映画ドラ◯もん     ひで太の病んでる時空伝

 のび太はよくジャイアンに虐められる。そして泣きながらドラえもんに泣きつく。そしてドラえもんはのび太に手を貸す。助けるわけではない。その場しのぎの手段を秘密道具という形で与えるのだ。しかし、のび太は欲を出しドラえもんの言い付けを破り秘密道具を悪用してしまう。結局のび太は痛い目を見て話は終わる。ドラえもんというストーリーは、ジャイアン、のび太、ドラえもんの3つの関係でバランスを保っている。
 
 私は人と自分を比べてしまう。比べても仕方ない、比べるべきでないことはわかっている。他人は他人、自分は自分なのだから。でも比べては劣等感に苛まれ落ち込む。そして、他人と比べているしょうもない自分自身に落ち込み、劣等感を覚え落ち込む。負のスパイラルを創り自分で飛び込んでいく、自作自演の一人舞台。こんな鬱作品誰も興味ないだろう。しかし主演の私にとってはこんな作品も傑作である。このスパイラルは落ち込むと同時にどこか心地よさを感じる。自身の心を傷つけ、それを自ら労わる。ドMが過ぎる。ドMというかメンヘラである。きっと私は自分が好きなんだ。私は面白いし何かの才能がある、きっとすごい人間。でも自分を肯定する自信がないから誰かに肯定して欲しい。あなたは素晴らしい人間だと認めて欲しい。しかし、探す勇気もない。犠牲を払わず利益を得ようなどそんな都合の良い話があるわけがない。だから私は自分を傷つけ、こんな状態でも頑張る私偉い、すごいぞと自分を励ます。そんな方法をとってしまうのだ。不器用だ。しかしこんなのが私である。心の中で自分で自分を責めて、自分で弁護する。そんなくだらない寸劇の一人二役をこなすのが私なのだ。きっとまた、わたしというジャイアンが私を虐めるだろう。その度に私はワタシというドラえもんに縋りつき助けを求める。しょうがないなぁといい助けてくれる。全米が笑いも感動も驚きもしない私のためだけの劇。ぜひ劇場でお待ちしております。

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