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 今日は読書感想文とテレビドラマの感想を書く。
 司馬遼太郎著『関ヶ原』と、それを原作としたテレビドラマの感想だ。
 面倒なので全体の感想は省略するけれど、悪しからず。
 書きたいのは最後の場面。小説とドラマを比べたいのだ。
 小説は黒田如水がクローザーを務める。ドラマは関ヶ原という日本を二分した戦争の九州戦役を描いていない関係もあり徳川家康の謀臣・本多佐渡守正信(通称は弥八郎、演じるのは三國連太郎)が戦いの幕引きを担う。
 小説のラスト前は、東軍に属したのに徳川家康から警戒される黒田如水が巧みな処世術で危機を脱する様子を描く。
 テレビドラマのラスト前は、天正遣欧少年使節の一員である原マルチノ(演じるのは田中健)が戦いの帰結をローマに報告する。家康は今後、石田三成を悪人に仕立て上げる作業に没頭するだろうと予測して手紙は終わる。
 小説のラストは、黒田如水が、彼が石田三成の傍に送り込んだ間者にして本作品のヒロインである初芽――この時には剃髪し尼になっている――の元を訪れ、彼女が菩提を弔っている三成を「あの男は、成功した」と評する。信じていた者たちに裏切られた秀吉の滑稽な惨めさを多少なりとも軽くすることができた点を如水は「成功した」と述べたのだ。そして供養に、と懐中からものを出したが、尼は受け取らなかった。客の如水を置いて、とっくに消えていたのだ。
 テレビドラマのラストは、本多正信が、小説同様に尼となって三成を供養している初芽の元を訪れ、彼女に「自分は三成殿に救われた」と語る。天下分け目の戦いの後、その鬼謀を疎まれ嫌われ憎まれた正信は、徳川政権から敵視されるようになった。いうなれば秀吉死後の豊臣政権における石田三成と同じ境遇に陥ってしまったのである。同じ最期を迎えたくなかった正信は、早々に隠居し、生き長らえることができた。そう笑顔で言って彼は尼に供養料を渡そうとするが、彼女は受け取らない。
「あなた様は三成様とは少しも似ていらっしゃいません。それを頂くわけには参りません。二度と、おいでなりませぬよう」
 そう言って尼は立ち去った。正信は帰り支度を整えながら呟く。
「そうか、わしには初芽がおらん。一人の女も愛したことはなかった」
 そして山本直純作曲のメインテーマが流れ、ドラマは終わる。
 小説もドラマも悪くないラストだと思う。だが軍配はドラマに上げたい。初芽を演じる松坂慶子の演技が良い(しかし彼女のベストシーンは『第一夜「夢のまた夢」』の最後で三成の無事を祈る姿だと思う)。何よりも良いのは、正信を演じた三國連太郎の芝居の上手さ。モノローグに込められた絶望感に限りなく近似した悲しみは、見ている者の言葉を奪う。
 小説版が優れていると思うのは、黒田如水という希代の謀将が天下を取れなかった理由を暗示していることだ。戦に敗れはしたものの三成は、秀吉への恩を忘れ自分の利ばかりを考えて裏切りまくった豊臣恩顧の諸将に対し、人としてあるべき姿を見せた。その見立ては正しい。しかし、浮世の義理のために愛した男を失った女には、そんな正義に何の意味もない。成功した、と褒められたところで白けるだけだ。如水が一人語りをしている間に消えたのも納得できる。この空気の読めなさが、如水が天下を取れなかった理由だ。人誑しの天才だった秀吉や苦労人の家康は、その能力が発達していた。
 待て待てい、如水も荒木村重の虜囚になった苦労時代があるぞ! という意見はあるだろう。それについて、いつか語りたいことがあるので、今回はご容赦を。
 テレビドラマの脚本を書いた早坂暁は如水不在という状況を逆手に取り『関ヶ原』を野望と純愛の歴史絵巻に仕上げた。見事な腕前である。
 一方、小説は純愛度を控えめにして、代わりに人望の意味を示した。これはこれで悪くない。高度成長期の男性サラリーマンが立身出世の参考図書にしたくなる気持ちも分かる。だが低成長期の日本においては物足りない気がする。男だけの論理は、もはや通用しない。女性の論理――果たしてそんなものがあるのかという声には耳を貸さない――を男性脳に組み込まぬ限り、日本の再浮上はないと考えるべきだ。男女雇用機会均等法や男女共同参画が掛け声だけで終わらせぬための努力が必要なのだ。どんな女にも残っている初心な部分を鷲摑みにして絶対に放さない何かが男性優位社会に求められているのだ。
 その答えは黒田如水と初芽の会話に暗示されている。深く愛していたのに死んでしまった男の成功談義より、生きていてもらって自分だけを愛し深く性交してもらう方が女は嬉しいに決まっているだろう。
 こんな落ちになってしまったことへの深い失望と脱力感を味わっている。想定していたよりも面白くない。成功と性交を引っかけるなんて、さすがのデーブ・スぺクターでも言わないと思う(言うかもしれない)。この劣勢を挽回するのは並大抵のことではない。本稿の読者は各自ニニ・ロッソ渾身のトランペットを脳内で吹き鳴らして「死ねやぁっ、死ねやぁっ」と下知し、さらに声をふりしぼって、
「やれ、金吾なる者は、千載の醜名を残したぞ。裏切り者を崩せ。突けや。雑兵雑輩には目もくるるべからず。いちずに金吾が旗をめがけよや、金吾を討て、金吾を地獄におとすのに牛頭馬頭邏卒の手をば借りるべからず、汝らが地獄の邏卒のさきがけをせよ」
 と、喚き叫びつつ敵陣へ乗り入れてゆく白巾で顔を覆う吉継(大谷刑部)の鬼神が憑り移ったかの如き姿を思い浮かべて、圧倒的に不利な戦況を一変させて欲しい。私は想像した。涙が滲んだ。

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