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 学校教育について考えてみた。

 学校教育は戦前は戦中は、軍人を育てるための教育を行い、戦後は民主主義教育となるが、高度経済成長期は画一化された教育することで生産性をあげる労働者を育てる教育を中心に行われてきたことは自明だろう。
 失われた三十年といい、今現在といい学習指導要領を確認しているわけではないので今、どんな人間を育てようと学校がしているのかは僕の知りうるところではないが、生きる力とか、グローバリズムに対応する力とかはこの間流行っていたような気がする。 
 果たして、国策として生み出す人間像は正しいのだろうか。確かに学校教育に疑問を抱かず、軍人なら軍人、労働者なら労働者、現代をどう表現するかは後に決まるだろう。適応出来る人間は適応するだろう。そして、優等なものとして選別されていく。さて、出来ないものはどうだろう。苛められたり、虐げられたりするだろう。また、最初から国策として生み出される人間像に批判的な人間も少なからずいるこも自明だろう。
 近代において学校は国家を作る重要な部分を担い多くの人間を教育してきた。生産といってもいいかもしれない。そのために犠牲になった人間は多いだろう。苛められたもの、障害のため差別されたもの、それは、現在も続いている。学校は無意識にも意識的にもそれらを生産し続けている。学校の罪の根深さは一度振り返ってみるといいのかもしれない。

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