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知恵の実を食べなくても中央と端の識別する知恵があるエヴァ 中央が判っても知恵ではない

エデンの中央に生えている木は、色んな名称がある。
善悪の知識の木、分別を知る木、知恵の木、など。

エヴァは、知恵の木の実を食べなくても、中央と端を区別する認識力の知恵はあった。
それは次の引用の3つから説明する。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

創世記 2章9節 新共同訳

神は命の木と善悪の知識の木を中央に生えさせた。

主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい
ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

創世記 2章16節17節 新共同訳

しかし、神は人に「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」と命じたが「中央に生えている木から食べてはならない」とは教えていない。
神は「善悪の知識の木が『中央』に生えている」なんて人やエヴァに教えていない。
あと、神は「善悪の知識の木」からは食べてはならないと言ったけど「命の木」からは食べてはならないと、この時点では言っていない。

でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」

創世記 3章3節 新共同訳

しかし、エヴァ創世記3章3節で「中央に生えている」と言った。
つまり、エヴァは楽園に中央と端があるのを神に言われなくても認識した事になる。
教えられなくても自分で中央と端を識別する知恵がある事を意味する。
人に対して「中央」と教えなくてもエヴァは「中央」を認識していた。
どの人が「中央」を自分の知恵で認識したのか判らないけど、エヴァに「中央」を教える能力が有る事を意味している。
もしくは、エヴァが自力で認識したか。

人が自力で認識してエヴァに教えたのか、エヴァが自力で認識したのか。

こうなると、知恵とは、どの程度なのか、という話になる。
中央と端を自分で認識できる能力は知恵ではないのか、という話になる。

命の木については、神は次のように言っている。

主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

創世記 3章22節 新共同訳

「命の木」から取って食べると「永遠に生きる者となるおそれがある」というだけで、命の木の実を食べるのが道徳的にいけない、などと言っていない。
創世記2章17節では「命の木の実」を食べてはいけないとはいっていないし、3章22節でも「命の木の実」を食べるのが道徳的にいけないとは言っていない。
多分、責任転嫁をする精神状態で永遠の命を手に入れると、懲罰する時に永遠に地獄で焼き続ける事になって、魂を消す事ができなくなるからだろう。

エデンの四つの川がある。

エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。

創世記 2章10節 新共同訳

楽園は中央から湧き水みたいになっていた。
その湧き水から4方向へ分かれている。
十字みたいな形になっているけど、これでも中央を識別するのは、自力では難しい。
何が「中央」なのか言葉の概念が判らないからだ。右を知らない人に右を教えるのが難しいようなモノだ。どこかの島の先住民は右を知らないという話がある。
中央と端を区別するには、中央の言葉の概念を理解したうえで、端が特徴的である必要性がある。
何の知識もない赤ん坊から、何も教えないで育っても、自力で川の中を中央と認識するのは難しいだろう。

そもそも、中央を認識するという事は、端には何があったのだろう。
エデンからは川が4つに分かれているから、海があるのだろう。
もしかしたら、氷の壁かもしれない。
もしかしたら、楽園だから周りは崖かもしれない。
フラットアースなら、端は氷の壁になっているから、見えているなら中央を端を区別するのは簡単になる。
端が海や氷の壁なら、中央と端を区別するのは簡単である。
端が特徴的なら中央を定義するのも簡単だ。
ただ、そうなると「中央」という言葉を神は人に教えていないのに、人やエヴァは「中央」の言葉を自分たちで編み出した事になる。

この世はフラットアースだから球体地球は間違いである。球体地球では、大地の中央と端を定義するのは不可能である。
北極点を中央にしても南極点は端にならない。それなら、南極点を中央に定義したら、北極点は端になるのか。
ヒマラヤ山脈が寒いから中央にするなら、その反対側が端になるのか。
チベットが悪魔崇拝の中心地になっているのは、標高の一番に高い山があるからだろう。

竹の根は一本だから、竹林が何千何万も竹を生やしていても、竹林は全て一本の竹である。
他に、別々の植物なのに、一本の樹木のようになっている寄生植物というものがある。
ヤドリギがある。
ヤドリギ - Wikipedia
絞め殺しの木と呼ばれるイチジクの一種もある。
絞め殺しの木 - Wikipedia
イチジクの葉でアダムとエヴァが体を隠したという描写がある。
ヤドリギは、根を土に生やさない。
エヴァは、知恵の木が一本の独立した植物である事を認識していた。もしくは、寄生植物の知識がなかったのかもしれない。

エヴァは、中央の木と中央以外の木が、根は別々の植物だと認識した。
しかし、神は中央の木と中央以外の木が別々の木だと教えてない。
神は人間が、中央の木と、中央以外の木は、別々の植物だと認識する知恵があると判っていたから教えなかったのだろう。
中央や根を見分ける知恵は、知恵とは見なされていないのだろうか。
どのぐらいの能力までが知恵ではなくて、どれぐらいの能力を超えたら知恵と定義されるのだろうか。
自力で中央の言葉の概念を編み出すのは、知恵とは見なされないのか。
自力で中央がどの場所か定義できるのは、知恵とは見なされないのか。
自力で根っこが別々だと認識できるのは、知恵とは見なされないのか。

人間の定義は、自力で神に立ち帰る能力が有る事だと何回か書いた。
自力で立ち帰る能力がなければ、無条件で天国へ入れると思う。
自力で立ち帰る能力がどの程度の知恵なのかは、イマイチ判らない。
少なくとも、エヴァのように中央と端と根の区別が付く知能があるなら、自力で神に立ち帰る能力があると判断されるだろう。

あと、自力で立ち帰る能力があっても経済的に困窮していたら無条件で天国へ入れる。
貧者ラザロは、神を信じている描写がなかったけど、無条件で天国へ入れた。
貧者ラザロの困窮具合は、服を買う金が無い、食べ物を買う金が無い、家を借りる金が無い、治療費が無い、犬から助けてくれる友人が居ない。

列王記下4章で、エリシャが仲間の妻が未亡人になって生活に困っていたら、油を増やして助けた。
しかし、未亡人が神を信じている描写はなかった。敬虔な者の妻だから、神を信じている描写がなくても、信じているモノだと決まっているのだろうか。
貧者・未亡人・孤児を助けろとは書いているけど、その3者が神を信じているかどうかで助けるかどうかを決めろとは書いていない。無条件で助けろという意味なのだろう。

エヴァが中央の木が善悪の知識の木だと認識できた理由は、他にあるかもしれない。
それは、善悪の知識の木がとんでもなく巨大だったからかもしれない。
前に書いたけど、標高何百キロメートルもある巨木の存在を紹介した。


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