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異動に関するあれこれ その2

 学力困難校、指導困難校などと言われていた小さな街の実業高校から、少し離れた大きな街の進学校に異動しました。これが、公立高校教員になって最初の異動でした。
 その時、小説やドラマで読んだ「人事異動」というものをリアルに体験しました。世事に疎い私は、「人事」というものに興味がなく(というか、その意味がよくわかっていないかったというべきか)、そういう話で盛り上がっている場では、調子をあわせつつも黙っていることが多かったです。
 そして、私自身が「人事・異動」の当事者となります。

◆当時の価値観は…
 若い人、そして私のような「よそ者(県外出身者)」は、県庁所在地から離れた地域で「修行」させるという空気が強かったです。まして、「院卒×予備校からの転職」であった私には、「勉強ができない、勉強をしない、大学進学する生徒さんのいない学校」に赴任させ、そこで「現実を学べ!」という意図もあったようです。
 適材適所とは真逆の人事をするわけですが、それはよく言えば「視野を広げる・幅広いキャリアをつむ」ということになります。確かにそのとおりの部分もあって、いろいろ学ぶことはありました。ただ、そのことで低下するスキルもあるわけで、これは難しいですね。また、そのことで実力を発揮することなく心を病む若い先生方も身近にいました。「逆張り人事」は、キャリア形成につながる場合もありますが、そこに「悪意」が内在する場合は、悪意のとおり当事者の先生はつぶれていきます。

◆時は流れて私は県庁所在地の進学校に勤務していました
 早期退職した私ですが、異動は5回経験しています。転勤・異動のペースは速かったです。「よそ者・便利屋」の面目躍如。
 そして、気が付けば、県庁所在地の進学校に勤務していました。2~3年生を往復しつつ8年在籍。このころの私は、大学進学のための指導というものに少々疲れ、疑問を持つようになっていました。
 平成7年ころから現象として可視化された「学力崩壊」で、センターテスト平均点が全国で40位台になるという危機的状況に陥ったA県ですが、その後の大学受験指導強化、学力向上策が功をそうしたのか、センターテストの結果だけでなく、国公立大学の合格者も増え、「学力崩壊以前より高い実績」を出すようになりました。ただ、増えたのは「国公立大学・難関私大の現役合格者」だけではありません。義務教育も含め全県で「不登校・いじめ」も増えました…。
 現場では、「国公立至上主義」という風潮が強まり、地方の中堅国公立合格者の「大量生産」が始まりました。大学合格への「最短距離」を示してくれる学校・先生・授業こそが「価値がある・評価が高い」ということです。 
 ただ、それは、「本質的な学力向上」よりも、「傾向と対策」に近いです。とうとう、学校が「予備校」になったのです。これは、「研究に志をもって大学進学する生徒さんを育てたい」という私の思いとは異なります。まして、研究とは「最短距離で結果を出すための対策」とは真逆の存在です。
 現代文の授業で「この単元で扱う評論文を理解するために必要な近代論」を説明していると、「先生、関係ない雑談はやめて、授業してください」と言われるようになったのはこのころ…。
 「私は地元の私大希望です。そこの受験科目に古典はないのに、なぜ古典を勉強しないといけないんですか…」も出始めました。こちらは三者面談などで親子からいただくこともありました。

◆異動希望を出す
 当時、ひとつの学校には最長で10年と言われていました。それを越すと「強制異動」。強制異動の場合「本人の希望は配慮されない」そうです。
 そろそろ在籍も長くなりましたし、進学指導にも疲れてきました。何より「大学受験指導縛り」の授業に限界を感じつつありました。
 「作品の本質に迫る授業」は、むしろ「進学校以外」の方が自由に展開できそうです。そのころ、生徒さんの主体性が重視され、アクティブラーニングという言葉も出てきました。
 一度、進学校から離れようと思いました。もちろん、大学進学を目的としない学校のしんどさも知っています。しかし、ここで「授業の再構築」をしないと、時代の変化に取り残され、長く続けることが難しいかもという思いもありました。
 であれば、早い方がよいです。また、「自分の希望」が考慮される異動の方がよいです。そのころ、県内で大きな災害があり、被害が大きな地域には県外のNPO団体の支援なども入っていました。そういう団体が、「学校」では難しい生活支援や学習環境の整備を進め、地域の復興を支えていたのです。
 たまたま、東京時代の知人がその団体の関係者だったこともあり、支援の現場を見たり、状況を聞いたりもできました。「この地区の高校に赴任すれば…」と考えました。
 その地域には「進学校」はありません。あるのは「進路多様校」と言われる小規模校です。大学進学から就職まで、全部いるんですね。
 というわけで、「県庁所在地以外の地域」「普通科進学校以外」で希望を出しました。具体的には、災害で大きな被害を受けた地域。そこで、復興にも協力しつつ、生徒さんが主役の授業を構築したいという希望です。

◆学校長の反応は?
 変な話ですが、県庁所在地の進学校から、その地域の実業高校への異動は「降格」と言われます。例外は、「一度外に出て、戻ってくるときは管理職」というお約束人事。しかし、私は該当しません。
 学校長は少し驚いたようでした。その時3年生の担任でしたから、私としては「異動にはよいタイミング」と考えていました。しかし、学校長は「3年生の担任を終えたら進路部専従へ」という構想を持っていたようです。
 「本当にいいの?」と聞かれました。
 私が、異動希望の理由を説明すると納得してくれたようです。
 そして、2月の「内々示」の段階では、「NPO法人が支援に入っている、すばりその学校」への異動を伝えられました。
 「あの学校へ異動希望を出す先生はいないし、異動をお願いしても拒否する先生もいる。そんな中で、本当にありがとう」というお言葉もいただきました。そんな大げさな話ではないのですけどね。
 「教育×復興×若い人が主役の街づくり」を学びたいというのが私の希望で、「受験予備校のような進学校」ではなく、「地域の高校」というものを学びたいというのが当時芽生えた考えでした。
 
 そして、3月の「内示」で…
                「その3」に続く。
 


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