エピローグ

7月30日、自立生活センターの介護者として最後の夜勤を神奈川で終え、20時に福岡市内の新居に到着したぼくは、新婚生活を送る高校時代の友人からの「離婚するかも…」というSOSの連絡を受けてしまった。

そんな風にして、ぼくの福岡という新天地での生活ははじまった。

寝具もない部屋でとりあえず、クーラーをつけて寝た。
翌31日の17時頃から福岡のお母さんと会った。

ぼくの家の最寄り駅で中華を食べたのだが、わずか半年前に「福岡来ちゃえばいいのに!」というパルプンテにはじまり、本当に福岡に引っ越してきてしまった事実に呆然としながら、思わず福岡のお母さんの前で、

「本当に福岡来ちゃいましたね~……」とつぶやいていた。

それを聴いた彼女は、「その一言が聴きたかったんだ」と喜んだ。

彼女は、いままでの自分の人生や実践を振り返って、

「私は触媒だったんだな~って思ってます」というようなことを言った。

「触媒」であるためには、ある程度触媒たる存在がからっぽであることが求められる。そう、「空」。実は、ぼくの本名にも「空」の字がついている。しかも、仏教由来の「空」。

恩師の影響下で、自立生活運動の近くにいる間は、とにかく彼の役に立つためにと、闘わなくては!と思っていた。彼が制度を護ったり拡充したりする闘いの場にいるから、それをせめて後方からでも援護射撃しなくてはと思っていた。そういうお手伝いがしたいと思っていた。そういう研究や実践を博論でやろうとした。けど、結局ぼくにはできなかった。やりたくなかった。自分の闘いが終わった今、自分のフィールドではない戦場で、銃を抱え続け、無理に闘い続けることはぼくにはできなかった。

ぼくはあの分野における当事者ではなかったのだ。

ずっと、恩師であるところの東京のお父さんは、ぼくにとってこの10年程、ロールモデルとしても機能し続けてきていたわけだけども、自分にはむしろそういう戦場で闘う人間になるよりも、福岡のお母さんのように「触媒」として生きる方がより適性があるんじゃないかと思った。

5年程前に、「触媒」について考察し書いた文章があるので引用してみる。

「触媒」について

先日、毎週のジムでの筋トレの合間にK(中学からの友人でトレーナー)がこんなことを言ってきた。

「なんかあなたは「触媒」っぽいよね。いろんな人を引き寄せて巻き込んで、それでまあ、現われの空間を築いていく、と」

はて、「触媒」とはまた異なことを…。人から、「あなたは「触媒」っぽいよね」と言われたのはこれが二度目なのだ。

「「触媒」って以前にもとある理系の大学の先生だった人に言われたことがあるんだよね。「触媒」ってあれなんだってね。概念上は、ずっと一定量の物質同士を媒介することになってるけど、実際には媒介し続けていくうちに「触媒」自体が疲弊したり摩耗する関係で媒介する量が落ちていって「触媒」としての機能も低下していくんだとか。「触媒」なんてもちろん専門外だけど、人から聞いた知識についてはよく覚えてるよ」

「触媒」とは違うけど、亡くなった浜松の友人からも生前大体同じような意味のことを言われたことがある。

「なんか話聞いているとやそらくんの周辺には、メンヘラみたいなそういうしんどい人がよく集まってくるよね。いわば、やそらくんは「ルーター」的な存在な訳だ…笑。あるいはメンヘラホイホイかな?(笑)」

彼の表現によれば、「ルーター」としてのぼくはWi-Fi的な何かを飛ばしていて、その電波を求めてメンヘラ的な人がホイホイ身近に現われていたということにでもなるのだろうか…?笑

ちなみに彼にこんな風なことを言われたのは、「サポートグループとしてのひきこもりサミット」活動が活発だった時期と重なる。

レズビアンの友達とは、こういうお互いが持ち合わせている特性についてよく自分たちは「当事者ホイホイ」なのだ、なんて話をしていた時期もある。

ちょっと違うかもしれないけど、後輩のレオくんなんかにはよくやそらさんは「異質な他者」感がすごいします。「怪しいニオイ」がプンプン漂ってますなんて煽られる。

曰く、「やそらさんって基本的に周囲に溶け込めてない感じするじゃないですか?それでしかもふつうじゃない、怪しいニオイがにじみ出てる感じがするんですよね~」

まったく、失礼な後輩である…!

いずれにしてもこれらの表現は、「触媒」としてのぼくのあり方の様々な側面のある側面について言及した表現なのだろうと思う。

Kはさらに続けてこんな風なことを言っていた。

「けどそうやってあなたの近くにホイホイ現われる人っていうのも、案外自分も含めて、あなたに正確に自分のことを言い当てられたかったり、人にあんまり話せないようなことを話し出したかったりするんだと思うよ」

なるほどな~と腑に落ちる。

例えば、ぼくのことを「異質な他者」呼ばわりするレオくんにしても、結局、はじめて個人的にあって話をしたときに7時間にわたってぼくを連れまわした訳で…(笑)それから以前、「ひきこもりの人のためのサポートグループ」となっていたひきこもりサミットに集まってきていた多くの人にしても、そういう機能をある面ぼくに求めていたところがあるのかもしれない。

そういえばひきこもりサミットの立ち上げメンバーのひとりが以前、こんな風なことを言っていた。

「ひきこもりサミットの雰囲気を作っているのはやっぱりやそらくんな訳で、それでやっぱりやそらくんだから話しやすいとか、ついつい話し出しちゃうなんていう人は実際多いんだと思うよ」

そうやってしんどい状態にある人たちのケアラー役割を引き受け、サポートグループしてのひきこもりサミットの運営者となっていったぼくは、気づかぬ間に大きく疲弊していった訳です。まあ、言ってしまえばバーンアウトですわ。

「触媒」と言えば、べてるの家の向谷地さんは、「弱さ」とは「貴金属」のようなものであり人と人とをつなぐ貴重な「触媒」なのだとしている。

ぼくのように「弱さの情報公開」を積極的に行うような人間は、きっと「触媒」として一級品なのに違いない…!笑

そんな一級品の「触媒」であるはずのぼくはしかし、ひきこもりサミットの運営でバーンアウトしてしまい、「触媒」機能が落ちてしまった。

やっぱり適度に「触媒」自体にとっても心地いい環境に身を置き続けることが、「触媒」の機能を高いレベルで維持できるし、疲弊も摩耗もしないで済むのかな~。

そういう経験や人と「触媒」について話すようになってからだと思う。

ぼくは、「自分の気が合う人とだけ、かかわろう~」と舵を切ることができた。

一緒にいて、いろいろ話していたりするうちにやたらと疲れたり、話しながら気を遣わないといけないような人とはあまりかかわらないでいいや~と思うようになった。じゃないとせっかくいろんな人からお墨付きをいただいているぼくの「触媒」機能がもったいないじゃないですか…!?笑


福岡のお母さんが言うような「触媒」とは少し違うかもしれないけど…笑

福岡への移住とは、ぼくにとって、自立生活運動から離れ、「当事者概念」を批判的に検討するために必要な行為でもあったし、恩師の影響下から離れ、いままでロールモデルとして機能してきた恩師から、福岡のお母さんを新しいロールモデルとすることも意味している、とぼくは思っている。

やそらさんが、福岡に来てくれれば、いろいろとおもしろいことになると思ってる。と前々から、福岡のお母さんに言われてきたけど…、本当にそんな風にワクワクするような展開がこれから起こって行けばいいな~と。

そんな風な空想を描いている。
妄想を抱いている。それらが実現するために祈ってる。

ぼくは基本的に、楽観的なのだ。

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