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伝わらない

「伝え方が9割」という本がある。
この本を読んだことはない。
タイトルが気になり、いつか読んでみたいなと思っている。
ちなみに他にも、「話し方が9割」「聞き方が9割」とかの本も出ているので、3つ兼ね備えようとすれば、比率が合わないぞと気になっている。笑

さて、私の話。
先日やっているスポーツの試合に参加した。個人競技。
私は完全に負けてしまった。
細かなことは省くけれど、負けてしまったのだから悔しかった。
(ちなみに前回も負けたので2敗になり、よけい悔しかった)

試合から数日後、指導者と話をしていた時
「悔しかった」と当たり前のように伝えたところ
「悔しいと思っていたんだ」と驚かれた。
私は内心、当たり前じゃないかと思った。

でも、指導者には私は平気そうに見えたらしい。
確かに、私は試合が終わった後、心配されたくなくて
笑顔で過ごした。
周りに気を使われるのが嫌というか、困らせてしまうと思ったから、
「これからも頑張ります」と前向きに締めくくった。

だから、メンタルが強くて、さらっと流してしまったように思われたのかもしれない。
でも、私はそんなに強くないし、流す所が心の奥に接着剤でも付けたように後悔や苛立ち、悲しみが居座り続けている。
だから、平気そうに見えたのはショックだった。

私は人から良く誤解される。
ジムでトレーニングしたあと
トレーナーから「まだ出来そうだね、余裕だね」と言われることが多い。
私は汗をあまりかかない体質なのと顔がクール(涼しそう)だからだ。
私はしんどくても、あまり表情に出ない。

つらい時でも、平気そうといわれたり、
落ち込んでいるときでも、私の言い方が素っ気なく聞こえてしまい
「何にも感じていない人」のように思われてしまう。
そのことは小さな棘となって、私の心の内側に少しずつ蓄積されていった。

「平気そうな人」
そう思われることに優越感を感じないと言えばウソになる。
なんだか自分が強くなったみたい。
でも、それ以上に辛いのだ。
寂しいような空しいような気持ちになってくる。
本当はしんどいことに気づいて欲しい、何も感じていないわけじゃないのだ。

小さな棘は孤独となって、どんどん膨らんでいく。
でもそんなもの誰にも見えない、わからない。
誰も私のことをわかってくれない。
そばにいるのに、私は遠くに飛ばされていった気持になる。

それでも、私は人前で泣いたり、訴えたりができない。
しんどそうにしていると、人に心配をかけてしまう。
そうすると、迷惑がられる、嫌がられる。
そこまで悪い方向に考えてしまう。
認知のゆがみだとわかっていても、心はついていかないのだ。

素直に笑ったり、泣いたり、悔しがったり、しんどくなったり出来たら人に誤解されずに生きていけるのかもしれない。
感情表現がうまくできないから、伝えたいときに伝わらない。

伝え方、話し方をもっと学ぼうかと考えつつも、まずは認知の歪みから直していった方がいいのかとも思う。


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