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犬の縄張り意識と毒親 工作員の正体 清さの定義 パウロ晒し者 文士は異常者

1、毒親と犯罪者
毒親は子供を私物化して縄張り意識を持っている。
自分の言動が正しいかどうかを全く考えないで、自分の私物を奪われそうになると意固地になって逆上する。
犬も餌や玩具を私物と思っているから、盗られると思って逆上する。人間から与えられたモノでも、私物だと思う。
自己中な人間も、神から与えられた富を私物だと思い込む。
犯罪芸人も、悪行を糾弾されると、威嚇して、開き直る。
自分の縄張りを侵害されて奪われると思って逆切れする。
公共の電波は、犯罪芸人の私物ではないのに、私物だと思い込む。
神の信者なら、全て神のモノだと判るから自分の私物は存在しないと考えている。

犬でも野犬はそれなりに聞き分けがあるけど、聖書で犬は聞き分けがないと書くのは、何かの例えだと思う。
つまり、聞き分けのない犬とは、聞き分けのない自己中な人間の事だろう。

旧約聖書:列王紀上:21章:24節
アハブに属する者は、町で死ぬ者をが食い、野で死ぬ者を空の鳥が食うでしょう」。
旧約聖書:詩篇:59章:14節
彼らは夕ごとに帰ってきて、のようにほえて町をあさりまわる。
旧約聖書:箴言:26章:11節
が帰って来てその吐いた物を食べるように、愚かな者はその愚かさをくり返す。
旧約聖書:イザヤ書:56章:11節
このどもは強欲で、飽くことを知らない。彼らはまた悟ることのできない牧者で、皆おのが道にむかいゆき、おのおのみな、おのれの利を求める。
マタイによる福音書 7:6 (新共同訳)
神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」
ヨハネの黙示録 22章15節 新共同訳
犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。

ヨハネの黙示録では「犬のような者」と書いてあるけど、具体的には、自己中な人間の事だろう。

自分自身の犯罪を昔の事だとか言う犯罪芸人は、犯罪が赦されると思っているから、また犯罪をやる。
こういう犯罪は赦されると思っている奴は、必ず犯罪をするし、見えないところでまだバレていない犯罪をしている。
犯罪の罪は一生に渡って背負うモノと言う人は再犯しない。
エヴァとアダムの罪も、人類が一生に渡って背負うモノだと自覚している人は、二度と罪を犯さない。

犯罪芸人の同類は、世論操作をしている。
自分の発信力を私物化して世論操作を謀る奴らは、犯罪者の仲間だ。
力を手に入れたら責任が伴うのが判らないのだろう。

2、工作員の正体
中国共産党の手下ではなくて、サタン側の手下である。
アメリカ側の手下ではなくて、サタン側の手下である。
サタン側の手下を、中国共産党やアメリカの手下と見せかけて騙す。
アメリカ国内の破壊工作をしているのは、中国共産党の手下ではなくて、サタン側の手下である。
中国内で破壊工作をしているのは、アメリカの手下ではなくて、サタン側の手下である。
日本国内で破壊工作をしているのは、アメリカや中国共産党の手下ではなく、サタン側の手下である。
サタン側の手下だと人々が気付くと、神の存在に気付くため、人々を地獄へ道連れにできないから、アメリカや中国共産党の手下だとすり替える。

この破壊工作員の害を回避するには、神に立ち帰る必要がある。
サタン側は、天の主の信者を殺すと最後の審判が前倒しになるから、信者なら死なないような虐殺システムを作る。

こういう世論操作の工作員は、金を貰って誹謗中傷をしているから、どうこう言ったところでやめない。
金を出している連中を潰さないと、止まらない。
どうせサタン側の手下だから、サタン側を潰したところで、別の非信者がサタンに魂を売って、サタン側の手下に成り果てて、同じ悪行をする。
工作員は、家族を人質に取ったり、ハニトラに遭ったり、借金漬けだったり、何らかの洗脳をされた後だろう。
家族が人質に取られているなら犯罪だから、アンチや工作員に対する反撃ではなくて、救出をする必要がある。
通信会社に開示請求して、住所を割り出して、救出作戦を実行する。
もし通信会社が開示に協力しないなら、犯罪集団の手下と見なして、捜査の対象になる。

エセ愛国で自国のためとか言っている奴らは、他人を鉄砲玉にする。
人種・民族・国籍で分かれさせて、殺し合わせようと企んでいるサタニストである。
サタンに魂を売っていなくて、自主的に国粋主義をやっているなら、野生のサタニストである。

3、清さの定義
無駄な方向で清潔になって、自分が奇麗になったと思い上がる自己中な人間が存在する。
本当に清いのは、神の掟を守る生き方である。
神の掟を守らないで、自分勝手な奇麗を追及しても清くならない。
自分が思う清さを追求しても、永遠に清くならない。

清くなりたいのは、本来は神に対する人間の本能である。
天の主を知らないから、清さの定義が判らないため、訳の判らない自己中な清潔ルールを作って満足してしまう。
しかし、身勝手な清潔ルールを守っても、真実ではなくて奇麗にならないから、満足できなくて、異常に清潔を追及したり、他人に強要したり、他人の不潔さを異常に叩いて、暴走する。
他人の不潔を叩いても自分は清くならない。

4、パウロ
パウロは、30代40代で結婚しない理由は何なのか。
結局、結婚しない理由を全く言わない。
他人に結婚しないように勧めているのに、自分が結婚しない理由を説明しない。
普通、結婚しないように言うなら、自分が結婚しない理由を言うモノだ。
ちなみに俺は虚弱体質だから子供に遺伝させたくないから、結婚に憧れても結婚しないけど、聖書は一夫多妻としていると解釈した。

パウロは子供を育て上げるのが良い事だと手紙に書くけど、結局、自分が結婚しない理由を全く言わない。

何でパウロの手紙を晒すのだろうか。
何回か読み込めば、異常な部分が多いのは判るだろう。
俺は、かなり前から投稿でパウロの異常性を20数回ぐらい書いていて、ここ数回の投稿でも書いている。
パウロを聖人指定している人たちは、何で異常性が判る手紙を聖書に紛れ込ませるのだろうか。
ただ、聖人だと鵜呑みにしている洗脳された思考停止のパウロ教徒だと、異常性に気付かない。

聖書に入れた人間は、パウロが嫌いなのだろうか。
確かに、パウロは異常性が何十か所もあると書いたけど、そんな異常者がチヤホヤされると妬ましいから、ワザと晒し者にしているのかも。
単に前任者の聖書編入の決定を撤回できないのか。普通の会社でも前任者の上司の仕事を廃止にできない。
利権になっているからやめられないのか。

無暗に聖書へ編入しないで、偽装キリスト教団内だけで聖人指定しといて、後は聖人の手紙という体で教団の入団者にだけ読ませればいいと思う。
教団内の解釈をした神学だけで載せておけば、何とでも捻じ曲げたり、余計なところを省いたり、変なところを注釈や消去すれば、何とでも庇えるのに、何で庇わないのか。
タダの一個人の俺でも、ここまでダメなところが判るのに、全世界へ聖書として公開するとか、何の配慮もない。
何でそのまま全世界へ晒すのか。
普通、他人の手紙を全世界へ公表なんて、まともな神経の人間ならやらない。
自分の知り合いの異常性が判る手紙を全世界へ晒すか、少しは考えてみたら判る。

もし、聖書が書き換えられていて、手紙を偽装キリスト教団が変造していると言うなら、何でパウロの恥になる変造をするのか。
聖書が書き換えられているとか言っている人間は、何かおかしい。もう少し自分の立場や、考え方や、聖書の人物への私情を一覧で書いて欲しい。
パウロの敵なのか味方なのか、立場がハッキリしない。
パウロにどういう思い入れがあるのか、説明して欲しい。
もしかして、神がパウロを器(道具)として利用したのは、こういう「聖書書き換え論者」の屁理屈を破綻させるためなのだろうか。
「聖書改ざん説」の論者は、自分の言っている事のつじつまも合わせられない知能をしているから、こんな奴らを信じる方も知能が同じである。
ちなみに俺はパウロに対して、使徒ではないし、偽使徒でもないし、勘の悪い人間が、ローマ帝国のスパイに唆されて、ロクでもない事を手紙で書くように誘導されただけの存在と思っている。

パウロは自分で結婚しないと言っているけど、特権階級で結婚できないのは、よほど性格や見た目に異常性がある場合だけだ。
現代の金持ちと違って、昔の特権階級は、ほぼ必ず結婚をしなければならない立場である。
それなのに結婚しないなんて、親はよく許したな、というレベルだ。

パウロは、文章は書ける。
俺は「文章を割と書けるけど話す方は苦手」だけど、こういう発達障害やコミュニケーション障害は、存在する。
文章が書けるからと言って、話し方がまともだと思わない方がいい。
文章が書けるからと言って、まともな人間だとは思わない方がいい。
文章を毎日何千文字も書くのは異常者である。
俺は自分が異常者だから、パウロの異常性も判る。
人間は、不思議な能力が有って、同族というモノを見分けられる。
何千文字何万文字も毎日に渡って発表するのは、異常者である。
文章を書ける人間だけで出版とか放送を独占しているから、作文能力のある人間を賢いとか正しいとか世論操作するけど、文章を書ける人間は異常者だと俺は断言する。
作文能力のある人を正しいと言っている作家は、自己愛性人格障害なのではないかと思う。
自己愛性人格障害の特徴は大きく2つあって、自分を過大評価する、他人を過小評価する、というのがある。
文章を書ける自分は偉大な人間だと思い上がっている異常者である。
傲慢は神が嫌う感情だ。
才能を私物化すると、自分が異常者だと言わないで、他人に自分を偉大な人間だと洗脳する。

そもそも、そんなに他人にモノを伝える必要性はない。
必要もない事をやっている時点で異常である。
何百冊何千冊も本を読んで、毎日文章を書くのは、異常だと思った方がいい。
神の教えを伝える事だけが正常だから、聖書解釈を何万文字も書くのは当然だけど、神以外でアレコレ伝えるのは異常である。

文士は異常者であり、剣士を目指すようなもの。
剣で飯を食っていくのは異常者だし、稼ぐわけでもなく剣を普段から振り回すのも異常者である。
それと同じように作文で飯を食おうというのは異常だし、稼ぐわけでもなく作文を振り回すのも異常である。
才能は、神から授かったモノなのだから、みんなの利益のために使うべきだと聖書にある。

あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。
むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。

申命記 8章17節18節 新共同訳

マタイによる福音書 10:8 (新共同訳)
病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

才能は、私物ではない。

今の時代は紙と鉛筆がタダみたいなものだけど、昔はとんでもなく高かったのに、あんなに文章を書こうという時点でパウロは異常である。
手紙を運ぶだけでもとんでもなく費用が掛かる。
現代日本は作文をタダ同然で出来るけど、長文を書く人間は異常である。

パウロは、迫害でステファノを集団リンチで殺害した時に、賛成の意志を衣で示しているから、場面緘黙の発達障害なのだろうか。

使徒言行録 7章58節 新共同訳
都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
使徒言行録 8章1節 新共同訳
サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。

場面緘黙とは、ある場面では話せるけど、特定の場面では話せない発達障害の事である。

パウロは、演説はできても、決断はできないのだろうか。
もしかして、パウロは苦し紛れで皇帝に上訴したのか。
最近のSNSでも、順調な時は能弁なのに、逆境になると苦し紛れに訳の判らない行動をして自滅する人間が居るだろう。こういうのを困ったチャンという。
皇帝も困ったのではないか。
権力者というのは、自分の権力を奪おうとする敵には殺戮をするけど、絶対に自分の権力を奪えない困ったチャンには優しい。
人間は誰でも自分の脅威にならない存在には優しいモノだ。
パウロがあれだけローマ帝国を脅かしそうな物言いをしても殺されないのは、単純にパウロが困ったチャンだからかもしれない。
苦し紛れで上訴しただけだから、使徒ルカは使徒言行録で書かないし、ローマ帝国側の受領者のテオフィロも要求しなかった。
上訴しなければいいのにと、呆れられている感じの場面も印象として受け取った。

新約聖書:使徒行伝:26章:32節
そして、アグリッパがフェストに言った、「あの人は、カイザルに上訴していなかったら、ゆるされたであろうに」。

5、脱税
脱税はダメ。
この世はサタンが支配しているから、脱税や搾取だらけになる。
権力者の脱税が野放しなのに、サタンの存在に気が付かない背教者。
神を信じてサタンに抵抗すれば、サタンの手下の脱税者も消滅する。

ヤコブの手紙 4:7 (新共同訳)
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。

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