る。
こんな醜い姿を人様に晒していたのか驚く。

自分の声すらもイライラさせると思って
出せなくなった。


毎日夜マンションから飛び降りようとしてたけど
幼児期に愛されてたような記憶のせいで
いつか幸せになれるかもしれないと思ったら
死ねなかった。


16くらいの時、

こえを出す練習をし、

「人と話す方法」、「心理学」「営業マニュアル」類の本を、
読み漁りノートに書き込み続ける。

キャリーバックにあるだけのお金
(買い弁や朝ごはんのお金集めてた)服をつめて、家出。


日払いメイドカフェ→ラブホ暮らし
→お金貯める→家借りる(〜飛ばして現在)



ホテルに帰ってもうやめたいよぉって
言いながら泣いてた。コミュニケーションがキツかった

でも家出初日は感動した。

ホテルは静かで寝転んでも誰にも罵倒されない。天国。って高揚した。

寝転ぶことも許される不思議感



長くなりすぎたごめん

読んでくれてありがとう🍓





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