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勉強嫌いになった理由。

学生時代は勉強が嫌いだった。
もっと言えば、学ぶ行為そのものが苦痛だった。

理由は明確に2つあって、

一度目はインフルエンザで1週間学校を休んだ。
その時に、まるっと授業で解らない所ができてしまい、先生が補助の時間を用意してくれたのだが、この時に何故か私は他クラスの同級生から習うという事になってしまい、その同級生も嫌嫌受けたのか、ただ教科書を開き、あれがそれでこうね!わかったよね?と一方的なやり取りで終わった。 

解らない私は今一度聞いたが、
同級生はため息をつくばかりで教えてはくれず、
大人しかった私はその態度に終始動揺して
何もできずに、勝手に先生に終わった報告をされ、先生も忙しそうにしており、私への確認を取らなかったのでその日は終わった。

後日、やはり解らないので先生に聞いたが、先生はまたもやその同級生を呼んで教えてあげて。と言った。

億劫そうに私に近寄る同級生を見て、
怖くなった私は大丈夫です!と先生に伝えて
解らないまま授業が進んだ。

今思えば、親に聞くなり、兄に聞くなりすれば良かったのだが、普段からそういった習慣が無かったので、聞くという選択肢を増やせなかったのは痛い。

あと、友達にも聞けば良かったのだけど、先の同級生の態度で聞いていけない事の様に思ってしまっていた。迷惑になると思い込んだ。

そこから数カ月後、別の先生が黒板にいくつかの問題を書き、出席番号順に呼ばれた生徒が一斉に前にでて答えを書いていく授業があった。

その日は私含めた出席番号順の5人が書く予定だったけど、そのうちの1人が欠席していた。

本来なら1〜5番の予定が、欠番含めた1〜6番を指名しなければいけないシーン。

先生はいつも通りに1〜5番の出席番号を指名して答えを書かせて行ったのだが、書いたのは4人。1人欠席してるからあたり前。

だが、先生は私達が書き出した時に4人しかいなかったのを何かの作業で見ていなかったのか、通常であれば私が書く予定の問題が空白になっていたことを、私に対して何故答えない。やる気があるのか!と怒鳴りつけた。

当たり前だが、先生の言い分がおかしい。

他の生徒も解っているので、別の生徒が先生へ今日は欠席者が1人いるから彼女はちゃんと答えを書いている。とフォローしてくれた。

が、先生は自分の否を認めたく無かったのか、何故かクラス全員に説教タイム。

辛い。自分は悪くないが、自分がきっかけに始まったこの説教が辛い。

そして、フォローしてくれた子に気持ち救われてる私がいます。ありがとう。

この2つが短期に重なった事で、私は勉強というより授業そのものに対しての圧迫感と強迫概念が生まれた。

他の優しいはずの先生達の授業も段々と苦痛に感じてしまい、いつしか学ぶ行為が嫌いになった。

今なら、ただ黒板の文字を書き写すだけで、授業なんて聞き流しておけば良いんだよ。と言いたいが、真面目がマイナスに作用していつしか学校へも行けなくなり高校は中退してしまった。

学ぶ場所を離れてしまうのは勿体ないが、
当時の私には精一杯だったと思う。

それから数年後に、もう一度高校生にはなれなくとも(なっても良いんだろうけど)、とりあえず高卒認定試験(昔の大検)は受けておこうと思いまた勉強を始めることにした。

すると、苦痛に感じていたはずの学ぶ行為も時間はかかるけど面白いと思えるようになっていた。

たった数年だけど、こんなこと習ったっけ?となることも少なくなく、教科書に線を引いたりノートに取ったりする行為もいつしか楽しくなった。

学生時代は些細な事でぽっきり折れるし、
それは大人になってからもなんだけど、
それでもまた好きになれる事を早いうちに経験できたのは大きいと思えた。

1つの成功体験とでも言うのかな?
ほんとは折れずに経験を学びたいものだけど。


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