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免罪利権 赦せ圧力は害悪 人種変更は歴史は虚構の証拠 TV被災者を殺す 99%有害

1、免罪利権
犯罪者を免罪する利権について。
非信者は、自分の都合で犯罪者を免罪したりしなかったりする。
世間が、自分たちの都合で犯罪者を赦したり赦さなかったりする。
聖書では、自分に対する加害は赦せと言っているけど、犯罪者の他人に対する加害を赦せとは書いていない。

サタン側は、人々に対して、他人の犯罪を揉み消す権力を与えているように見えて、実際は与えない。
免罪利権を持っていると思って、他人の悪行を揉み消したり叩いたりしているみたいだけど、実際は大衆は免罪利権を持っていない。
人々が犯罪者の犯罪を揉み消す権力を持っていると思わせて、人々を傲慢にさせて、地獄へ道連れにするのが目的である。
サタンの目的は、人々を地獄へ道連れにする事だ。

犯罪芸人は、普段から脅して黙らせていたから、同じ事を繰り返す一つ覚えである。
その成功体験があるから、他の生き方を練習する機会が無かった。
我慢する機会がなかったから、我慢する能力がない。
世襲政治家がズレた行動をするのは、そういうズレた行動でもサタン側が擁護して批判を揉み消してくれたからだ。
サタン側が揉み消しをやめたら、ズレた言動が丸出しになって袋叩きにされる。
犯罪芸人が潰れたのは、裏の勢力が変わったのか、サタン側の世代交代なのか。

サタン側が揉み消そうと思えば揉み消せるのに揉み消さない時点で、犯罪芸人や世襲政治家のスキャンダル暴露はカバーストーリー確定である。
サタン側が犯罪芸人を潰したいと思った時に、スキャンダルを暴露して、潰しても不自然にならないようにカバーストーリーを作る。

サタン側が犯罪を揉み消す手口に対して、唯一、できる対抗手段は、神の掟に合致しないタレントを見ない買わない批判する事ぐらい。

2、苦労したら赦される免罪利権
苦労したら全てが赦されると思うのは間違いである。
苦労自慢はマウント合戦であり、自分の方が発言力が上だと言って相手に従わせる屁理屈でしかない。
人間の勝手な苦労が免罪符になると思っているから、ワザワザ意味のない苦労をして、非効率な労働をする。
神の掟に従って背負う苦労しか認められない。
神のために迫害された者だけが苦労を認められる。

3、正義免罪
正義なら何でも許されると思い違いをしている人が居る。
その正義ですら、人間の勝手な思い込みである。
人間が勝手に決めた正義は、正義ではない。
神の掟を守る人だけが正義である。

善行を1回しても、自分の100の悪行は赦されない。
善行は免罪符ではない。
政治家のズレた善行は、誰も叱ってくれる人が居ないのが原因。
サタン側が権力を与えるけど、サタン側にとっては、捨て駒なのだから、育てる気なんかない。
俺の毒親もそうだけど、育てる気のない人間の下に居たら、人生が破滅するから、さっさと縁切りした方がいい。
俺は、本当の神に気付いて立ち帰る努力をすると、人生を取り戻せた。

4、赦される方法
色んな免罪符があるけど、非信者の勝手な免罪符では罪は赦されない。
罪が赦される方法は、被害者に謝罪して、二度と罪を犯さない生き方が必要である。

悪人を糾弾して自分の罪が赦されると思っている人間は、他人を攻撃したいから、罪を犯したのではないのか。
悪人を攻撃すれば罪が赦されると思っているから、軽々しく犯罪をする。

5、圧力
世間が被害者に対して、加害者を赦せと圧力を掛ける。
世を愛してはならないから、赦すように世間に圧力を掛けられて赦すと、世間に迎合して世を愛した結果になるから、赦さない選択肢が選ばれる危険性がある。

ヨハネの手紙一 2:15 (新共同訳)
世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。

神に背いて世を愛して迎合して加害者を赦すか、加害者を赦さないで神の教えに背くか、どちらを選ぶかダブルバインドになるから、それがサタン側の狙いだろうか。
ダブルバインドとは、2つ以上の矛盾でコントロールする洗脳方法である。

世間は、強制的に謝罪させようとするし、強制的に赦させようとする。
神は、自主的に謝罪しなさいと言うし、自主的に赦しなさいと言う。
世が赦せと圧力を掛けなくても、信者なら既に加害者を赦している。

マタイによる福音書 18:22 (新共同訳)
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
マタイによる福音書 18:35 (新共同訳)
あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
マルコによる福音書 11:25 (新共同訳)
また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」
ルカによる福音書 6:37 (新共同訳)
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
ルカによる福音書 17:3 (新共同訳)
あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。

このように信者はとっくに赦している。
ただし、相手が神の信者ではないなら、受け入れないし、挨拶しない。

ヨハネの手紙二 1:10 (新共同訳)
この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

赦すけど、相手が神に立ち帰らないなら、挨拶しないし、生活空間へ招かない。
赦した証拠が付き合う事にはならない。
異常者は、赦した証拠として付き合えとか言い出す。
犯罪者を赦した証拠として、犯罪していない人と同じ権利をよこせと言い出すのは、異常者である。
神の信者は、自分への加害は赦しても、神に対する罪は赦さないから、神に立ち帰っていない奴は排除する。

赦せと圧力を掛ける事そのものが悪行である。
信者は、赦す方向へ行くのに、世間が赦すように圧力を掛けると、赦してしまうと世に迎合して、世を愛した結果になってしまう。
世を愛してはいけないと聖書にあるから、これでは赦すのを邪魔する事になる。
だから、赦せと圧力を掛けるのが悪行である。
そうなると、世間が加害者に対して、やるべき事は、袋叩きにするか、排除してコミュニティーから追放するか、どちらかである。
もしくは、刑務所へ収容して保護して、聖書を与えて、神に立ち帰って、改心するチャンスを与えるか。
犯罪者を放置すると、他の犯罪者に殺される危険性があるから、刑務所へ収容するのは優しさである。

、コウモリ
犯罪者を擁護するコウモリ人間は、邪魔になるから加害者はコウモリ人間を追放しないと食い潰される。
世論が沈静化したら、手柄面して犯罪者に取り入って甘い汁を吸う。
収まらなくて潰れても、擁護したから、何らかのおこぼれでも貰う。
いくら世間から排除されても、犯罪芸人はそれなりに金を持っている。
その金を目当てにコウモリ人間は、擁護する。

、被害者の言葉
加害者を赦していいのは被害者だけ。
第三者がしていいのは、加害者を袋叩きにするか、排除するか、刑務所で保護して改心のチャンスを与える。
被害者が赦したら、袋叩きにしてはいけない。
犯罪者に対して、旧約だと石打ち刑で死刑にしていたけど、新約になると赦して、改心しない人間は排除するか、刑務所で改心のチャンスを与える。

、虚構と崇拝と本能
無知な者に崇められても何の意味もない。
そんな虚構でも欲しがるのは、無知な者だけである。
虚構でも良いからチヤホヤされたいという欲望。

神の信者は、神以外を崇めないし、神以外は崇める対象ではないと判っている。
自分も崇められる対象ではないから、崇められて喜ぶ事はない。

何かを崇めたい本能が人間にある。
何かを崇めて満足して精神が安定する。
本来は天の主を崇めていた。
サタン側に神を隠されると、崇める対象を失って、精神が不安定になり、代償行為で神以外を崇めるようになる。
しかし、代償行為だから、本物ではないため、満足できなくて、トコトンのめり込んでしまって、人生が破綻する。

、聖書の結婚相手
性格は父から遺伝するから、父同士で気の合う相手の子供と結婚した方が割と上手くいく。
聖書で父親が結婚相手を決めるのは、幸せに成るため。

自分で選んだから文句を言ってはいけないという洗脳をされているから、選択の権利が幸せだと思い違いをしている。
選択の権利はサタン側の罠である。
選択の自由があるように見えて、実際は選択の自由ではなくて、不幸になるだけの騙し文句である。

、歴史は捏造
ポリコレにかこつけて、過去の人物の人種を変えるのは、歴史は捏造だとサタン側がヒントを出しているのだろう。

、被災者殺しマスコミ
テレビ局が生き埋めになった被災者をヘリの爆音で探せなくして殺す。
そりゃ、殺人犯なんだから、テレビ離れが進むのは当たり前だ。
殺人犯が偉そうにテレビに出ていたら、腹が立つだろう。
被災者や遺族にしてみたら、恨みがすさまじい。
この程度の想像力もないのだろうか。
聖書で怒りや恨みはダメと言われているから、恨んでいないとしても、ワザワザTVを見る事はない。
恨んでない証拠として、殺人犯に金を払えとか、殺人犯を応援しろとか、テレビを見ろとか、異常者の発想である。
神の信者なら、赦しはするけど、排除する。

テレビを見る奴らも同じ殺人犯である。
殺人犯の時点で鼻つまみ者なのに、金儲けのために被災者を殺すのだから、どういう扱いをされるのか判るだろう。
殺人・金儲け・被災者を殺す、という3つ同時だ。
金儲けそのものは聖書でも許されているけど、寄付する前提である。

嫌われる理由が判らないのだろう。
高学歴だからといって、想像力は身に付かない。
必要もない事をやっている時点で嫌悪感を持たれても仕方がない。

金を稼げているから正しいとか言っている人間が居るけど、今の時代はロクでもない労働者でも、それなりに購買力を持っている。
その購買力のおかげで、売れただけで道徳的に正しいとか言っているのは、間違いだと認識した方がいい。
道徳的に正しいかどうかは、道徳的に正しい言動をしているかどうかで決まるから、金を稼げているかどうかは何の根拠にもならない。
こういう間違いをする人間は、どこかが悪い。

むしろ、正しい事を言う方が迫害される。
他人を堕落させる方がチヤホヤされる。

神であるイエス・キリストは、ファリサイ派に対して偽善者で不幸だと正確に叱って改心するように言ったのに、ファリサイ派は逆上して濡れ衣を着せて殺しにきた。

、根無し草
何のために生きるのか全く考えないで、生き残る事ばかり考えるから、地に足が付かない判断になって、騙されて殺される。
生き残って何をするのか判らないのに生き残る事を考えても、ゴールがないから飽きて疲れて適当なところで考えるのをやめて、間違った決断をして、妙な液体の予防接種を注射して薬害に遭って無駄死にする。
信者なら殉教で天国へ入るのが目的だから、他人の悪行を糾弾して迫害されて殺されても、何の問題もなく、むしろ天国へ入れるから喜びになる。
信者ならゴールが天国へ入る事だから、徹底的に考え続けて、思考停止にならないから無駄死にしない。

何のために生きるのか全く考えない人間ほど、変な生き方をしてしまう。
相手を論破すれば自分が正義に成れると思い違いをしている。
悪人を糾弾すれば自分が正義に成れると思い違いをしている。
他人をやり込めても正義には成れない。
正義になるには、正義を実行する必要がある。
正義かどうかは、神を信じるかどうかで決まる。

根無し草は、他人に依存している。
他人に依存しているから、他人を叩く事でしか自分が成立しない。
ただし、本当に自我のある人は、神を信じて神の掟を守る人だけである。

、99%
世の中の99%は悪魔崇拝の有害無益である。
80%は無駄とか、どうでもいいとか、見た目が8割とか言っているけど、実際は99%が有害無益である。

全ての国はサタンの支配下だから、特定の国家を持ち上げるのは悪魔崇拝だし、特定の国家を侮辱するのも別の国の国家主義者だから悪魔崇拝だ。
国家の場合は99%どころか100%悪魔崇拝である。

そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ

ルカ福音書 4章6節 新共同訳

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