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娘のお弁当生活で思うこと

高校生になった娘のお弁当作りをして、3か月目に突入した。

私は料理が特別好きというわけでもない。
家族がいなかったらたぶんちゃんと料理していないタイプ。
自分のお弁当なんて、人生で数回しか作ったことないと思う(笑)

幼稚園も、お弁当作りが不安で、完全給食のところを選んだくらい。
なので、娘に毎日お弁当を作るという経験は、実はこれが初めてだ。

料理も朝も苦手な私がちゃんと毎朝起きてお弁当を作れるの?という不安もあった。でもその反面、少し楽しみでもあった。
思春期に突入し、どちらかというと衝突する方が多くなってしまった娘に対し、できることが一つ増えるから。
口を開けば何かしら注意をしたくなってしまう。ここ数年、娘との関係は本当に難しく感じていた。だから、自然と娘の前では無口になってしまっていて、とてももどかしく感じているし、今も感じている。
だから、お弁当でコミュニケーションをとれることがひそかに嬉しかった。
娘に、ちゃんとあなたのことを想っているよ、と伝えられるチャンスなのかなと。

その目論見が当たってか、お弁当のことで娘との会話が少しずつ増えていったのは良かったなと思っている。
「今度、唐揚げを入れて」
はいはい、お安い御用です。
いくらでもリクエストに応えてあげたい。

そんな変化が、少しうれしい今日この頃。

お弁当といえば、少し前に読んだ田端信太郎さんの『自分を探すな 世界を見よう』という本の中で、こんなエピソードがあった。田端さんの奥さんが3週間ハワイに研修に行き、仕事をしながら3人の子供たちの面倒をみていたときのこと。冷凍食品とサトウのごはんを駆使した3分弁当を作ってTwitterで紹介すると、「育児をナメるな!」「手抜きで子どもがかわいそう」と批判が来て、テレビで特集までされてしまったというのだ。

子どもの健康を考えて、手作りしか使わないのも良いだろう。子どもが喜ぶからと、時間をかけてキャラ弁をこしらえるのも素敵だと思う。もちろんそんなこだわりの弁当が3分でできないことは私にもわかっている。ただ、どれもこれも「自分がやりたくてやっている」という事実を忘れてはいけない、と私は思うのだ。この前提を忘れてしまうと、いつの間にかやりたくてやっていたはずのことが義務のように感じられ、自分で自分の首を絞めてしまう。何年かすれば「あなたのために」が「あなたのせいで」に変わっていることだろう

「自分を探すな 世界を見よう」田端信太郎 著

本当にその通りだと思う。そもそも、他人の育児に口出しをすること自体がナンセンスであるのは大前提だとして。時間や手をかけたから愛情がある、ないとかではなく、「自分がやりたくてやっている」これに尽きると思う。
この本質を忘れてはいけないと思って、娘のお弁当作りに関しては絶対に無理をしないようにしているし、冷凍食品もガンガン使うし、体調が悪くて作れないときもすでに1~2回あったけど、罪悪感はもたないようにしている。「あなたのために」と「あなたのせいで」の境界はとても微妙であいまいだと思う。

ちょっと横道にそれてしまったけど。

何が言いたいかというと、ほどよく手抜きして、「娘のために」と思いすぎず、「お弁当を作れて私は嬉しい」というスタンスで、ゆるく続けていきたい。



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