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国字と漢字

  我が国の言葉を漢字の構成法に則り創った文字を国字といいますが、文字を見て意味の判るものが多いようです。
 例えば峠(とうげ)、裃(かみしも)、榊(さかき)、辻(つじ)などはすぐ判ります。

 これらの国字は音読みができません。たとえば田地田畑は(でんちでんばた)と読むしかないのでしょうか。
 非常に少ないのですが音読みしか出来ない文字も幾つかあります。鋲(びょう)腺(せん)などです。音も訓もある唯一の例外といえるものに(どう・はたらク)があります。
 
 済(せい)は清(せい)に通じ、澄んだ水が語源で、済済(せいせい)は多く揃って盛んな様子を云います。原典は失念しましたが、詩文に済済多士(せいせいいたるたし)があり、我が国に渡って多士済済(たしさいさい)となり、多士済々と多くの人が読むので間違いとは云えなくなっております。「消耗」、「堪能」は間違って読まれたもので、現在、(しょうこう)、(かんのう)と読んだら間違いと笑われます。

 ある方の話ですが、
 勉強のできる子が多士済々(たしさいさい)と言うので、たまには負かしてやろうと思って、多士済々(たしせいせい)の間違いであると口論を吹きかけたとのこと。
 この会話をちょうど通りすがりの先生に見咎められまして教官室に呼ばれ、レクチャーを受けるはめになったとのこと。
 当時は居残りの授業を受けたようで損した気がしたようですが、今思えば毛の生え揃わぬ少年時代に、おぼろげながら漢字の壺を掴んだ気がしたとおっしゃっていました。
 先生から多士済々の論拠を聞かれましたが、その方はそんなものを知る筈もなく、振り仮名のついたのに出くわしただけのことと正直に答えたのが先生の講義と相成ったのでした。
 その先生の講義の内容は、おぼろげながら半分も覚えていないということですが、面白そうな所を紹介します。

菅原道真が大宰府に左遷される時に詠んだ『東風吹かば・・』(こちふかば・・)の第五句は拾遺集には『春を忘るな』と載っており、後の大鏡には『春な忘れそ』と載っていること。

・講釈や講談の仇討ちに良く出て来る不倶戴天(ふぐたいてん)の敵も、礼記(らいき)には倶不載天(ぐふたいてん)とあり、ともに倶(とも)に天を載(いだ)かずであること。

・音信不通の音信は昔は「いんしん」と読んでいて、時節の挨拶に贈る音信物は「おんしんもの」と読んだらどの時代の人にも通じないということ。

・物を覚えるときはその反対語もセットで覚えると僅かの労力で倍の数を覚えられるということ。音信物(いんしんもの)の反対語は到来物(とうらいもの)でしょう。

 大鵬幸喜が納谷幸喜から名前を変えたときのことです。
 元大関佐賀の花の二所ノ関親方がこの大器の将来を確信し、目を細めて「燕雀安ぞ大鵬の志を知らんや」(えんじゃくいずくんぞたいほうのこころざしをしらんや)と言った時、ある新聞記者は、『親方は嬉しさの余り鴻鵠(こうこく)と言うべきところを大鵬と間違えた』と記事にしてしまったのです。しかし、親方にとってはこの格言は鴻鵠では何の意味もなかったのです。
 燕雀で思い出しましたが、燕や雀は燕雀目燕雀科に所属していましたが、いまはすずめ科にいるようです。葦(あし)や葦(よし)は禾本科(かほんか)の草木でしたが今はいね科というらしいのですが....…。
 

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