福岡生活半年経過

7月30日の福岡入りから半年が経過した。

最近は公私(境目どこだ?)共に新しい局面に入ってきているように感じる。

ピアスタッフも多いし「ヌルッと入り込めるんじゃね?」と思って飛び込んだ福岡市の精神保健医療福祉分野から一度撤退してから早3ヶ月弱…。

いろいろやったり人と話していく中で見えてきたことは、それでも今は研究よりも現場でちゃんと「自分が役に立てた」という実感が欲しい、「能力を発揮したい」という志向が強いということ。

10月のある研修でお話した際、ぼくは福岡移住の契機の一つとして「自分の「能力」を認められたい気持ちへの気づき」があったとしていた。それから3ヶ月が過ぎた頃、ぼくは「今までの自分の経験を活かす/活用する」「自分の能力を発揮する」んだという目標に基づいて動き出していた。

3ヶ月足らずの間に自分の身に起きた変化に気づいた時にはたまげた。え、大丈夫?100度位方向転換してない?超主体的(あの川田が)!?本当に同一人物なの??躁状態じゃないよね??と矢継ぎ早に疑問が自分自身に突きつけられた。

新たな目標に向けて動き出したのはよいものの、誰よりも自分自身がそんな自分の変化に戸惑い馴染めずにいた。

一月半ばから後半にかけて、どこかいつも「慣れないことしてるな〜…」と感じていた。

そういう想いや戸惑いについても人にお話させてもらうなかで、なんでこんな変化が起きたのか自分の中でも腑に落ちる説明ができてきてだいぶ落ち着いていった。

3ヶ月弱の福岡市の精神保健福祉分野で働いた経験から実感したことがあった。それは、「自分は環境や関係性次第で発達障害者/感じの悪い福祉の専門性の高い博士になってしまう」ということだった。いずれも不本意…!笑

年末年始に帰関(関東に帰るの造語)した際、ある人に自分のような人間は少し客観性が担保されたポジションから状況や現場について分析してその知見を現場なりにフィードバックするのがとても有益だろう云々言われた。

環境や関係性次第でネガティブな存在になってしまう→けど客観的なポジションからはそれなりに良いことできそう→それならばいっそ、自分の経験や能力を活かせる場所を見つけ出す/創り出すという生存戦略へと発展していった。そんな分析や説明、物語が人と話す中で徐々に見えてきた。

そして研修資料を作る中でふりかえった際に再発見したかつての主治医の言葉=「あなたはセルフモニタリング能力あるんだから、人生の三分の一病名なしで生きてこれたんだからこれからも病名なしで生きなさいよ」。

敬愛する主治医が評価してくれた自分のセルフモニタリング能力をフル活用して、新しい環境でなんとかやっている。これはぼくの強みだ。

いままでの人生は「自分の問題」や「家族の問題」ばかりを取り沙汰して、それとどう向き合うかどう対処していくか、それらの問題をどう解決/解消するかばかり考えていたと思う。

自分の経験や能力を活かす!と決めて動き出して、いろんな方々とのかかわりが増えてきた結果、「当該地域における障害者福祉の状況」だったり「精神科訪問看護業界が抱える問題」「日本におけるリカバリー運動の脆弱さ」といったものが前面化してきているように感じる。

扱うテーマや問題が変わった。より開かれた、社会的なモノになってきているなと感じる。一方でやることや考えること、考察に基づいて働きかける、アクションリサーチをするという営みやパターン自体はいままで自分が培ってきた生き方そのものを新しいテーマと問題毎にアジャストさせていく必要はあるけど、根本的にはほとんど変わらないな〜なんて思う。

何より、それらのテーマや問題と向き合う時、ぼくは自分自身や「川田家」の問題に向き合い続けていた時よりも多くの仲間と共にいるはずだ。

「川田家から頂いたモノ」は、言語化能力だけだと思っていたけども、こういう姿勢や生き方自体も案外あの環境下で培われたものであり、まさに「川田家から頂いたモノ」なのかもしれないという再発見になった。

こんな言い方はあまり言わないように最近はしてるんだけど、本当にこの訳のわからないクソみたいな人生で培ってきたモノ、身につけてきたモノでそれでもぼくは社会の役に立ちたいと思う。

それが自分の人生を引き受けること、生きる上でのケジメのつけ方の一つだなと思う。今更、たとえば自爆テロのような破滅的な衝動もない。

2月の頭は福岡市の天気が連日悪いし、プライベートでもショッキングなことが起こり塞ぎ込んだ。例によって絶望し、孤独に浸ってしまった。「福岡からの撤退!」も再び脳裏を過った。

主治医に「もう病名欲しがらずに生きていきます」と言ったそばから「またお前はそうやって出来もしないことを強がって言う!」とドヤされたのを思い出す。本当に凹んだ時は「福岡からの撤退!」は脳裏を過ってもいいと今は思う。

とは言え、気負わずあまり大きく出過ぎにまずは小さく小さく刻んでいくこと。無理のないよう動くこと。最近はそんなことを思いながら、考えながら福岡生活の新局面を迎えている。

ぼくは一人じゃない。

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