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命を優先は地獄行き 神の責任感 縁を投資対象 人と国の混同の国家主義 犯罪の温床 騙され原因

1、命を優先は地獄行き
サタンカルトは、生きる事を絶対的に最優先する。
神の聖書は、生きる事をそこまで絶対視しないで、殉教を奨励している。

サタンカルトは、他人の命を勝手に人質に取って、薬害を発生させた。
命を守るとか言いながら、薬害の接種を強要した。

そもそも、良い感じで死にたいという人は、2割ぐらいは居るとアンケートにある。
非信者は、他人を勝手に生きさせようとする。
他人の命を勝手に守ろうとか言う奴は、実際は薬害で殺す。
他人の生き死にの意思を尊重しない奴は、他人を殺す。
他人が生きたいと思うような人生や社会にしない癖に、生きるように強要するのが非信者の身勝手なところである。
非信者が身勝手な強要をしてくるから死にたくなる。
非信者の身勝手なエゴがシンドイ。

神は生きる希望を与える。
身勝手な非信者のエゴは、生きる希望を与えないのに生きろと強要する。

神はこの世の命をそこまで絶対視しない。

マタイによる福音書 10:39
自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
マタイによる福音書 16:25
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
マルコによる福音書 8:35
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
ルカによる福音書 9:24
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。
ルカによる福音書 17:33
自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。
ヨハネによる福音書 12:25
自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

この聖書箇所は、死後の命の事を言っている。
自分の命を救うとは、死後の自分の永遠の幸せを得る、という意味だ。
この世の自分の命に囚われている人間は死後の永遠の幸せを失う。
この世の自分の命に囚われていない人は死後の永遠の幸せを得る。

天の主がこの世の命に固執してはいけないと言っているから、サタン側はこの世の命に固執するように人々を洗脳する。
この世の命に固執する事そのものが神に逆らう事だから、神に逆らえば地獄へ落ちるため、人々を地獄へ道連れにするサタン側の目的に合致する。

サタンはこの世の神だから、この世で生きる事を異常に絶対的に価値があるモノだと洗脳する。

ヤコブの手紙 3:15
そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。

他人が生きるように強要する奴らは、サタンの手下である。

2、神の責任感
神は、従う人には、責任を取って死後は天国で永遠の幸福を与える。
非信者は、自分に従う人に責任を取らない。死後の幸せを保障しない。
口出しをするにしても、神は責任を取るけど、非信者は責任を取らない。
怒るにしても、神は責任を取るけど、非信者は責任を取らない。
非信者は、自分に従った人に対して、死後どころか、この世ですら見返りを与えないし、幸せを保障しないし、損害を加えるから、無責任である。
責任感とは、死後の幸せを保障した上で従いなさいと言う事だ。
幸せを保障しないのに従えと強要するのは、無責任なエゴだ。

非信者は、死後の世界が存在すると、自分の無責任な発言の責任を取らされるから不都合なため、死後が存在しないと決め付ける。
非信者は、自分の都合で死後の有る無しを決めるから無責任である。
俺は、聖書を読む前は死後の世界は存在しないと思っていたから無責任だった。今でも死後の世界は不都合だと感じる時があるけど、神が言うから信じて従う事にした。もっと信仰心が深まれば、死後を用意した神の恵みに気付くのだろう。

非信者は自分の都合で死後が無いと決める。
信者は自分の都合よりも神の言う事を優先して死後が有ると決める。
自分の都合を優先するか、自分の都合を優先しないか、その試験紙としても死後の有る無しの考え方は機能する。これ以外の機能もあるだろう。。

3、縁を投資対象
人間関係を時間の投資対象にしている非信者。
時間を掛けて人間関係を作ると、失うのが惜しくなって、サンクコストを損切りできなくなる。
こういうサンクコストに囚われるのは、ダラダラと人付き合いをするからだ。もしかしたら利益が出るかもと期待するから損切りできない。
神の信者なら、神の教えを携えていなければ挨拶しない受け入れない。神に立ち帰れば、非信者の時の人間関係を全て絶縁する。ダラダラしない。
信者なら、利益が出ても出なくても、非信者とは絶縁する。

信者の人間関係は、相手が神に立ち帰ったかどうかで付き合うかどうかを決めるから、長時間の交流は関係ない。

この教えを携えずにあなたがたのところに来る者は、家に入れてはなりません。挨拶してもなりません。

ヨハネの手紙二 1:10

信者は、時間がサンクコストになって縁切りができない事もない。最初から付き合わないからだ。
非信者の時の人間関係も絶縁して、神に立ち帰った証にする。
立ち帰る前の人間関係は、立ち帰る証として作っていたモノだと考えるのだろう。

人間同士の関係は、自分の利益のためではなくて、神のために構築するモノである。
自分の損得で人間関係を作るのは、サタン側が用意した罠である。

信者は、神に立ち帰った人なら、嫌いな相手でもそれなりに受け入れる。
信者は、好きな相手でも、神に立ち帰っていないなら絶縁する。
信者が好き嫌いや利害ではなく、神に立ち帰ったかどうかで人間関係を築くのは、人間関係を投資対象として見ていないからだ。
人間関係を投資対象と見ていないから、サンクコストに囚われない。
人間関係を利権と思っていないから、未練がない。
人間関係を神からの義務と恩恵だと思っているからメリハリがある。

人間関係を良くしたいと思うのは、人間関係を利権と思っているから、利権をもっと増やしたいと思っているのと同じである。
利権を増やしたいと思っているから、どうやれば利権が増えるのかで悩む事になる。

4、国家主義
個人と国家の区別が付かない人間を発言させて、人々を国家主義に洗脳する奴ら。
反日だろうと、個人と国家の区別が付かない奴らを発言させれば、人々は個人と国家の区別ができなくなって、国家主義者にとって好都合な大衆に洗脳できるから、こういう反日を泳がせているのが国家主義者だ。
個人と国家の区別ができない人は、緊急事態になってから、暴力で脅せば、簡単に屈する。
聖書の信者だと、後で暴力で脅しても、暴力に屈しないで殉教を選ぶ。
非信者でも個人と国家を区別する人だと、後で暴力で脅しても屈しない。

反日に限らず、エセ左翼に資金援助をして、エセ左翼に暴走させて左翼全体の権威や信用を失墜させる手口がある。
保守が資金援助しているのか、サタン側が資金援助をしているのか。
大衆を国家主義に洗脳しながら、左翼の信用を失わせる手口だ。

5、犯罪の発生源
犯罪者同士で馴れ合っている奴ら。
犯罪者は死ぬまで苦しめないと気が済まない人たち。
どちらもおかしいから、変な事になる。
非信者VS非信者だから、変になる。

被害者そっちのけ。
犯罪者を叩きたい人は、口実を作るために、あえて犯罪者の犯罪を野放しにして被害者を出しているだろう。
犯罪者を叩きたいという欲望が犯罪の発生源になる。

前から何回も書いているけど、世間が自分たちで善し悪しを決めるから、犯罪者が世間を騙せば犯罪をやりたい放題できると思ってしまう。
自分たちで善し悪しを決めないで、神のルールで善し悪しを決めれば、犯罪者は犯罪をしなくなる。
神のルールなら、犯罪者がどんなごまかしをしても絶対に赦さないから、犯罪ができなくなる。
非信者が自分たちの勝手なルールで善し悪しを決めるのが、犯罪の発生源なのである

神の信者は、犯罪者を赦すのは、被害者に謝罪して、損害賠償して、二度と犯罪をしない生き方をする場合だけだ。
非信者の中でも異常な重罰主義者は、犯罪者がどれだけ償っても絶対に赦さないし、自殺しても赦さない。
非信者の中には、自分に関わらなければ勝手に赦す人間も存在する。

6、騙される原因
何回も書いているけど、非信者は自分で善し悪しを決めるから騙される。
サタン側は、人々が神に従わないような価値観に洗脳した後で、神に従わない人間だけを殺すシステムを作る。
もし、神の信者を殺すと、神は怒って、ソドムとゴモラのようにこの世を滅ぼして、最後の裁きを前倒しにして、サタン側を地獄へ落として焼き続けるか魂を消滅させる。
だから、サタン側は裁きを前倒しにされたくないから、信者を殺さないシステムを作り、信者以外を殺すシステムを作る。

何回も説明しているけど、確認のために書く。
疫病は、背教者に対する神の天罰である。
その天罰を予防接種で蹴散らそうとするのは、神に対する冒涜である。
信者は神への冒涜をしないから予防接種もしないため薬害に遭わない。
非信者は、神に従わないから予防接種で薬害に遭って殺される。
これがサタン側の「神の信者以外を殺すシステム」である。
疫病以外でも、犯罪・地震・戦争・飢饉などでも信者以外を殺すシステムを作るのだろう。それがどういうシステムになるかは、まだ判らないけど、神を信じて神の掟を守れば回避できるシステムになる。

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